トップ>オピニオン>カナダEU包括的経済貿易協定(CETA)とTPPへの教訓
佐藤 拓也 【略歴】
佐藤 拓也/中央大学経済学部教授
専門分野 マルクス経済学、独占資本主義論、サービス経済論
政府や推進者は、CETAは人口5億人の世界最大の単一市場EUとの協定であり、カナダのGDPを120億ドル増大させ、80,000人の雇用を生み出すと盛んに喧伝していた。この数値は欧州委員会とカナダ政府との共同研究に基づいている[3]。しかし、よく見ると疑問が大きい。第1に、GDP増大効果はカナダで0.77%、EUでは0.08%にすぎない。第2に、カナダからEU向け輸出は8,583百万ユーロ、EUからカナダ向けが17,068百万ユーロ(ともに2007年レート)増大するとされているが、これは、カナダにとって差し引き8,485百万ユーロの純輸出の減少を意味する。この減少を次の式、
国民総生産=消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)
に当てはめたとき、いったいどのようにしてカナダのGDPが増大するのだろうか[4]。
第1に指摘されるのはやはり農業問題である。カナダのチーズなどの酪農は、その多くが国内需要向けであり、農家は供給管理制度の下である程度適正な価格が得られる。他方、EUでは現在でも補助金によって国際競争力が維持されている。したがって酪農の市場開放は、補助金に支えられたEU側に有利に働く可能性が高い。
カナダの輸出が拡大すると言われている牛肉や豚肉でも疑問の声がある。CETAはホルモン剤を投与した牛肉(カナダで多く生産)のEUでの禁止は廃止しない。また、EUでのホルモンフリーの牛肉の非関税割当量は現在でも23,200トンだが、カナダからの輸出実績は9,000トンにすぎない。つまり割当量を拡大しても輸出拡大にとって意味はないのである。また、EUは世界最大の豚肉輸出者でさえある[5]。
第2に、企業による農業や食料市場の支配が懸念されている。とくに農家が種子を次年度の再生産のために保存・利用することが、モンサントなど巨大企業が持つ知的所有権の徹底的な保護によって一層難しくされていく可能性が高い。
第3に、製薬会社の持つ特許権の保護による薬価上昇の懸念である。カナダでは各州が運営する健康保険制度によって医療費がカバーされているが、歯科など一部の診療と処方薬などはカバーされない。ここでもしも薬価が上昇すれば、国民や、あるいはそれを補填するなら財政への負担が高まる。
第4に、投資家国家紛争解決(ISDS)メカニズムが導入される。これによって企業は、自分の利益が国の制度や規制によって損なわれていると考えれば、国家を提訴することができる[6]。たとえば、シェールガスの採掘に関わって地球温暖化対策をカナダが講じようとしても、それが企業利益を損なうと見なされれば、国家はその逸失利益を補償するか制度を放棄するかを迫られる。福島原発の大惨事を受けてドイツが脱原発に舵を切ったことに対して、スウェーデンのエネルギー企業がドイツを提訴している[7]。これは、福島原発事故の当事者であり、かつISDSを含むTPPを結ぼうとしている日本にとって教訓となろう。
こうした諸問題は、しかし、そのまま企業や投資家にとっての利益を表している。これこそ、カナダにとって純輸出減少という先の公式予測にもかかわらず、EUだけでなくカナダもこの合意を進めようとする理由に他ならない。
ここからは、そもそも自由貿易協定の「自由」とは何なのかというより根本的な論点が浮かび上がる。自由主義のチャンピオンの一人であるフリードマンは「競争という言葉が表すものは二つあり、両者はだいぶ様子が違う」と言う。「日常生活では、競争と言えばライバル同士が競り合い、互いに相手に負けまいとする様子が思い浮かぶ。だが経済の世界で言われる競争は、ほとんど正反対の様相を呈する。競争市場では、個人的には張り合うということはない。小麦の生産農家とお隣の農家は自由市場では競争関係にあるのだが、お隣が競争をしかけてくるとか、こちらが出し抜くといったイメージはない。市場はこのように、人の顔が見えないという基本的な特徴を持つ。市場で商品なり仕事なりを手に入れるときの条件は、個々の参加者が決めるわけではない。市場参加者は、どんな値段も市場が決めたものとして受け取る。値段は、参加者それぞれの行動が積み重なった結果として決まるけれども、一人ひとりにはこれといった影響力はない。/しかし、特定の個人や企業があるモノやサービスの価格条件その他をほぼ決定できるような力を持っているときには、独占が発生する。この場合、個人的な勢力争いがいくらか関係してくるので、ある意味で一般的な意味での競争に近くなる」[8]。
もう明らかであろう。CETAは少数の企業が「価格条件その他をほぼ決定できるような力を持(つ)…一般的な意味での競争」にすぎず、経済学ではそれを「独占」と言う。
TPPは日本経済にとっての起爆剤になる、農業も市場で競争して鍛えられるといった言説が流布している。しかし、これは、家族経営農家や地方自治体の事業を担うはずの地元の零細企業が、カーギルやモンサントを始めとする「顔が見える」巨大企業を相手にすることに他ならない。つまり少数の多国籍企業が利益を得ても、それが農家や中小企業、労働者など「99%」の普通の人々の利益と一致する保証はどこにもない。したがって、問われているのは、日本対米国、EU対カナダといった国対国の対立でもない。日頃、完全競争の効用を説いている主流派経済学の人たちは、なぜこのような独占的な経済貿易協定に反対しないのか、私には疑問でならない。
もちろん、国際的な経済協力関係を深化させることを否定するものではない。しかしそれはCETAやTPPという方向なのか、それとも各国の労働者を中心とする世界の市民が連帯して作り上げていくべきものなのか、今、世界のあり方が問われている。