Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>オピニオン>惑星社会のフィールドワーク――「景観」の背後の社会構造と人間の汗や想いをすくいとること

オピニオン一覧

新原 道信

新原 道信 【略歴

惑星社会のフィールドワーク――「景観」の背後の社会構造と人間の汗や想いをすくいとること

新原 道信/中央大学文学部教授
専門分野 地域社会学・国際フィールドワーク・惑星社会論

本ページの英語版はこちら

1.「自分が考えるには複雑すぎて…」と思っていたら

 私たちは、どこか遠くの「ささいな、とるにたらない、ありふれた、陳腐なもの(banality)」が、突然、我が身に深くかかわる「厄災」や「焦眉の問題(urgent problem)」として、“わたしのことがら(cause, causa, meine Sache)”へと転変する社会に生きている。しかしそのことを実感できない。「まあたしかに、そういうことはあるかもしれないが、自分は大丈夫ではないか、そうであってほしい」と思って、そのことを考えるのはやめておく。

 「85センチの海面上昇で日本の三倍以上の地域が沈み、二億六千万以上の人々が環境難民となっていく。環境の変化によって移住を迫られる人々は別の地域の人々との間のコンフリクトに直面する」等々、私たちは「それはもう知っている」「わかっている」と感じる。考えたほうがいいかという気持ちになるときもあるが、TVであれ本であれ、たとえば、「地球温暖化」や「貧困・格差」への「対処法」はパターン化されていて、あまりピンとはこない。Tシャツ、チョコレート、携帯、いま自分が使っている身近な品物(banal things)がどのように作られているかをテーマにした番組を偶然見かけた。「現地」はたいへんらしい。「誰かが犠牲になるのは歴史的にはよくある話しだったんじゃないか」、いや「なんとかしなければいけない」。いずれもそうかもしれないが、どうしていいかわからず困ってしまう。最初は驚いたが、自分が考えるには複雑すぎて、何度か目にするうちに、頭のなかでは「陳腐な問題(banal questions)」へと分類されていった。

2.「ありふれた」景色が突然変わった!?

 身体のことも少し考えようと、ジョギングをして帰って来たら、突然、高熱が出た。ふだんだったら、よくある症状(banal symptoms)だと思っただろうが、ちょうど最近は、「感染症」が話題になっていたので、少し心配になり、病院に行ってみた。すると「デング熱です」と言われた。「話題になった公園に行ったわけではないのに」「なぜ自分が!?」「明日のアルバイトはどうする」…、こうした考えが頭の中でぐるぐると回り出した。自転車での帰りがけ、雲行きが急に怪しくなり(最近は、東京でもゲリラ豪雨やヒョウが降るなど、突発的な気候の変化が起こりやすいようだ)、あっという間に突風と雷、そして豪雨となった。熱でふらふらとしながら大学近くのアパートに帰りつき、ベッドで横になると、サイレンがなり、土砂災害の危険があると言う。高度成長の時代に「盛り土」で急造された宅地はとくに危険なのだという話をどこかで聞いたことをふと想い出した。高熱にうなされ、起き上がることもできない。山沿いのアパートから脱出することが出来るだろうか。近所付き合いをしておけばよかった。泥臭い空気が換気扇から逆流してきた。「まずいかもしれない!?」とインターネット上に書き込みをいれたところで轟音が……。

3.どのように“兆し・兆候”を感じとるのか?

 こんな「寓話」を書いて学生諸氏に配布してすぐの9月27日、「御嶽山噴火」のニュースに直面することとなった。私たちの「日常」は、社会的大事件のみならず個人の病、死も含めて、“未発の事件”によって満たされている。「想定外の」災害や事故、「予期せぬ」病気など、いわば“見知らぬ明日”は、閉じたいと思っていた目をこじ開けるようにして「まったく突然に」やって来る。しかしその“事件”は、実はすでにそれに先立つ客観的現実の中に存在していたのであって、ただ私たちが、眼前の“兆し・兆候”に対して“選択的盲目”を通していたにすぎない。ではどのようにして、“未発の瓦礫”の“兆し・兆候”を感じとるのか。

4.惑星社会のフィールドワークへ

 それは最初、ひとつの「景観」のように立ち現れる。「景観」として受けとめた「事件」や「データ」や「情報」の背後にある“心意/深意/真意”と“身実(みずから身体をはって証立てる真実)”を探ろうとすること。かたちを変えつつ動いていく“事柄の理”を“探究/探求”すること。つまりは、〈あるき・みて・きいて・しらべ・ともに考え〉、「景観」の背後の社会構造と人間の汗や想いをすくいとること。そして、こころとからだをくぐり抜けた言葉を書き/描き遺すことだ。

 地球規模でネットワーク化、システム化した惑星社会では、どこから、どんな小さなことから始めてもよい。この、“識る”ことへの旅/フィールドワーク――“旅をして、出会い、ともに考える”ことと、“たったひとりで異郷/異教/異境の地に降り立つ”ことがクロスする場所を、“ともに(共に/伴って/友として)”することが少しでも出来るのならば、何よりの喜びであり、意味なのだと思い、『旅をして、出会い、ともに考える』(中央大学出版部、2011年)、『“境界領域”のフィールドワーク――惑星社会の諸問題に応答するために』(中央大学出版部、2014年)という本を作った。そしていま、『惑星社会のフィールドワーク』という本を準備している。

新原 道信(にいはら・みちのぶ)/中央大学文学部教授
専門分野 地域社会学・国際フィールドワーク・惑星社会論
1959年生まれ。名古屋大学、東京大学、一橋大学、イタリアのサッサリ大学等で学び、千葉大学助手、横浜市立大学助教授を経て2003年より現職。国内の大学の他、イタリア、フランス、ドイツ、ブラジル、ポルトガル、スウェーデン、フィンランド、カーボベルデ、スロヴェニア、マカオ等の大学で講義・セミナー・シンポジウムなどを行う。主として日本語とイタリア語で書き、『ホモ・モーベンス――旅する社会学』(窓社)、『境界領域への旅』(大月書店)、『旅をして、出会い、ともに考える』『“境界領域”のフィールドワーク』(中央大学出版部)などの著書がある。