濱岡 剛 【略歴】
濱岡 剛/中央大学経済学部教授
専門分野 ギリシア哲学
私事から始めて恐縮ですが、私は昨秋日本学生支援機構から返還完了証を受け取りました。返還猶予期間も含め、大学院を出てから24年目でした。大学院を出てからも専任職につけない期間が長かったのですが、幸いにして中央大学に職を得て、無事返還を済ませることができました。しかし、もし仮に専任職につけずに今なお非常勤講師で糊口をしのいでいたとしたら、果たして返還完了まで問題なくこぎ着けられたやら。
こうしたことを感じたのも、昨秋奨学金問題対策全国会議の事務局をされている岩重佳治弁護士を中大にお呼びして講演を開催したからでしょう。講演では、奨学金返還の負担に苦しんでいる人たちの具体例を挙げて、日本の奨学金制度にどのような問題があるのかを分かりやすく説明していただきました。 日本の奨学金で大きな部分を占めているのが、日本学生支援機構(かつては日本育英会)の奨学金ですが、昔と違って取り立てが厳しくなっており、個別の事情に配慮しない強引な取り立ても見られるようになっています。
奨学金の返済に悩んでいる人の多くは真面目で、なんとか返したいと思っています。病気や失業やら様々な理由で思うように行かなくなってもぎりぎりまでがんばって、やむを得ず返還猶予の手続きを取ろうとすると、すでに延滞金がふくれあがってしまったため猶予制度が利用できないという事態に落ち込んでしまう。また、滞りなく返還できていても、少ない収入の中でようやく返還できているという状況で、結婚、出産、子育てを考える経済的余裕がないという人も少なくない、ということでした。
ご存じのように、日本の奨学金の多くは、返還義務のない給付型ではなく、貸与型です。日本では奨学金というのは「借りる」ものだという認識が一般的になっていますが、国際的にみればそれが特異であることはあまり認識されていません。加えて学費も高くなっています。今の学生の親やその上の世代の人だと、私大の授業料を払う余裕がないならば、国公立大に行けばいいのではないかと言う人もいるかもしれません。しかし、私が大学に入学した1979年では国立大の授業料は14万4000円でしたが、今は53万5800円です。私大と比べれば安いとはいえ、劇的な値上がりです。他方で、「私立大学新入生の家計負担調査」(東京私大教連)によれば、親の収入の方は減っており、新入生の親の年収は1993年をピークに20年間で170万円減少しています。
大学に進学しなくともしっかりした職に就ける道があるというのであれば、無理して大学に進学する必要はないとアドバイスできるかもしれません。しかし、現状ではそうではありませんから、多少無理しても大学進学を目指し、親も何とかして子供を大学にやろうとします。ところが、大学を出たとしても、なかなか安定した職に就けないのも現状です。奨学金は15年かけて返還することになりますが、今年卒業する学生の中でどれだけの人が、15年先も今春就職する職場で働いていると自信をもって言えるでしょうか。経済成長が当然であったような時代では、大学を出れば多くの人は安定した職業に就くことができ、奨学金を借りても返還のことをさほど心配する必要はなかったでしょう。ところが今は不安定雇用が増えていますから、そうはいきません。
日本学生支援機構のホームページには、「返還シミュレーション」というページもあります。現状では奨学金が「ローン」であることを考えれば、「借りる」際に「返す」ことまでしっかり考えておくことは必要でしょう。私自身のことを振り返ってみれば、奨学金の申請の際には返還のことをあまり真剣に考えなかったように思います。今の学生はもう少しお金のことには厳しいかもしれませんが、毎月一万何千円とかの返済を続けることを具体的にイメージするのは難しいでしょう。どれだけ収入があってどれだけ返済に回せるかというシミュレーションは無理にしても、将来の見通しを考える手がかりにはなるでしょう。けれども、そのようなシミュレーションが、本来奨学金を受けておかしくない人が申請することを思いとどまらせるよう促すことになるならば、本末転倒です。返還のことを心配して奨学金をもらわず、無理なバイトで学業に集中できないことになるようなことがあってはいけません。
日本学生支援機構は近年、各学校に対して、返還指導をさらに強めるように働きかけています。さらに、各学校の卒業生の延滞状況を公表しようという動きも伝えられています。それが実際の運用にどのように反映されるかは明らかではありませんが、事情はどうであれ卒業生に延滞者が多いと在学生の奨学金受給に影響が及ぶという、責任のない人に責任を負わせる不合理な施策になる可能性があります。そして、経済援助としての奨学金制度が、もっとも経済援助を必要としている人を門前払いにする倒錯した事態になりかねません。
確かに、先に述べたような諸問題を受けて、日本学生支援機構の奨学金制度は改善されました。延滞金金利は10%から5%に引き下げられ、返還猶予期間も5年から10年に延びました。一部ですが所得連動型無利子奨学金制度も導入されています。さらに、無利子奨学金の貸与人数も増やされています。それでも、問題の抜本的な解決にはほど遠いでしょう。韓国の大学授業料半減策も参考になるかもしれませんが、まずは給付型奨学金制度の創設を真剣に検討してもらいたいと切に望みます。