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益永 淳 【略歴】
益永 淳/中央大学経済学部准教授
専門分野 イギリス経済学史
時代の移り変わりとともに、大学はますます多様な側面を要求されるようになってきました。そして大学をどの側面からとらえるかによって、大学教育の重点の置き方も変わってきます。ゼミ活動を例にとって、このことを以下で考えてみましょう。
大学は研究者養成機関という側面を伝統的に強くもってきました。この場合、ゼミには未来の研究者を育てるための実地訓練(演習)の場としての役割が特に期待されます。また、大学は研究者だけではなく、今後の社会を担う高度専門職業人を輩出する機関でもあります。大学をこの側面でとらえると、学生同士や教員との自由な議論をつうじて、高度な専門知識とその応用力を学生が体得することがゼミ活動の主目的になるでしょう。
学問的な知識・思考法・成果の発展的継承、および専門知識の実地応用力の鍛錬は、ゼミ活動の本来的役割といえます。しかし、大学進学率の上昇や経済不況の長期化などのために大学から就職への移行に苦戦する学生の存在がクローズ・アップされ、大学は社会で活躍するための基礎力を習得させる役割も担うようになりました。こうした中で、ゼミと就職活動との関係について改めて考えてみる必要があるように思います。
ゼミは本来、学問の世界を体験する場です。しかしゼミ活動を「知のインターンシップ」とみれば、通常のインターンシップと同様に、ゼミは就職活動や就職後にも役に立ちます。
例えば、ゼミでは研究テーマをみずから発見し、そのテーマの探究に必要な知識や考え方を自分で習得しつつ、先行研究に対して新たな知見を示すことが要求されます。この一連の経験により、課題発見力、論理的思考力、問題解決力などが鍛えられるでしょう。
またゼミの研究を進めるためには、他の学生や教員との質疑応答(議論)が欠かせません。ただし、質問が自然に思い浮かぶことは稀です。相手の話に真剣に耳を傾け、質問をひねり出そうとする努力の末にようやく思いつくものです。そして適切な応答をするためには、何を聞かれているのか、それに対して何をどのような順序で答えればよいのかを瞬時に判断して実行しなければなりません。この意味で質疑応答は、理解力やコミュニケーション力を磨く絶好の手段です。
課題発見力、論理的思考力、問題解決力、理解力およびコミュニケーション力の土台をなすのが主体性です。なぜならば、これらは受け身の姿勢ではなく、自分から動いて考える経験を積み重ねて初めて得られる能力だからです。社会がこうした能力を備えた人間を求めていることは明白でしょう。
主体性は「自由を使いこなす力」とも言い換えられます。自由は様々な束縛から免れるという点で解放感をもたらす反面、すべて自分の責任で決めなければならないので不安感も引き起こします。
就職活動生が悩む理由の1つは、どの業界・職種を選んでも基本的には自由であることに伴う不安感にあるように思います。この意味で、ゼミで培われる主体性=「自由を使いこなす力」は、就職活動に立ち向かうパワーの源になると同時に、試行錯誤や創意工夫の習慣化をつうじて、社会人としての伸びしろの程度を左右しうるでしょう。
就職活動生を悩ますもう1つの理由は、自分の適性がよくわからないという点にあると思われます。しかし、学生時代に自己の適性を完全に見抜く人よりも、社会人になってから自分の適性に気づいていく人のほうがずっと多いのではないでしょうか。学生時代に様々な経験を積んで自己の適性を見出す努力をすることは確かに必要です。しかしそれと同時に、就職後も自分の中に眠っている適性を発見・開発し続けていくためには、どんな仕事を任されてもそこで自分なりのやりがいを主体的に見出す姿勢が重要です。その意味でゼミでの経験は、就職活動に際して自己の適性の一端を見極める契機になるとともに、ゼミのやりがいや意味を深く考えることにより、就職後も成長し続けられる人間になるための可能性が開かれるでしょう。
就職に漠然とした不安を抱く学生が各種インターンシップに参加するのは自然なことです。しかし、インターンシップで体験する世界は今後40年以上にわたって身を置くことになるのに対して、ゼミ活動は大学時代にしか体験できない貴重な機会です。
現在でもゼミの本来的役割が重要であることに変わりはありません。しかし同時に、大学を取り巻く環境の変化に応じてゼミ活動の意義について重点の置き方を変えることも必要です。この意味で「知のインターンシップ」としてのゼミの可能性を明確化し、学生が就職活動(後)とのつながりを自覚しながらゼミに打ち込めるよう促すことが今後さらに求められるでしょう。