北 彰 【略歴】
北 彰/中央大学法学部教授
専門分野 ドイツ文学、パウル・ツェランを中心とする現代抒情詩
今日では、「カフカのプラハ」に倣い「ツェランのチェルノヴィッツ」とも称されている。ツェランはホロコーストの詩人として、またモダニズム最後に位置する難解極まりない詩を書く詩人として知られている。戦後ブカレストで3年近く暮らし、やがて非合法裏にウィーンに脱出、そこで半年ほど過ごした後は、1948年から自死するまでパリに住んだ。
ツェランの詩には闇が遍在している。その闇から浮かび上がってくるものは様々だが、まず現れ出てくるのは第2次世界大戦であり、戦争で亡くなった死者たちの姿である。
彼には兵士としての戦場体験はなかったが、ユダヤ人として迫害に晒され、命の危険を常に感じていた。まだ若く学生だった彼は、労働収容所における強制労働を生き延びることができたが、母は強制収容所で銃殺され、父は病死している。一人自分だけが生き残った彼は、生き残った者に共通の深い罪責感を終生持ち続けた。
人間が「国家」という名の下に殺人を正当化できる生き物であること、またイデオロギーの衣装を着ければ、他者を差別し容赦なく殺人まで犯せる生き物であることを、殺人現場で彼は心に深く刻み付けたと思われる。しかもその「国家」を形成する「民族」たるや、彼が敬愛する文学的精神世界を形作っていた詩人や作家を輩出した民族であり、しかもツェランの母語はその民族の母語であるドイツ語なのだ。
ツェランはしたがって、両親やユダヤ人を殺した者の言葉によって、自分の内面を表現したことになる。母語以外7ヶ国の言語に通じ、フランス人の妻を持ちフランス語で生活していた彼が、例えばフランス語で詩を書くことは可能であったろう。しかし彼は「詩は母語でしか書けない」と信じていた。内面深く現れ出ようとしている「もの」に言葉を与える精緻きわまりない作業は、母語でしかなしえない、というそれは信念であったろう。母語がドイツ語であったツェランは、結果的にいわば「敵」の言葉で「詩」を書き、それを「敵」の言葉を読む者たちに届けることになったのである。何という逆説、何という矛盾だろうか。しかしツェランは敵を殺すためにではなく「握手をするために詩を書き」ドイツの読書界にデビューしたのである。
ツェランの詩はドイツ人に対する鋭い批判を内包するものだった。ドイツ人たちはいったいどのように彼の詩を読んでいたのだろうか。ツェランの詩を読むドイツ人の姿を想像するとき、脳裏に浮かぶのは金時鐘の詩を読む日本人の私の姿である。
金時鐘は皇国少年だった。同化政策により母語である韓国語を奪われ、日本語で教育を受け、日本語が母語となった。彼が受けた帝国主義下の植民地弾圧や戦前戦後における民族差別、それは戦争と同じく人間のエゴイズムと残酷さを表わす歴史的現実である。
彼の詩を読む私はどこかで居心地の悪さを感じている。その居心地の悪さは、自分が日本人であることから来ている。かつて宗主国であった日本の「国民」であった私の祖先たち、また戦後朝鮮戦争を契機として東西冷戦の中、経済復興をなしとげ経済大国となった戦後日本の「国民」であった自分自身。そういった祖先を持ち戦後日本の経済繁栄の中で繁栄の恩恵を享受してきた自分の姿が、金時鐘の詩と向かい合うとき、自ずと浮かび出てしまうからである。金時鐘の詩が、鏡として機能していると言ってもよい。
ツェランの詩も同じくドイツ人にとっては鏡であったろう。
しかしツェランはドイツ人の鏡になろうとして詩を書いたわけではない。自分と言うかけがえのない個人の内面風景に言葉を与えていっただけである。立ち止まって詩の言葉の背後を注意深く覗き込むと、そこから彼の記憶が現れ出てくる。戦争の犠牲者、すなわち死者たちの姿もそこにはある。ツェランの詩は、詩を読む者を否応なく歴史の現実認識へと誘い込み、感覚と想像力を刺激するのである。それはツェランの詩が孕んでいる暗闇の持つ力である。彼自身が、闇を深めるために詩を書くのだ、とそう言っている。
愛するものを殺されることの痛みが、ツェランの詩の核に潜んでいる。
あくまで個人の心や体験に立脚点を持つツェランの詩の言葉—文学の言葉—からみると、2014年現在日本の国の中で流布している言葉、例えば「愛国心」「集団的自衛権」「積極的平和主義」などの言葉に対しては、激しい違和感が生まれるのである。
国とは個人にとって一体何なのだろう。誰もが持つ国土や家族、自国文化への愛情と、政治組織である国家とは峻別されるべきものである。
また「戦争」は、人間がなす最大の悪の一つであり、残酷きわまりないものである。そして生き延びた者に精神的な傷を負わせる。ツェランが一例である。
仮に国家が戦うとするなら、国家の構成員全員が、武器を持って戦うシステム、すなわち徴兵制を施行するのが論理的結論というものだろう。「アメリカに戦うことを任せることができるのか」と言う問いかけは同時に、「自衛隊員に戦うことを任せることができるのか」と言う問いかけと等価である。自衛隊員が戦えば自分が戦っていることになるのだろうか? いや自衛隊員が戦うことと、自分が戦うこととは全く別のことである。
閣僚、国会議員、中央官庁課長職以上の者の子弟並びに孫などを、真っ先に徴兵し一番危険な戦地に送る法令と抱き合わせで徴兵令を施行すること、それが文学的文脈からするなら求められる論理的結論である。
「国」の指導者として、そうする覚悟を持った人が、勇ましい言葉を話す人の中にどれほどいるのだろうか。息子を総理大臣や国会議員にはしたがるが、決して一兵卒にしようとはしない、そういう人はいるのだが。
2014年にツェランを読みながら思うことである。