橋本 基弘 【略歴】
橋本 基弘/中央大学法学部教授
専門分野 公法学
今から2年前、このオピニオン欄で衆議院の解散について論じた。趣旨は、定数不均衡が憲法違反の状態にあるとの最高裁判決を無視するかたちでの解散は憲法上問題があるというものであった。その際の総選挙では自民党が圧勝し、政権の座を取り戻した。その後、衆議院議員選挙の制度には改正が行われ、最大較差が1対1.77に縮小されている。
今回の解散総選挙は、新しい区割りの下で行われたものであり、少なくとも憲法違反の状態を再生産する選挙であることは回避できたといえるであろう。しかし、今回の解散には憲法上問題はなかったのであろうか。
憲法には、衆議院を解散できる理由が一つしか認められていない。それは、69条の場合であって、内閣不信任決議案が可決されたとき(信任案が否決されたときも同じ)のみである。憲法は、内閣と議会との間に対立が生じたとき、この解消を主権者である国民に委ねたのである。しかし、日本国憲法の下で行われた解散の実例を見ると、過去24回行われた解散の内、69条による場合は4例を数えるのみである。よほど偶発的な事情があったか、与党が分裂するという状況でない限り、69条による解散は行われないのが実情といえる。多くの解散は7条を直接の根拠として(69条を経ないで)行われてきた。
このような条文と実務の乖離を説明するため、憲法の学説はさまざまな理屈を考えてきたのであるが、どれも成功していない。そこで、条文はともかく、日本国憲法の長い実例の中で、7条による解散が一種の慣習法として成立しているのだと説明する学説がもっとも無難な説明と言うことになる。そして、「国民の声を聴く」ことは悪いことではなかろうという観点から正当化される。分からなくなったら主権者に聴く。民主主義としては当たり前ではないか。今回の衆議院解散も、「間近に迫った消費増税を延期することの是非を問う」を国民に聞いて何が悪いというわけである。
衆議院の解散は、内閣総理大臣の専権事項ではない。解散権は、内閣の権能であるから、全会一致の閣議を必要とする。閣議で一人でも反対する閣僚がいれば罷免し、全会一致を得るしかない。実際、閣議での了承が得られないために、解散を断念した例もある(三木武夫内閣)。日本国憲法において、解散権は議会の不信任決議に対する「内閣の」対抗措置として構想されている。それは、議会と対立したとき、行政権の最高意思決定機関である内閣が国民の判断を仰ぐ手段として設計されている。
したがって、仮に慣習法として憲法7条のみによる解散が認められるとしても、解散権行使の要件を厳しく限定する考え方にも説得力がある。慣習法なり、条理なりを正当化するような根拠が必要であり、その根拠によって条文から離れた解釈が許される。条文から離れた解釈がいついかなる場合でも許されるわけではない。解釈には自ずから許される幅というもがなくてはならない。日本国憲法は、7条だけに基づく解散を無制約に許しているとは考えられない。
この問題について正面から取り組んだ政治家がいた。中央大学経済学部を卒業し、新聞記者を経て保守本流を代表する政治家となった保利茂である。保利は、衆議院議長を務めていた時期に、解散権の限界に関して意見を述べたことがある。7条のみを根拠とした解散権には制約があるはずだと考えたのである。憲法が想定する解散事由は69条に限定される。しかし、7条解散が一般化している状況では、69条限定説に拘泥することは適当ではない。だが、解散権の行使には限界があり、それは69条の状況に比肩するほどの必要性や合理性が必要だと考えた。内閣の提出した予算案が否決されたような場合、長期にわたり審議がストップしているような場合、党利党略などで不信任決議案などが提出されないままで、国会や国政が停滞を続ける場合、前回の選挙の争点ではなかった問題が生じ、改めて国民の判断を仰ぐ必要が生じているような場合がこれにあたる(佐藤功「解散権濫用の戒め-保利茂の遺稿」法学セミナー1979年6月号33頁)。
議会制民主主義は、国民一人ひとりの声をいったん離れて、熟議や妥協、調整という手法を通じて国家意思を作り上げていく政治制度である。もし、国政上の重要論点が生じるたび議会を解散していては、議会制民主主義における内閣と議会の責任が常に回避され、その責任が国民に押しつけられることになる。解散というのは、一歩間違えると、代表が国家や国民に対して負う責任を放棄することにつながってしまうのである。党人政治家であった保利はこのことを怖れたのではないだろうか。無制約な解散権の行使の先には議会制民主主義の崩壊が待ち受けている。
では、保利茂なら、今回の衆議院解散は正しいとみたであろうか。おそらく答えはNoである。今回の解散総選挙は、本来内閣として、あるいは国会としてまともに向き合うべき問題を国民に押しつけ、その責任を回避するために用いられたものと言わざるを得ない。その結果、投票率は過去最低の52.66%にとどまった(日本経済新聞電子版2014年12月15日)。47.34%の国民は、この総選挙になにがしかの疑問や違和感をもったものと考えられる。有権者全体に占める自民党の得票率は25%にとどまっている。これをもって、信託を得たともとうてい言いがたい。
小選挙区比例代表並立制の下で、わが国の民主主義や議会制度は大きく変化した。党首権限の強化や二大政党制の崩壊を目の当たりにするとき、無制約な解散権の行使の先には新たな翼賛政治が待ち受けているようである。それが「決められる政治」なら、わが国の未来は暗い。