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トップ>オピニオン>望まない妊娠と法制度―母の利益と子の利益をめぐるドイツの新法が示すもの

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鈴木 博人

鈴木 博人 【略歴

望まない妊娠と法制度
―母の利益と子の利益をめぐるドイツの新法が示すもの

鈴木 博人/中央大学法学部教授
専門分野 家族法・児童福祉法

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 何らかの理由で意図しない妊娠をしたり、妊娠後に生むことができない事情が生じたときに、日本ではどのような制度が用意されているだろうか。

母体保護法による対応

 母体保護法は、暴行若しくは脅迫により抗拒不能な状態での姦淫による妊娠(14条2号)の場合に、本人及び配偶者の同意を得て、同法の指定医師は人工妊娠中絶を行うことができると規定する。「母性の生命健康を保護することを目的とする」(1条)同法の中では、やや異質の理由を掲げる条項である。

 母体保護法による対応が出産前の対応とするならば、望まない妊娠への出産後の制度的対応はどのようなものが用意されているのだろうか。結論から言うと、望まない出産にのみ焦点を合わせた制度は存在しない。児童福祉法や母子保健法の枠内で、あるいは一部は民法の養子制度を用いて、望まずに生まれた子やその母への対応が行われることになる。

多い日齢0日児死亡

 厚生労働省が毎年公表している虐待死亡事例の検証報告によると、虐待死亡事例のうち最も多いのは、出産後24時間以内のいわゆる日齢0日児の死亡である。この加害者は実母である。その7割が望まない妊娠事例である。妊娠期の問題として指摘されているのは、母子健康手帳の未交付、妊婦健康診査の未受診である。出産時の特色としては日齢0日児事例では医療機関での出産事例は皆無であることである。

ベビークラッペ

 何らかの事情によって、子の出産を明らかにできない女性がいるのは、日本に限ったことではない。遺棄等によって命を落とす赤ん坊がいるのも同様である。このような事情を前にして、ドイツでは、1999年にベビークラッペと呼ばれる赤ちゃん預け入れの仕組が民間団体によって設置された。ベビークラッペが法的にはグレーゾーンにあるというのも、熊本市の病院が設置しているドイツのベビークラッペに範をとった「こうのとりのゆりかご」の日本国内での位置づけと類似している。

秘密出産法

 そのドイツでは、2014年5月1日から新しい法律が施行される。この立法理由には、望まない妊娠について考えていく上で、参考にすべき視点が盛り込まれている。法律の名称は「妊婦のための援助構築法―秘密出産法」という。この法律が制定された直接的な動機は、ドイツで毎年発生する20件から35件の子の出産直後の遺棄や殺害の存在である。ベビークラッペへの匿名の預け入れという方法も、母子にとっては、適切な医療的援助を得ずに出産するという危険を減じるものではない。未だ生まれていない子の生命の保護と出産時の母子の医学的な世話の両方が確保されねばならないのにそれが実現していないのは、子を遺棄する母の利益とその子の利益を等しく正当に評価する制度がドイツに存在しないからだというのである。ここで示されている重要な視点は、子を危うい状態で出産しその子を遺棄することを考える母の法的利益と、生まれる前から生まれた後に引続く子の福祉の確保という法的利益は、この場合には時に相容れないものであることが正確に認識されていることである。他方、きちんとした医療的な世話を保障されて出産するということは、母子双方にとって共通して必要なものである。

 そこでドイツ連邦家族・高齢者・女性・青少年省は「秘密出産法案」を提案したのである。この法律は、自分の名前を明かしての出産に不安を抱いている妊娠女性に、病院の医学的管理下での出産を確保し、子どもとの生活を選ぶことができるようにするための援助を提供するという姿勢を基本に据えている。そのためには、妊婦の匿名性の利益を守り、特別に負担を負った女性にそもそも援助を受ける気にさせる、敷居の低い、いつでも連絡可能で、信頼できかつ継続的な支援制度を用意しなくてはならないという。特に注目すべきは、実母が援助を受け入れることができ、そして自分の抱えている問題状況の解決可能性を見出すために、十分な期間、実母の情報の匿名性を保証する点である。他方で、子に自らの出自を知る方法も公的手続きのなかで確保することを目指している。当然、養子法、親権法等も必要な改正がなされている。

母の利益と子の利益

 日本での今後の議論で必要なのは、母の利益と子の利益とは何か、そこでは何が対立して、何が一致しているのかを見極めることである。また父の利益や子を養育する家庭の利益も考慮しないわけにはいかない。ドイツ法が教えるのは、母の匿名性の一定期間の確保と子の出自を知る権利は対立するものであり、その調整には時間がかかるということ、さらには相当長期の時間が経過してもその対立が解けなかったとき(母の匿名性の要請が長期間の経過後にも依然として存在するとき)はどうするのかを規定しておくこと、他方で母子が共通して必要としている、医療的な措置の下での安全な出産を確保しなければならないということである。

 本法の法案説明では、この道がうまくいけば、ベビークラッペが存在する必要性もなくなるだろうとされている。

鈴木 博人(すずき・ひろひと)/中央大学法学部教授
専門分野 家族法・児童福祉法
中央大学法学部法律学科卒業。中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。茨城大学助教授を経て2002年より現職。また、中央大学大学院法務研究科教授、ミュンスター大学客員教授を歴任。2013年4月よりウィーン大学法学部私法研究所で在外研究中。
研究テーマは、親子福祉法の日本とドイツの比較法研究。家族法、とりわけ親子法分野の諸制度を児童福祉制度との連携を企図した総合的な制度として構築することを提案している。代表的な著作に『子どもの福祉と共同親権 別居・離婚に伴う親権・監護法制の比較法研究』(共著/日本加除出版)