トップ>オピニオン>「ロボットカーの製造物責任」(Robot-Car Liability)
平野 晋 【略歴】
平野 晋/中央大学総合政策学部教授・大学院総合政策研究科委員長、米国ニューヨーク州弁護士
専門分野 アメリカ民事法学(不法行為法・契約法)、サイバースペース法学(インターネット法)
最近急に、「自動運転自動車」(autonomous vehicles:ロボットカー)が世界の注目を集め始めた。検索エンジン大手の「グーグル社」によるロボットカーの場合、屋根の上に設けたセンサを用いて外周全ての環境を計測する装置を搭載。そこで得た情報を事前に蓄積してあるデータセンタ内の地図情報と突合させて、運転者を介さない自律走行による無事故記録を更新しているとも伝えられた。ネバダ、フロリダ、及びカリフォルニアの三つの州も、既に公道でロボットカーが走行できる法律まで制定し、実用化を後押ししている。
ロボットカーは、大きな効用をもたらしてくれる。例えば、(1) 自動車事故の多くは、運転者によるヒューマン・エラーが原因とされているので、運転者を不要にするロボットカーは、事故を大幅に減少させる効用を生む。そして、(2)従来は運転に時間を割かれていた人々の運転時間も節約できるという効用も生まれる。更に、(3)ロボットカーは、無駄を省いて極めて効率的な運転を可能にするから、燃料資源の減少を抑制でき、延いては環境悪化も抑えることができる。加えて、(4)これまで運転ができなかったためにモビリティー(移動)の効用から阻害されてきた障がい者や老人や若年層も、効用を享受できる。
多くの効用をもたらすロボットカーも、実は製造業者等にとっては製造物責任法上の懸念を生む存在である。その理由は、ロボットカーの自律性にある。まずロボットカーといえども、自動車事故が皆無になることはない。しかしひとたび事故を引き起こせば、①運転者のヒューマン・エラーに責任を帰すことができず、「誤作動」(malfunction)すなわち「欠陥」であったと評価される公算が大きくなる。つまり責任が運転者から製造業者等に「転嫁」(shift)されるのである。更に、②本来は自律して目的地に(当然安全に)到達すべきロボットカーが誤作動事故を起こせば、ロボットカーという製品分類全体が危険で欠陥であるという責任、すなわち「製品分類全体責任」(product-category liability)のレッテルが貼られるおそれも出てくる。この責任は、③延いてはロボットカーを製造する製造業者等への社会的な批判・非難に繋がり得る。その「ネガティブ・リピュテイション」(negative reputation)が、例えば同じ企業のロボットカー以外の、稼ぎ頭の製品にも不買運動(boycotts)を及ぼし、企業の存続そのものまで危うくする懸念も払拭できないのである。
以上の三つの懸念は、あながち杞憂ではない。①製造物責任の判例法は、アメリカも日本も同様に、誤作動による異常事故の際に製造業者等の責任を容易に認める傾向―「誤作動法理」や「事実上の推認」等と呼ばれる―を示している。
②尤も製造物責任判例法は、ロボットカーという製品分類全体を問答無用に欠陥扱いする「製品分類全体責任」までも容易に認めることはない、と日米双方の判例から一応予測することが可能である。特にアメリカでは、製品分類全体を裁判所(司法府)が欠陥扱いして市場から締め出すような権力の行使に謙抑的で、そのような大きな影響力のある政策判断は製品安全を管轄する行政府や立法府に委ねがちと分析されている。しかしその行政府や立法府が、ロボットカーという製品分類全体を規制する動きに出ないとは限らない。それは、かつてのトヨタ自動車のハイブリッド・カー不具合に対するアメリカ政府の対応事例からも容易に推測できよう。
更に③企業の悪評判、すなわち「ネガティブ・リピュテイション」が不買運動に繋がり企業を破綻に追いやる恐怖が杞憂ではない事実は、雪印食品事件が雄弁に物語っている。尤も日本はアメリカに比べて訴訟が少ないから、損失額はおそれるに足らないという意見も一部に見受けられる。が、しかし企業にとって本当におそろしいのは、訴訟における金銭的出費ではない。むしろ、悪評判がもたらす、物理的には量り切れない影響(the intangible effects of a negative reputation)こそがおそろしいのである。特に従来から広く普及してきた製品よりも新規な製品の場合は、その得体の知れない新しさゆえに、危険性が理不尽な程に大きく認知され過ぎるという指摘もある。そもそも新規な製品は従来品よりも人々の注目を浴び易い。そしてロボットカーは、単に運転が快適・安全になる次元を遥かに超えて、運転者なしでも平気という「非常に新規な製品」であるから、誤作動事故が引き起こす人々の恐怖は、単に杞憂に過ぎないと片づけることが難しくなるのではあるまいか。「2001年宇宙の旅」や「アイ、ロボット」のような大衆文芸作品において、ロボットが誤作動し人々を殺傷する恐怖が、劇的な印象を読者/視聴者に与えたことを、ここで思い起こして欲しい。これら作品が古典として長く読まれ/鑑賞されてきたのと同じような「劇的効果」を、ロボットカーの誤作動事故も人々に抱かせないとは到底断定できない。
一方で供給者側・製造業者等に求められることは、まず、誤作動事故のリスクを市場導入前に十分抑えられる工学技術の開発・実用化である。そのような種類の事故こそが、ロボットカーという「製品分類全体への非難から製造業者等の悪評判に至る負の連鎖」の出発点になり得るからである。関係者、特にエンジニアの皆さんが自信を持てない状態のまま、見切り発車する拙速な判断だけは少なくとも差し控えるべきであろう。防げ得た誤作動事故がもたらす波紋の大きさを考えれば、判断の誤りが悔やまれても悔やみきれないおそれがあるからである。
他方、利用者や社会全体に求められることは、ロボットカーがもたらし得る大きな効用を、冷静・客観的に認識する姿勢である。残念ながらあらゆる製品の危険性を皆無にはできないし、製品事故は必ず起こる。それでもロボットカーは、異常な頻度やひどい程度の事故原因にならない限りは、全体として効用が大きい製品分類に成長し得る。すると、その市場導入は、結果的には導入前よりも世の中を「より良く」(better off)するであろう。従って利用者や社会全体には、その効用を冷静・客観的に捉え続ける姿勢が求められよう。