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宇佐美 毅

宇佐美 毅 【略歴

NHK「朝ドラ」の魔力

宇佐美 毅/中央大学文学部教授
専門分野 日本近現代文学

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1.テレビドラマを研究するということ

 私は村上春樹をはじめとする現代小説の研究者であると同時に、演劇・映画・テレビドラマなどを含めた総合的なフィクション研究を指向してきた。中でもとりわけテレビドラマを重視しているのは、多くのジャンルの中でも特に享受者が多く、現代に生きる人びとの気持ちを反映していると考えられるからである。

 その点から言えば、マンガやアニメも同様である。私が子どもの頃には「マンガばかり読んでいないで勉強しなさい」と怒られたものだが、今では、海外で受容される日本文化の代表としてまずマンガやアニメが考えられ、それらを除いて日本文化を考えることはできなくなっている。にもかかわらず、いまだに「マンガは娯楽」「テレビドラマは通俗」といった偏見が、大学などのアカデミックな世界にも残っている。しかし、現代文化を総合的に考えようとすれば、これほど多くの人びとを惹きつけているメディアを研究の対象から外せるはずがない。

2.「朝ドラ」の特殊性

 私は最近、『日本経済新聞』でNHKの「連続テレビ小説」(いわゆる「朝ドラ」)についての連載をおこなった(2014年3月毎木曜夕刊の文化欄に掲載)。そこで、今回はこの「朝ドラ」について考えてみよう。

 日本に住む私たちは朝ドラという形式を当然のように思っているが、1日15分のドラマを毎朝放送するという形式は世界でも珍しい。韓国には毎朝30分のドラマ枠が複数あるが、日本より長いし、毎日何作か続けて見る視聴者が多い。

 テレビドラマ視聴率は、歴史的に見れば下降傾向をたどっている。インターネットやゲームなどの娯楽が多様化し、ほしい情報がいつでも手に入る現代社会において、毎週1回の民放ドラマや毎日15分だけの朝ドラを見続けるというのは、今や時代遅れの受容形態であるという研究者・批評家の意見もあった。その意見によれば、放送時間に合わせて視聴するという形態は廃れていき、今後はネットを使ったオンデマンド方式に完全に代わられるのだという。

 しかし、朝ドラなど近年のテレビドラマが元気さを取り戻しているとすれば、そのような予測は必ずしも正しくないのではないか。

3.「不自由」が作る生活リズム

 昨年秋、「あまロス」という奇妙な言葉が流行った。『あまちゃん』終了後にファンたちが陥った喪失感のことである。この言葉が含意するものは、朝ドラが趣味や娯楽というよりもむしろ生活の一部であり、一種の日課のようなものであったことである。実際に、『あまちゃん』に「はまった」人びとにとっての朝ドラは、出勤前のBS放送であれ、夫を送り出した後の朝の地上波であれ、勤めから帰宅した後の録画視聴であれ、それを毎日見ることが生活の一部だった。それを失った時には生活のリズム自体が成り立たなくなるという種類のものなのである。

 そのように考えると、あらゆる情報が便利に手に入る現代において、毎日15分しか見られないという究極の「不自由さ」をあえて受け入れる理由が理解できる。むしろ「不自由だからこそ生活に必要」という逆説をもっとも高度に実現しているのが日本の朝ドラという形式なのである。

4.毎日同じ人に会う

 もう一つ重要なことは、朝ドラは必ずしも先を急がないことである。物語には「早く続きが見たい」と思わせる作品もあるが、朝ドラは必ずしもそうではない。その種のドラマであればもっと劇的な事件をたびたび起こすだろうし、1日15分ではとうてい視聴者が満足できないことだろう。

 しかし、朝ドラは毎日「同じ人に会う」ことに意味がある。その点では、学校のホームルームで毎朝担任の先生に会うことや、始業前の打ち合わせで上司や同僚とその日の業務を確認することに近い。そこでは、毎日授業や業務に向かう気持ちが整えられることが重要なのである。あるいは、夜に録画視聴する人にとっては、仕事からプライベートへ戻るときの、素の自分への切り替えの合図でもある。

 だからこそ、朝ドラに重要なのは「事件」ではなく「人」なのだ。毎朝元気に仕事に向かう気持ちにしてくれる明るい笑顔や、仕事から帰ってほっとした気持ちにしてくれるあたたかい微笑みが見たい…。朝ドラのヒロインはスーパーウーマンにも名探偵にもなる必要はない。

5.「朝ドラ」のヒロインたち

 その意味で、先月まで放送されていた『ごちそうさん』は朝ドラの典型だった。劇的な展開はなくても、人から感謝の言葉を聞くことを生きがいとした主人公の思いに触れることが、視聴者の日々の生活を明るくしてくれた。

 振り返れば、朝ドラはさまざまなヒロインたちを描いてきた。弁護士、将棋棋士、大工、和菓子職人、料理人、落語家、医師といった、女性の少ない職業に挑戦するヒロインたちを描くこともあれば、社会に目立った活躍はしなくても、周囲を明るく照らす光のような女性たちを描くこともあった。その誰もが、視聴者にとって「毎日会いたい」ヒロインたちだったのである。

 今回の朝ドラ『花子とアン』では、翻訳家・村岡花子の人生を脚本家・中園ミホが描く。その中園には、女性と職業の関係を描いた民放の現代ドラマ『ハケンの品格』という話題作があった。今回は朝ドラの長大な時間枠によって、ヒロインの物語の世界への目覚めから始まり、翻訳者としての成長の軌跡を描いていくことだろう。

 どんなに古い時代の女性を描いても、朝ドラは変わらずにその魔力を発揮し続けている。

宇佐美 毅(うさみ・たけし)/中央大学文学部教授
専門分野 日本近現代文学

テレビドラマを学問する

1958年東京生まれ。1980年東京学芸大学教育学部卒業。1990年東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。博士(文学、中央大学)。中央大学文学部専任講師・助教授を経て1998年より現職。
村上春樹をはじめとする現代文学を歴史的観点から考察し、明治期以降の日本の小説史に位置づける研究をしてきた。加えて、近年は文学に映画・演劇・テレビドラマ等を加えた総合的なフィクション研究を提唱しており、特にテレビドラマ研究を重視している。 主要著書に『小説表現としての近代』(おうふう)、『村上春樹と一九八〇年代』『村上春樹と一九九〇年代』(共編著、おうふう)、『テレビドラマを学問する』(中央大学出版部)などがある。
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