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篠木 幹子

篠木 幹子 【略歴

個人の行動と環境問題

篠木 幹子/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 社会学

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日常生活におけるジレンマ

 誰も一度は、「食べたい、でもやせたい」、「遊びたい、でもいい成績をとりたい」といったことを考えたことがあるのではないだろうか。痩せるにはカロリーの摂取を抑えたり運動したりする必要があるが、目の前にあるおいしい食事やお菓子を我慢するというのはなかなか難しい。いい成績をとるには教科書を読んだり、練習問題を解いたりする必要があるが、友人と一緒に出かけたりゲームをする方が魅力的である。そして、お菓子を食べすぎて体重が3キロ増えようが、ゲームのしすぎで単位を落とそうが、それは自分ひとりの問題である。

 自分ひとりの問題であるうちは笑ってすませることができるが、これが社会全体の問題になる場合もある。たとえば、自分と同じように他の人びとが食事やお菓子を過剰に食べて肥満になった場合、社会全体でみると医療費が増大し、社会保障制度に大きな影響を与えるといった状況が生じる。これは、人びとが便利さや快適さを追求して合理的に行動した結果、社会全体でみると非合理な結果が生じるというメカニズムを示しており、社会的ジレンマと呼ばれる状況である。

社会的ジレンマの特徴と環境問題

 社会的ジレンマとして捉えられる社会の問題はさまざまである。違法駐車や戦争の問題、環境問題などは、社会的ジレンマの構造を備えている。ここでは、例として、私たち自身の行動によって負荷をかけることで生じる環境問題について考えてみよう。

 社会の中の人びとは、自分にとって便利で快適な行動を選択し、時間、お金、手間などのコストをできるだけ小さくしようとする傾向がある。つまり、手間や時間をかけて自分で出すごみの量を減量したり、ごみを分別してリサイクルできるようにしたり、温暖化防止のために車の使用を控えてできるだけ歩くようにするよりは、いろいろな商品を購入して分別せずに大量に廃棄したり、自動車を使用したりするほうが便利で快適なのである。しかし、社会の中の人びとが皆同じように考えて行動すると、ごみの量は増加して最終処分場が逼迫したり、ごみ処理にかかるお金が増えたりして各自の負担は重くなる。あるいは、地球温暖化が進んでしまったりする。誰も環境を悪化させようと考えて行動しているわけではない。ただ、自分にとって望ましい行動をしているだけなのである。

 これに加えて、人びとは社会全体に対する自分の行動の影響を小さく考えがちである。自分ひとりがごみを減量したり分別したりしなくても、あるいは自動車を使用したとしてもたいした影響はないし、逆に、自分ひとりがきちんと行動をしても問題の解決にはつながらないと考える。また、もしほかの人がきちんと行動しているのであれば、自分は他の人の行動に「ただ乗り」をしたほうが、手間や時間がかからなくてすむとも考える。どのような状況であっても、自分にとって便利で快適な選択をするほうが「得」な状況が生じてしまうためなかなか問題は解決しない。ごみ問題や地球温暖化のような環境問題は、このように一人ひとりの行動が集積して生じるのである。

問題の解決に向けて

 それでは、社会的ジレンマの構造を備える環境問題は、どのように解決が可能なのだろうか。大きくわけると、システムや制度を新しく構築し社会の構造を変えることで、便利で快適な行動をしにくくする構造的な解決方法と、人びと自身の考え方を変えることで行動を変える個人的な解決方法がある。

 ごみ問題についてみてみると、日本では増え続けるごみを循環させるための法律として、循環型社会形成推進基本法や容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、自動車リサイクル法、食品リサイクル法、建設リサイクル法、小型家電リサイクル法等が定められている。これらの法律に基づいて、各自治体ではごみの中からいかに資源を回収できるか、住民にいかに協力してもらえるかを考えて、ごみの収集方法を決定している。住民の手間をできるだけ少なくし、多くの住民に協力してもらおうと考える自治体もあれば、分別の数を多くして手間を感じてもらうことで、住民にごみ問題について考えてもらおうとする自治体もある。

 しかし、どれほどすばらしいシステムであっても、そこに協力する人びとがいなければ、システムは立ち行かなくなる。最後は私たち自身が、多少手間がかかったとしても、ごみの減量や分別に協力することが重要なのである。そのために、分別したごみがどのように利用されているのかといった情報のフィードバックや、環境問題に対する関心、きちんと分別をしたほうが社会にとって望ましいと考える規範的な考え方などが協力的な行動に影響を与えることが分かっている。

 ごみの減量や分別は目に見えるという特徴がある。大きなごみ袋から小さなごみ袋にかわった、牛乳パックを3枚分別したというように、行動したあとに実感が伴いやすい。また、自治体ごとにごみの量を把握できるので、どのような制度にすればどの程度ごみが増減するのかがすぐにわかる。構造的解決の手段である制度の効果や個人的解決の手段である情報の効果などがみえやすいのである。しかし、地球温暖化となると、それが難しくなる。LED電球に替えたからといって、どの程度温室効果ガスが減ったのかなかなか把握できない。また、温室効果ガスには国境もなく、制度の効果も測定が難しい。そのような中で、社会的ジレンマ状況に陥っている人びとの協力を増やすにはどうすればよいのか。人びとが便利さや快適さを少し我慢するように働きかける「何か」をさらに検討していく必要があるのである。

篠木 幹子(しのき・みきこ)/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 社会学
1997年東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了。2001年東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)(東北大学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、岩手県立大学総合政策学部講師・准教授を経て2009年より現職。現在は、社会学的な観点から、環境問題の中でもごみ問題や地球温暖化問題を計量分析を用いて研究している。また、社会調査の方法論に関する研究もおこなっている。
主要著書に、『環境問題へのアプローチ』(多賀出版、2007年)や『個人と社会の相克』(共著、ミネルヴァ書房、2008年)がある。