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高橋 豊治 【略歴】
高橋 豊治/中央大学商学部教授
専門分野 証券投資論、金融工学
日本の報道では「リーマン・ショック」という表現をよく聞くが、海外ではあまり聞かない。ここでは「『ショック』という言葉が適切でない」などというつもりはない。海外の報道では、「石油ショック(oil shock)」ではなく「石油危機(oil crisis)」が一般的だが、日本では、石油ショック、ニクソン・ショック、今回のテーマでは、パリバ・ショック、リーマン・ショックという「…ショック」という表現を好んでするのは、確かに非常に興味深い。こうした表現に潜む文化的な背景についても考えたいものだが、今回それはその道の専門家に譲ることにしよう。
2008年9月15日、ウォール街(マンハッタン、ニューヨーク)の名門投資銀行の一つであるリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻、連邦破産法(chapter11)に基づく会社更生/精算手続きを申請した。これを契機とした金融市場の混乱から、世界的な金融危機が生じ、世界経済は苦境に陥ることになる。これが世に言う「リーマン・ショック」である。しかし、この文章は、多分に表面的で、リーマン・ブラザーズの経営破綻は、象徴的な事柄ではあったものの、契機であった訳ではない。
以下では、「リーマン・ショック」と呼ばれる状態が生じるまでの流れを見ることで、「リーマン・ショック」とは何だったのかを考えることにしよう。
どの様にして「リーマン・ショック」が生じたのかを考えるには、時計の針を1990年後半まで戻す必要がある。1990年代後半といえば、ITバブル、ドットコム(.com)・バブルと呼ばれていた時期である。このバブルは、ナスダック(NASDAQ)総合株価指数が、2000年3月にピークを付けた後、弾けることになる。IT株を中心に、株価は2000年から2001年に渡り下げ続け、米国連邦準備制度理事会(FRB)は、市場の混乱と経済停滞の対策として、金融緩和措置を採ることになった。
こうした金融緩和措置も追い風となり、世界経済は、「大いなる安定」(“great moderation")の時代を迎えることになる。物価・金利が低い水準で安定した状態で、経済成長を続けることができた(もっとも、あとから見れば、「大いなる安定」は「大いなる幻想」だったと言うべきか。)。一方で、金融緩和に伴う低金利と景気の拡大は、資産価格の上昇、株価や不動産価格の上昇をもたらすことになった。
特に米国では、住宅市場の好況に乗じた金融機関は、プライム(prime)と呼ばれる優良顧客にとどまらず、優良顧客よりも返済能力の劣る、低所得者層への貸し出しを拡大させることとなる。これが、サブプライム・ローン(sub-prime loan)である。サブプライムとは、プライムの下、債務不履行の可能性の高いという意味である。不動産価格の上昇は、不動産の担保価値を増大させ、金融緩和に伴った低金利と相まって、サブプライム・ローンの貸出残高は増大した。さらに、サブプライム・ローンを組み込んだ複雑な住宅ローン証券化商品(mortgage backed securities: MBS)が作り出されることになり、金融緩和による資金の運用先として、米国にとどまらず各国の金融機関が投資対象として積極的に組み入れた。これがさらに資金の流入を生み、住宅市場の活況を加速させることになった。
しかし、こうした住宅市場の活況も、やはり永遠に続くことはなかった。2006年に入ると住宅着工件数が低下、不動産価格は下落を始める。金利の上昇に伴い変動金利型のサブプライム・ローンを中心に、住宅ローンの差し押さえ件数が増大し始める。住宅バブルの崩壊である。
こうしたなか、2007年06月には、米大手投資銀行のベア・スターンズ(Bear Sterns)傘下のヘッジ・ファンド2社が破綻する。このあたりから、サブプライム・ローン関連の証券化商品を運用していたファンドが次々に資金調達難に陥った。8月には、フランスの最大手銀行BNPパリバ(BNP Paribas)が、関連証券の市場混乱をきっかけに、傘下ファンドの解約を凍結した。市場関係者の間では、「パリバ・ショック」と呼ばれていて、米国の不動産バブルの崩壊が、世界規模の金融危機に発展するきっかけになったと考えられている。こうした傘下ファンドの危機が大手銀に飛び火し、2008年3月にはベア・スターンズが破綻、7月に入って政府系住宅金融機関2社に米国財務相とFRBが支援策を表明する、そして9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻へと続く。その後も、翌16日には米保険最大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に対するFRBの支援策が発表されるなど、金融市場の混乱とそれに伴う経済不安が、米国だけではなくヨーロッパをはじめ世界各国に波及していく。これが欧州財政危機(Euro Sovereign Crisis)の発端となっている。
各国政府は公的資金投入や景気刺激策づくりに追われた。当時のFRB議長だったアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)は、議会での証言で「100年に一度の信用津波」(“a once-in-a-century credit tsunami")という表現を使って、危機の大きさを伝えている[1]。ところで、われわれの共同研究では[2]、この「津波」の日本経済への影響を分析した結果、住宅バブルを震源とする「津波」による日本の金融機関への直接の被害は軽微で、むしろ製造業への影響が大きかったこと、また、「津波」の被害を食い止めるためには、国際的な協調が重要であることを確認している。
このように流れを見ると、リーマン・ブラザーズの経営破綻は、象徴的な事柄ではあったものの、契機であった訳ではないことがよくわかるだろう。ITバブル崩壊に伴う金融緩和策が、住宅バブルを生み、その崩壊が…。いささか単純すぎる図式ではあるが。
米国では、最近、対象は住宅ではなく自動車だが、再びサブプライム・ローンが増大しているという。過去10年間の大半は自動車関連の債務の伸びは緩やかだったが、2010年に7000億ドルだった自動車ローン残高はこの3年間で25%も急拡大し、これが自動車販売の急速な伸びにつながり、米自動車大手が潤っていると報道されている[3]。羹に懲りて膾を吹いていた金融機関が、喉元過ぎれば熱さを忘れ、新たなバブルに酔いしれないよう、「リーマン・ショック」を真の意味での教訓とする必要があるだろう。