トップ>オピニオン>エニグマ暗号解読で母国イギリスを救った悲劇の天才 ―映画イミテーションゲームの主人公 アラン・チューリングの業績―
辻井 重男 【略歴】
―映画イミテーションゲームの主人公 アラン・チューリングの業績―
辻井 重男/中央大学研究開発機構 機構教授
専門分野 情報セキュリティ・暗号の理論と歴史
イミテーションゲームという映画が上映されている。主人公は、1940年頃、コンピュータの数学的モデルを創った天才数学者であり、ナチスドイツの暗号エニグマ(謎という意味)の解読を主導してイギリスを勝利に導いた功労者、アラン・チューリング(1912-1954)である。
エニグマの解読は、第2次大戦を2年縮めたとよく言われるが、磯田道史(NHK BSテレビ、「英雄達の選択」のコーディネータ)ならぬ、辻井重男が、歴史のIFを大胆に推理すれば、
「エニグマの解読に成功していなければ、イギリスは敗北し、第2次大戦後の冷戦構造は、米ソの対立ではなく、米国とナチスドイツの対立となっていたであろう」
ということになる。
それ程の功績者が何故、悲劇的な人生の幕を41歳で下ろさねばならなかったのか。その理由は、1つには、戦争に果たす暗号の宿命的役割であり、もう一つには、同性愛という当時、法的に禁止されていた個人的指向にあった。
第2次大戦が始まった頃、イギリスへ物資を運ぶアメリカの輸送船は、ドイツの潜水艦ユーボートに次々と撃沈され、イギリスの敗北感は深まりつつあった。潜水艦は、暗号電報を発しており、それが解読できれば、輸送船はユーボートの攻撃を回避できる。その解読を成功に導いたのが、チューリングである。
しかし、敵の暗号を解読したことが敵に知られれば、暗号機の構造を変更され、新たな解読作業に、月日を要することになる。当時のイギリス首相、チャーチルは、日本の指導者と違い、情報の価値を知っており、暗号情報の収集、分析、利用に熱心であった。ある時、ドイツ空軍が英国のコベントリーという古都を攻撃するという情報がエニグマの解読によってもたらされた。しかし、チャーチルは、暗号解読の事実を敵に悟られないようにするため、非情にも、コベントリーを敵の空爆にさらしてしまった。ドイツに勝つために、古都の寺院と数百名の人命を犠牲にしたのである。このような、暗号利用の宿命の中で、アラン・チューリングの業績は、永い間、国家機密とされてきた。そして、チューリングは、当時、処罰の対象となっていた同性愛という性指向も禍して、青酸カリ自殺を遂げたといわれている。
辻井研究室のエニグマ暗号機
さて、エニグマ暗号機、またはそのレプリカであるが、現在、日本には2台しかないと言われている。その内の1台(レプリカ)を、私が中央大学研究開発機構の研究室に保管している。イミテーションゲームの上映を機に、2015年3月8日(日)、フジテレビの「めざましテレビ」に、そのエニグマ機が主役で登場し、私も介添役で、顔を出した。また、3月16日(月)日本テレビ「スッキリ!!」内の映画紹介でも上映された。映画とは関係ないが、2年ほど前、池上彰の番組でも私の愛機が映された。
池上彰の番組では、軍事・外交の歴史に果たした暗号の役割も大事だが、「現在、公開鍵暗号が、社会基盤・生活基盤になっていることも、放映して下さいよ」と頼んだのだが、難しいといって断られてしまった。公開鍵暗号とは、鍵の片割れを公開するという画期的な暗号である。ある科学史の本には、公開鍵暗号の発明は、火薬の発明に匹敵すると記されている。公開鍵暗号は、情報の秘密を守るという役割もあるが、それよりも、認証(「私に間違いありません」ということの証明)及び、署名(「この文書は私が書いたものに間違いありません」ということの証明)というデジタル社会の基本技術になっているのである。
公開鍵暗号は、戦後、情報社会の到来に先立って、1970年代後半に、アメリカで発明されたとされてきたのであるが、実は、それより数年早く、イギリスの諜報機関でも発明していた。その目的は、認証・署名ではなく、軍事・外交のための秘密保持であった。暗号が解読されるのは、多くの場合、鍵が推定されるからである。従って、鍵を秘密裏に配送することが決め手となる。
太平洋戦争の話になるが、ミッドウエイ海戦において、日本海軍が、決定的敗北を喫した大きな原因は、海軍の暗号がアメリカに解読されたことにある。何故、解読されたのか。それは鍵の交換が間に合わなかったことが大きな原因であった。
余談になるが、半藤一利氏は、テレビで、「ミッドウエイは、暗号解読で負けたのだとよく言われるが、そんなものじゃない。驕慢ですよ。驕慢。」と声を大きくしておられた。確かに、ハワイ真珠湾の奇襲が一応、成功した後の半年ほどは、日本軍は、全戦全勝に慣れて驕り昂ぶっていたことは確かだが、米国海軍のミニッツ提督は、「暗号解読に成功していなければ、我々は完敗していた」と明言していることも事実である。もう一つ。日本が暗号を解読された話ばかりが話題になるが、日本も米国の暗号の多くを解読していたことも、当時の暗号関係者の名誉の為に付記しておこう。
さて、このように、鍵を安全に運ぶことは、勝敗を決めるほど大事なことなのである。そこで、イギリスの諜報機関の研究者は、いっそ、鍵を白昼、堂々と運ぶことは出来ないかと考えた。そして暗号化のための鍵は公開し、暗号文を平文に戻すための鍵を秘密にしておくという方式を考案したのである。それは、1970年代前半のことであり、アメリカの公開鍵暗号の発明より数年早かった。しかし、そのことを公表したのは、発明後、20年位経ってからである。若し、情報の分野が、ノーベル賞受賞の対象になっていたら、間違いなく授賞される程の業績も、国家機密として伏せていたのである。
このような暗号を取り巻く機密性重視の環境の中で、チューリングは悲劇的な生涯を終えることになる。「死して屍拾う者なし」という時代劇の台詞のように、暗号関係者の宿命もそれに近いのかと思われたが、チューリングが亡くなって半世紀以上経って、彼の名誉は回復した。2009年、ブラウン首相は政府を代表してチューリングに謝罪し、2013年、エリザベス女王は彼に栄誉を与えたのである。
暗号解読者というより、情報科学の創始者としてのチューリングを記念して、情報分野では、早くから、情報のノーベル賞と言われるチューリング賞を設けているのだが、新聞などのメディアは、「ノーベル賞以外は要らない」と言って、取り上げようとしない。困ったものである。
さて、以上のように書いてくると、暗号は文字通り暗いイメージになるが、現代暗号は、公開を原則としており、我々も、1990年代には、「明るい暗号研究会」を開催したりしていた。現代暗号の研究が始まった頃、「暗号は軍事外交以外に、情報社会にも役立つのか」と人々の興味をそそり、拙著「暗号―情報セキュリティの技術と歴史、講談社学術文庫」を、当時の郵政大臣、野田聖子氏に差し上げたところ「こういう本が読みたかったのよ」と云われたし、大蔵省(当時)の局長さん達に呼ばれて講演し、玄人裸足の質問を受けたりしたものである。
しかし、新技術の宿命であるが、現代暗号も社会基盤となるにつれて、縁の下の力持ちとなり、社会的関心は薄れていった。そして、困ったことに、鍵の管理をおろそかにして、暗号が破られたという騒ぎが起きている。現代暗号は、数学的証明を重視しており、実用化されている暗号が、理論的に破られることは滅多にない。しかし、鍵の生成・管理が疎かになっているケースが多いのである。いくら頑丈な金庫を作っても、鍵を金庫の上に載せておいたのでは、話にならない。鍵の管理の重要性は、チューリング時代の古典暗号でも、人々の日常生活を支える現代暗号でも変わりはないのである。