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斯波 照雄

斯波 照雄 【略歴

比較都市史の視点からまちの発展条件を考える

斯波 照雄/中央大学商学部教授
専門分野 都市史、西洋史、商業史

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比較都市史研究

 我が国において、地方都市では中心商店街の停滞、衰退が報じられて久しい。いまや商店街だけでなくまち全体が疲弊しているようにも見える。その原因を検証するためには、そしてその問題の解決のためにも、これまでの個別都市の盛衰の過程を調査確認し、各都市の現在に至る動向を比較検討することは重要であるように思う。過去を知ることと現状分析は別のこととする認識の方が一般的であろうが、歴史学の視点は現在にある。過去から現在への延長線上に未来は見えてくるのであり、現在を分析して将来を考えようとする時、過去の状況と動向、変化などがそれに対する示唆を与えてくれる。都市の歴史的経過の中での比較は、各都市の特徴を明らかにするとともに、発展できた都市とできなかった都市の比較にもつながり、都市発展の鍵をさぐるヒントを与えてくれる可能性もあろう。

都市の比較

 日本の都市問題が欧米のそれと比較されることがある。しかし、両者は出発点も異なれば、現在に至る過程も異なる。西洋の都市では中世以来居住する市民が自らの自由の確保のために戦ってきた伝統があり、それは市民自治意識として脈々と息づいている。西欧の都市では市民は中心市街地においては土地の自由な利用を制限され、集合住宅に住まなくてはならないなどの義務を負うなど私的所有権の制限を受けるが、他方、市民は自らが居住する個性的なまちに誇りをもち、中心市街地はコンパクトにまとまり、共有する公園等が完備し、市民自治が確立しているのである。日本においては都市部等における建物に容積率の上限はあるが、それ以外制約は少ない。仮に都心の土地所有者がそこに平屋の一戸建てを建設しても規制はされない。こうした環境の違いも一因となって、どの都市でも便利さが優先されて作られた駅前の風景には相違が少なく、都心から郊外まで事務所、商店、住宅が入り混じる広大な都市域が広がり、個性に欠ける。それ故、日本では自らが生活する都市に対し愛着が薄く、市を愛する気持が強くならないのではなかろうか。

地域と都市

 条件が大きく異なる都市を直接比較することは難しいが、都市の発展条件という点では比較は可能であるように思われる。例えば、日欧の植民都市を考えた場合、日本人がアユタヤやマニラでつくったまちは跡形もなく、東欧に建設されたまちの多くは今なお生き残り、一部は大都市に成長している。その差は、単なる日本への外国特産物の供給地としての都市と地域にとって必要である都市との相違であろう。都市と農村の関係は、北ヨーロッパでは相互扶助的な形であり、スイスやイタリアなど南ヨーロッパでは都市が農村を支配する形であるなど、それぞれ相違はあるものの、地域内において主に都市は農村に生産用具や生活用品を供給し、農村は食料を供給するなど、相互補完的であり、少なくとも都市は地域に必要なものであった。

西欧の都市から見る発展条件

 しかし、西欧で同じような条件をもちながら、大都市に成長できた都市にはどのような特徴があったのか。例えば、ヨーロッパ大陸の北に突き出たユトランド半島の付け根のドイツ都市として北海側にハンブルク、バルト海側にリューベックという都市がある。両都市を経由した北海、バルト海商業圏の東西貿易の基幹商業路は15世紀頃から半島を迂回する海峡経由になり、両都市は基幹商業路から外れた。エルベ河という大河の河口にあり、その後大洋貿易時代を迎えて大西洋側に位置していたなどの有利な点はあったとはいえ、前者は現在人口約180万人の大都市に成長し、後者は約30万人程度の人口にすぎない。ハンブルクの急激な発展は近代に入ってからのことであることも事実である。しかし、その原点となる発展要因を考えてみると、ハンブルクには中世末から近世初頭頃以来、市の特産品となった安価で良質なビールがあり、その内外での消費は市の財政を支えたのである。特産品の輸出には外来商人が関わることも多く、その促進のためには外来者にも自由な経済活動が認められ、それによって来訪者は増加し、流通のネットワークが形成された。その流通網が植民地物産の集散地としての市の発展につながったと思われるのである。活性化した都市の一例をハンブルクに見ることができるような気がする。

都市の発展条件

 西欧においては、個性的な都市で育ち、自都市に誇りをもった市民が、その都市を育て、繁栄に導いたと思われる。我が国においても、繁栄した都市や商店には、その地の特色をしっかりと受けとめ、それを生かして積極的に精進するリーダーや商店主の存在があったと思われる。それは都市や地域の中で育てられてきたと思うのである。個性が失われ、そうした環境が希薄になりつつある我が国においても、西欧都市における市民意識、わが町を愛する意識と同様に、各都市の個性を見直し、自らの市を愛する市民が特産品の育成を図った時、自然と来街者にやさしい都市ともなろう。他の元気な都市を模倣するだけでは都市は元気にはなれない。元気な都市とは自市を愛するリーダーがいる都市であり、その都市の条件の一つは外部に積極的に売り込みたい他のどこの商品にも負けない自市の特産品があることではなかろうか。

斯波 照雄(しば・てるお)/中央大学商学部教授
専門分野 都市史、西洋史、商業史
東京都出身。1949年生まれ。1975年金沢大学大学院文学研究科修士課程修了。博士(経済学)(中央大学)。1997年中央大学商学部助教授、1999年より現職。
専門はドイツ比較都市史。中近世北ドイツにおける各都市の経済構造の変化を比較して地域都市の特徴ならびに都市の発展要因について研究している。現在の研究では、ドイツで発展した都市のうち特にハンブルクの経済構造の特徴と発展要因を明らかにし、さらにその応用によって日本の個別都市の発展の可能性を追求している。
主な著書に、『中世ハンザ都市の研究―ドイツ中世都市の社会経済構造と商業―』勁草書房、1997年、『ハンザ都市とは何か―中近世北ドイツ都市に関する一考察』、中央大学出版部、2010年などがある。