犬飼 知徳 【略歴】
犬飼 知徳/中央大学大学院戦略経営研究科准教授
専門分野 経営学
このショート・エッセーの目的は、2000年代以降のグローバル経営論を巡る論争について簡単に概観した上で、日本企業のグローバル経営のあり方について考察することにある。
グローバル経営についての研究は、現在進行しつつある企業経営のグローバル化を理解するための視点を巡って2つの考え方が対立してきた。その2つとは、①フラット化と②セミ・グローバリゼーションである。
世界はフラット化しつつあるという主張の主唱者は、ピュリッツァー賞を3度受賞した経済ジャーナリストのトマス・フリードマンである。彼が主張したフラット化とは、グローバルなビジネスにおいては競争の条件が標準化されたことによって、先進国や新興国と言った区別もなくなり、どの国の企業であれ、さらには個人であれ、グローバル市場において対等に競争できる共通基盤が整いつつあることを指している。
それに対し、HBSのゲマワットは世界はフラットにはほど遠く、昔ながらの文化の違いや、制度の違い、地政学的な条件など様々な地域差を考慮しなければ競争優位を構築することはできないと主張した。
実際にはこの両者の主張は、本質的に対立しているわけではなく、同じ現象の別の側面を強調しているだけで相互に補完的な視点だと考えられる。フリードマンは10年前と現在を比較した相対的なグローバル化の進み具合に注目したのに対して、ゲマワットは絶対的なグローバル化の程度に注目したのである。より直観的に両者の主張の違いを理解するために、水の入ったコップをイメージしてみよう。フリードマンは、ほとんど水が入っていなかったコップに1分目くらいまで水が注がれた状況を見て、著しい変化だと主張したのに対し、ゲマワットはその水の量ではコップを満たすにはほど遠いと主張したのである。つまり、両者の論争から導きだされるグローバル経営の現状は、ここ10年で急激に進んだけれども、絶対的な水準としては未だ様々な評価軸において完全にフラットな状況のせいぜい10%程度しか進んでいないのである。
この現状認識をふまえて、日本企業のグローバル経営について考えてみよう。結論を先取りすると、私はいずれの視点から日本のグローバル経営を評価しても、適切な対応ができていないと考えている。それぞれの視点からなぜどのように対応が適切でないのかを説明していこう。
ここまで述べてきたように、日本企業の多くはフラット化にも、セミ・グローバリゼーションにも十分に対応できているとは言いがたい。現在グローバル化において苦戦している企業を観察すると、自社にとって不利なルールにしたがって、「グローバル化しなければ」という強迫観念に捕われて焦って空回りしているように見える。グローバル経営に興味を持っている学生諸君には、ぜひ本稿で示した現状認識をふまえて、日本のグローバル経営のあり方について研究してもらいたい。