宇佐美 毅 【略歴】
宇佐美 毅/中央大学文学部教授
専門分野 日本近現代文学
今クール(2013年7月~9月期)のテレビドラマには高視聴率作品や好評の作品が多かった。中でも『半沢直樹』(TBS系)は視聴率が高く、多くのメディアがこの作品について取り上げていた。私自身も『日本経済新聞』(8月12日夕刊)やTBS『サンデーモーニング』(8月25日放送)などのインタビューに答え、この作品についてコメントをしてきた。そこでのコメントをここではもう少し掘り下げて考えてみよう。
私は、この『半沢直樹』という作品を「サラリーマン時代劇」と呼んで意味づけた。善悪をわかりやすく描き分け、悪人(銀行を裏切った上に責任を部下になすりつけた上司)の不正をあばいて主人公が最後に成敗するというストーリーは、まさに「時代劇」を現代のサラリーマン社会に置き換えたものと言える。
ただし、「善悪をわかりやすく」描けばそれで視聴率がとれるというほど、ドラマの世界は単純ではない。『半沢直樹』はそれにプラスして、「共感」と「憧れ」という2つの異なる感情を視聴者から同時に引き出すことに成功している。
上司の犯罪の責任を押しつけられる『半沢直樹』の主人公の状況ほど過酷な事例は少ないとしても、上司に恵まれないとか、理不尽な仕事をおしつけられるとかといった状況は、組織で働く人間なら多かれ少なかれ体験することであろう。その点で、多くの視聴者は半沢の置かれた状況を自分のことのように「共感」することができた。その一方で、半沢ほど露骨に上司に逆らったり、大逆転で上司の不正をあばいたりすることは、普通のサラリーマンにはとうていできない。そんな自分たちのできないことをやってのけた半沢に、多くの視聴者は「憧れ」の感情を持ち、留飲を下げたのである。
私は、村上春樹をはじめとする現代文学を日本の小説史に位置付ける研究をしてきた。その一方で、現在は「テレビドラマ研究」にも力を注いでおり、昨年『テレビドラマを学問する』(中央大学出版部刊)という著書を刊行した。また、中央大学で「テレビドラマ論」の講義をおこなっている。
現在の大学生はあまりテレビドラマを見ないと言われているが、講義を始めてみると予想以上の履修者が集まった。しかし、その多くは、普段からテレビドラマをよく見ている学生たちではない。むしろ、講義を受けてみて、「テレビドラマを研究対象にするなんて今まで考えてみたこともなかったけど、扱ってみると面白いですね」といった反応をする学生がもっとも多い。
私は「テレビドラマ論」の講義において、昨年度は脚本家の個性を、今年度は時代背景とドラマの関係を重視して講義してきた。昨年度は野島伸司、岡田惠和という現代の代表的脚本家のドラマを継続して見ることによって、文学研究の作家論と同様にテレビドラマの脚本家論が成り立つことを講義した。今年度は「テレビドラマの戦後史」をテーマに講義し、テレビドラマがいかにその時代を反映しているかを考えてきた。このように、テレビドラマを対象とした研究にはさまざまな広がりが考えられる。
その後者の観点から言うならば、『半沢直樹』高視聴率の要因は、やはり現在の時代状況と密接にかかわっていると見ることができる。私は現在のテレビドラマの状況を1990年代後半とかなり強い共通性があると考えて、新聞や雑誌の取材にもそのように答えてきた。
1990年代後半とは、1980年代後半のバブル景気時代と、1990年代前半のバブル崩壊期を経た後で、その困難な状況を少しずつ乗り越えようとした時期だった。空前のバブル景気時代には『抱きしめたい!』(1988年、フジテレビ系)や『愛しあってるかい!』(1989年、フジテレビ系)などのトレンディドラマが流行し、バブル崩壊期には『家なき子』(1994~95年、日本テレビ系)や『この世の果て』(1994年、フジテレビ系)といった貧困や不幸を描いたドラマが流行した。1990年代後半には、『彼女たちの時代』(1999年、フジテレビ系)のように、夢を見られなくなった若い女性たちのリアルな「自分探し」の物語や、型破りな高校教師を描いた『GTO』(1998年、フジテレビ系)のようなテレビドラマが制作された。
『半沢直樹』の発しているメッセージは、かなりシンプルなものである。困難な状況の中でも「やられたらやり返す。倍返しだ!」を叫ぶ主人公は、「理不尽な状況を押しつけられても最後まで立ち向かえ」「組織に押しつぶされるな。頑張れば道はひらける」と視聴者を叱咤激励しているように感じられる。
リーマンショックから5年、東日本大震災から2年を経た現在、そろそろ不況や困難な状況から抜け出す具体的な希望の形を見せてほしいという視聴者の願いが、半沢直樹には反映しているとも言えるだろう。そんな半沢直樹というキャラクターは、『GTO』鬼塚英吉の姿と重なり合うものがある。鬼塚は、バブル景気とその崩壊期を経験し、確固たる価値観を持てなくなっていた1990年代後半の若者たちに、かなり荒っぽいやり方で夢や友情の大切さを説いたのだった。そのシンプルな力強さが半沢と共通するところである。
このようなテレビドラマの戦後史と照らし合わせてみたとき、困難に立ち向かう主人公を描くドラマは、不況などの困難な時期を乗り越えようとした時期に強く見られる傾向があることがわかる。それをリアルに描くかシンプルにわかりやすく描くかの違いはあるものの、好景気期のような底抜けの明るさや、不況期のどん底の暗さとは異なるドラマの雰囲気がそこに認められるのである。
だとすれば、困難に立ち向かう人物をリアルに描こうとする『Woman』(日本テレビ系)のような作品を1990年代後半の『彼女たちの時代』と同じ役割を持つ作品として位置づけることができるだろうし、シンプルでわかりやすいメッセージを発する『半沢直樹』を『GTO』に呼応する作品として現代に意味づけることが可能である。
テレビドラマは小説や演劇・映画以上に多くの人びとの受容対象となってきた。そのため「テレビドラマは通俗・娯楽に過ぎない」といったレッテルを貼られることもあった。しかし、多くの人びとの心のあり方やその願いを如実に反映するメディアだからこそ、テレビドラマはこれまで以上に研究対象とされる必要がある。人びとの心をつかむ作品の根底には何があるのか。そのような課題を明らかにすることは、今後のテレビドラマ研究・フィクション研究が果たすべき重要な役割である。
テレビドラマを学問する