トップ>オピニオン>“ねじれ解消”政治は変わるか―都議選、参院選を読む
佐々木 信夫 【略歴】
佐々木 信夫/中央大学経済学部教授
専門分野 政治学
「与党圧勝 ねじれ解消!」と大事件でも起きたかのように大見出しが躍った参院選から1週間。自民大勝で山は動くのか。しかし熱は冷め、街は静けさを戻し、人々は夏休みへの思いに馳せている。
参院選の結果について世論調査は、衆参ねじれが解消して「よかった」(53%)が、「よくなかった」(24%)を大きく上回り、概ねプラスの評価。一方、自民党の今後の政策については「期待の方が大きい」(41%)と「不安の方が大きい」(39%)と拮抗している。また、自民党が大勝したといっても、与党投票層でも「自民が評価された」が27%で、「野党に魅力がなかった」が57%を占め、これが野党投票層、無党派層になると自民への評価は概ね10%で、野党が魅力なかったが約70%を占めている(朝日新聞2013年7月24日)。
これは昨年末の衆院選の自民大勝について、「自民への支持の強さというより、民主への拒否の結果と判断すべき」と石破自民党幹事長がコメントした見方とほぼ符合している。
この半年余、日本は“選挙”に明け暮れたといってよい。昨年12月の衆院・都知事のダブル選挙、1ヶ月前の都議選、そして今回の参院選と大型選挙が相次いだ。有権者には絶好の政治参加のチャンスだったはずだが、投票率は低かった。都議選は史上2番目に低い43.5%、参院選も3番目に低い52.6%。有権者の約半分しか投票に行かなかったことになる。戦後、国選、地方選を問わず投票率が80%~70%台が続いた70年代までと比べ、隔世の感が強い。人々は豊かになったのか、政治不信が底なしなのか、いつの間にか「お任せ民主主義」が定着したのか。若者の政治離れ、無関心層の増大は、ネット選挙解禁でも大きくは変わらなかった。
このところの選挙は、選挙前こそ原発、改憲、外交、税金、年金、雇用といった争点が並ぶが、いざ選挙戦に入ると、「政権交代」か「ねじれ解消」かといった政権のあり方をめぐる単一争点に話がすり替わる。黒か白かを選べという点では分かりやすいが、政策選択にはなっていない。単一争点化に乗じ有権者は4年前、民主党の政権交代大合唱を支持した。今回は自民党の衆院選、参院選を通じて叫び続けた「ねじれ解消」を支持した。
しかし、考えてみると、4年前の本格的な政権交代で政治は大きく変わったのか、55年体制下の自民、93年以降の自公連立下では衆参での”ねじれなき”期間が圧倒的に長かったはずだが、そこで決められない政治はなかったか。ねじれなき政権下で国民の琴線にふれる政策がどんどん生まれたか。“鶏は3歩歩くとすぐ忘れる”と言うが、いま私たちにその傾向はないか、よく考えてみなければならない。ねじれが問題の本質ではない。ただ、経済再生、アベノミクスへの期待感が強いのは事実。すがる思いで自民党を大勝させた有権者も多いに違いない。それだけ経済が傷んでいることも事実である。
“選挙”は私たちの代表を選ぶ儀式。しかし、その本質はどんな政策を託すか、その運転免許を与える政党、候補者を選ぶ、有権者との契約機会である。だから、裏切った政党、政治家は退場を迫られ、期待感を持たれた政党や候補者が迎えられる。その点、市場メカニズムに意思決定を委ねる民間分野と違い、政治メカニズムで意思決定を行う公共分野で選挙は不可欠である。しかし問題は、“負担は小さく・サービスは大きく”といった耳触りのよい、しかも実行可能性の危うい大衆に媚びる政策がバラ撒かれていないかどうか、よく吟味してかかる必要がある。選挙は始まりであって終わりではない。問題はこれからなのである。
6月23日の都議選。4年前、都議会で44年ぶりに自公与党が過半数を大きく割り、民主党に過半数を与えた。石原都政の少数与党は築地市場、新銀行、五輪招致などで民主党と対立、政治は混乱した。この6月の都議選はその知事―議会のねじれ解消が決戦の大義だった。結果は表のように「自公完勝」、「みんな、共産善戦」、「民主完敗」。ねじれは解消した(過半数は64)。
生活=生活の党、みどり=みどりの風、維新=日本維新の会
図1 都議選の獲得議席
筆者はこの「都議選」についてある新聞に次のように評した。
―残念ながら、争点なき、風なき選挙だった。それが低投票率(43.5%)に表れている。有権者には、前回投票した民主党に期待を裏切られたという思いがあった。みんなの党や維新の会には第三極として有権者の琴線に触れる政策提言があればブームになった可能性があるが、その能力はなかった。その結果、都民は選択肢のないまま投票日を迎え、衆院選の流れに乗じて自民党が大勝して、参院選の予備選のような様相となった。猪瀬都政にも何を目指すのかの「旗」が見えず、停滞感がある。―(毎日新聞/2013年6月24日)
もとより選挙が低調だったからといって、都政に問題がない訳ではない。①いまミニバブルの様相だがやがて終息し、12兆円都財政も大きな歳入欠陥を生む可能性が大。大胆な行財政改革は不可決である。②大都市が前例なき「老い」の時代を迎えた。人が老いる面、公共インフラが老いる面が同時進行する。税収低迷の一方で、社会保障、公共事業費はうなぎ昇り。このギャップをどう解消していくか。③中小企業が圧倒的な東京で雇用をどう生むか。都政が率先し“定年なき雇用環境”を企業と連携して創り出せるか。働きたい人は一生働ける東京づくり、それが医療、介護、年金など社会保障費の抑止につながり、生きがいの創出となる。
今後、都政の焦点は、存在感の増した自公勢力と猪瀬知事の関係に移る。猪瀬氏は昨年の知事選で空前の433万票を集めたが、都庁官僚の掌握力も弱く、もともと6年間の副知事時代から都議会との関係はあまりよくなかった。一般論としては都議会の自公が猪瀬都政を支えるという構図が描かれるが、しかし一歩間違うと対立が表面化し、知事が裸の王様にならないとも限らない。
国政はどうか。政治の大きな流れは変わらなかった。昨年の衆院選、6月の都議選をなぞったような与党の圧勝である。安倍首相は改憲ほか多くのテーマを抱えているようだが、選挙戦ではアベノミクスに絞った論戦を展開。衆参のねじれ解消による「政治の安定」を訴えた。参院最大会派の民主党は政権批判を繰り返したが、批判の域を出ず、対立軸づくりに失敗。野党共闘もできなかった。結果、2大政党はおろか1強7弱(無所属除く)の体制になってしまった。
生活=生活の党、みどり=みどりの風、維新=日本維新の会、改革=新党改革、諸派は沖縄社会大衆党
図2 参院の新勢力
しかし、これがよい政治を生むかどうか保証はない。自民党にとって、「参院選勝利→ねじれ解消」が目標(過半数は122)となり、この先、どの政策をどう進めていくかは白紙に近い。先般、政権の中枢にいるある幹部に会ったら「安倍政権の正念場はこれからだ」と言っていた。その通りだと思う。
3本の矢というアベノミクスがあたかも救世主のごとく喧伝されている。しかし、どうか。日本は1981年~83年に「増税なき財政再建」を掲げ土光臨調を中心に強い行財政改革を断行。国鉄、電電、たばこ専売の民営化、強い地方行革で第2次石油ショック後の不況克服をめざした。それに絡み中曽根政権は大胆な金融緩和と規制緩和策をテコにオフィス供給など内需拡大策を積極化した。それに乗じ、不動産業界は活気づき、東京、名古屋、大阪など大都市から地方までマネーゲームが起こり地価狂乱、不動産投機、リゾート開発が続いた。しかし、これも1985年から91年までのバブル経済期という限定的な期間。その崩壊は銀行の不良債権問題に発展し、銀行の倒産、公的資金の大量投入へと進む。「来年は景気がよくなる」との合言葉で鷲づかみのように毎年赤字国債の発行に手を染め、“失われた20年間”とされる。今、結果として1000兆円に及ぶ世界最大の展望なき借金国にのし上がってしまった。
この轍を絶対に踏まないという保証はあるのか。先のバブル期との違いは、政治はこの20年間、本格的な行財政改革に取り組んでいないことだ。歳入と歳出が鰐の口のように開きっぱなし。さらに中進国の台頭、グローバル化の進行、急ピッチで進む少子高齢化、新規起業の極端な少なさと取り巻く環境は当時以上に厳しい。大胆な歳出削減ほか道州制移行など本格的な統治機構改革を断行せずして、財政破綻の瀬戸際にきた日本を救えるのか。
今回の選挙をもって、3年後の参院選(衆院選とのダブル選も)までは国政選挙はないとの見通し。この間、原発再稼働、憲法改正、TPP参加、社会保障の見直しなど、生活者に直結する政策が衆参多数派の意思でどんどん進むかも知れない。しかし今回の選挙でお題目は並んだが、個々の政策の是非まで踏み込み有権者に聞いてはいない。“勝てば官軍”、白紙委任、強行突破の政治をやるなら、むしろ衆参ねじれの方が「よかった」ということにもなりかねない。
「決められない政治」から「スピード感をもって決める政治」へ、聞こえはよいが民主主義は結果よりプロセスが大事なことも忘れてはならない。
巷間言われてきたように、今回も確かに都議選は国政選挙の先行指標になった。しかし、先例を見ると、だからといって良い政治が生まれる先行指標になるという保証はない。今政治はあまりにも経済優先、景気回復と上から目線の政治に傾いている。そうではないはず。政治は人の生活をよくするためにある。猪瀬都政にせよ、安倍政権にせよ、都民、国民が刮目するような生活者目線の新しい政治を期待したい。そのキーワードは、多くの国民に安心、安全、そして幸せをもたらすことである。