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桐山 昇

桐山 昇 【略歴

ASEAN経済開発と日本企業

桐山 昇/中央大学商学部教授
専門分野 東南アジア地域経済論・国際関係論

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南シナ海領有紛争と経済活性化

 このところ、日本のメディアでASEAN地域への日本企業の進出報道が目立つようになった。そうしたなかで、今年4月末、今年度議長国ブルネイで開催されたASEAN第22回定期外相会議は、むしろ政治面でその行方が注目を浴びていた。昨2012年議長国カンボジアの行動が、国際的に「ASEANの分裂」の印象を与えていたためであった。ASEAN年来の懸案事項、対中国南シナ海領有権紛争をめぐって、中国の意を汲んだ会議運営を行い、ASEAN始まって以来の議長声明(共同声明)無し、という事態を生じさせたからであった。これをいかに修復するかであった。議長声明は、ASEANが一致して、中国との間に法的規制を伴う「行動規範」合意に向け行動する(中国の主張は2国間交渉)と表明した。年来のASEANの主張に復帰したのである。

 かくて中国が示す、強引な「海の領域」拡張主義傾向あるいは日本との対立の深化、という事態の下で、ASEANが一体となった経済活性化の見通しが強まった。今や、2008年の世界経済危機を乗り越え、「中間所得層の拡大」傾向が強まる、この10ヵ国6億人で構成される国家連合ASEANの経済活発化は、改めてある種の期待をもって語られるようになっている。

ASEAN経済活性化の分岐点

 確かに今日のASEAN経済は、インドネシア、タイなどに加え、ミャンマー軍政の民政移管に伴う対中政策の激変(テイン・セイン政権が、2011年9月、地元住民の反対が根強かった全発電量中国向けのミットソン巨大発電ダム建設中止を決定)、アウンサンスーチー氏との「和解」、そして欧米諸国の経済制裁解除によって、いわゆるCLMV(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)諸国に相乗的な、日欧米企業の投資拡大、外資参入ブームを生じさせている。ことに日本企業は過大ともいえる期待と進出意欲を示している。

開発政策展開における日本企業

 だが、こうした日本企業のASEAN進出ブームは、ある種の既視感を伴う。ASEAN諸国の経済発展(産業社会化への進展)は、1967年のASEAN結成、それとともに、外資導入型の工業化政策を採用したことに始まっている。振り返ってみると、日本企業の東南アジアへの第二次世界大戦後の「復帰」は、この時よりも少し早いものであった。例えばトヨタはタイへ1962年から、松下電器産業(パナソニック)は、マレーシアへ1966年から、進出し、製造拠点の構築に動いている。以来半世紀、主な日本企業は、撤退することなく現地社会に根付いてきている。

 今日までの過程で、日本経済の拡張、欧米諸国との貿易摩擦の増加、等に影響されながら、企業進出の増減が繰り返されてきた。この間、日本企業にとって、アジアの進出先の選択肢は、韓国・台湾・香港であり、またASEAN諸国だった。選択肢として中国が登場するのは、「改革開放」政策後である。

 そして工業化の進展を基本政策としたASEAN諸国は、外資企業誘致促進のための各種の政策を積み重ねた。韓国・台湾と並んで、1970年代に、保税区の発展形態としての輸出加工区が設置された。それらはやがて一般工業団地へと転換していった。日本における電子電機産業の創成・拡大と、外資参入拡大による産業集積の進展がもたらしたものであった。

 この経過の中で、ASEAN諸国でも日本企業への反発が強まった時期があった。その象徴的出来事が、1974年の田中角栄首相の東南アジア訪問の際、タイ、インドネシアで生じた学生を中心とする反日デモ(暴動)だった。日本の企業進出とODA供与拡大が、現地強権政権への反発と二重写しになっていたのである。

二つの目線:経済現況

 ところで、進出を図る日本企業側から、これ以降の経過を見ると、最も大きな進出ブームは、1985年プラザ合意以後の急激な円高進行の時期に到来した。タイを中心に、進出はマレーシア、インドネシアに集中し、その傾向は「ダッシュ」と表現されていた。これはASEAN側に域内関税引き下げ要請を伴っていた。それぞれに自動車産業を中心に工業化を進める各国の産業政策は、狭小な国内市場にも関わらず、進出企業に二重投資を強いるものだった。これらはやがてASEAN側にはAFTA形成、企業側には域内部品産業のサプライチェーン構築へとつながっていった。

 だが、1997年アジア通貨危機、中国のWTO加盟、そして2003年のSARS問題発生(中国当局による情報隠蔽)から生じた中国という進出先のカントリーリスク懸念増大などによって、企業進出、増資意欲が増減した。ASEAN投資は、外部要因によって増減を、比較的短期間内で繰り返してきたのである。日本企業側からすると、問題発生ごとに、ASEAN地域への増資、新規進出、がなされてきたと言ってよいであろう。

 他方、受け入れ側であるASEAN諸国側から見ると、経済開発は日本企業の動向、日本経済の発展とその進展が密接に結びついてきたといって良いであろう。だがその下で、経営ノウハウ取得はもとより、農民的労働習性から離脱し、工場労働に習熟し、現代産業の職場規律を受け入れ対応できる労働者群を複数世代にわたって蓄積するようになった。

 実は、4月末の外相会議に並行して、ASEAN諸国は、第9回BIMP-EAGA(BIMP東ASEAN成長地域、参加国ブルネイ、インドネシア、フィリピン)サミットを開催した。その14項目からなる共同声明で、参加各国の隣接国境地帯いわば辺境地域における経済開発が軌道に乗りつつあることを相互確認している。ASEAN地域においては、こうした国境を越えた広域開発計画が進行中である。ASEANの経済開発は、今や、この段階に到達しているのである。

桐山 昇(きりやま・のぼる)/中央大学商学部教授
専門分野 東南アジア地域経済論・国際関係論
東京都出身。1943年生まれ。
1971年東京教育大学文学部卒業。1981年法政大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学、国会図書館調査立法考査局客員調査員、中央大学商学部助教授、などを経て1991年より現職。現在の研究課題は、ASEAN経済及び政治動向研究。
主要著書 共著『東南アジアの歴史:人・物・文化の交流史』(共著者栗原浩英、根本敬)、有斐閣、2003年。著書『東南アジア経済史:不均一発展国家群の経済結合』、有斐閣、2008年。