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トップ>オピニオン>クラブ文化の魅力 ―なぜ、人々は集うのか―

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森 正明

森 正明 【略歴

クラブ文化の魅力
―なぜ、人々は集うのか―

森 正明/中央大学文学部教授
専門分野 体育学

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 地域を拠点としたスポーツクラブづくりがJリーグの発足と同時に話題になることが多くなった。

 イングランドに協会が設立(Football Association 1863)され、近代サッカーが世界に広まっていった歴史がある。この近代サッカーも、もともとイギリス各地で行われていた祭りのフットボール(民俗フットボールともいわれている)がそのルーツであり、現在も10数カ所で行われている。

事例1

 その代表例といえるイングランド中部にあるアシュボーンのシュローブタイド・フットボールは、告解火曜日と灰の水曜日(特定の聖日)に行われる神事といえる行事でもある。(町を流れる川の上流チーム=アッパーズと下流チーム=ダウナーズに分かれて、一つのボールを奪い合う祭り。1928年の2日目には、当時の皇太子がボールを投げ入れて祭りが開始された)ここの人々にとっては、クリスマス以上の祭事であるのでアシュボーンで実施することができなかった第一次大戦中は、多くのアシュボーンの人達が出兵していたフランスにボールが送られ戦いを休んででも、シュローブタイド・フットボールを行った。

事例2

 第一次大戦後の日本でも、同様の営みをドイツ軍の捕虜生活に見ることができる。鳴門にある板東俘虜収容所(以下、板東)の生活がそれである。ここは、日本で最初にベートーベンの第九が演奏された場所でもある。(2006年、「バルトの楽園」として映画化された)日本の数カ所にドイツ軍捕虜収容所があったがここ板東は、自治活動を大切にした生活の自由が保障されていた。

 演劇や音楽のチームを編成して楽しんだのはもちろんのこと、テニスやサッカー、レスリングやボクシング、ボーリング場やビリーヤード場もあった。中でも、「トゥルネン」と呼ばれる体操競技が盛んで、その競技会は地域の日本人にも人気があり、地域の人達が体操競技の指導を受けにきたりドイツ兵が指導に出かけたりという国際交流も行われた。

クラブ文化、クラブライフの歴史

 近代スポーツの多くはイギリスで誕生したといわれている。(競技化していった)そのイギリスでは、肉体労働で報酬を得ている人達を競技会から排除する考えを重視(アマチュアリズム)し、多くの労働者スポーツマンが競技会に参加することができなくなった。(競技会に参加して報酬を得る事も禁じた)注1)

 この思想は、オリンピックに参加する国々にも伝わったがドイツではもともと労働者のスポーツ(大衆スポーツともいう)大会が盛んで、1860年以降全国大会も行われていた。板東でも人気を博した「トゥルネン」(体操競技)の大会は、現在のドイツでも継承されている。その参加者は、小さな子ども達から70代、80代の高齢者までいて、世代ごとに工夫されたルール(ローカルルール)のもと、地域大会の全国大会が開催されている。注2)

 多種目、多世代、多チームがスポーツクラブの条件だといわれている。例えば、Aという地域のスポーツクラブに体操やサッカーなどの多チームが存在し、世代ごとにチームが編成されている。40代の会員は、40代の体操チームにも40代のサッカーチームにも所属してスポーツを楽しんでいる。こうした活動が、クラブライフである。

 ドイツでは1970年代にクラブ法といわれる法律をつくって、クラブづくりを奨励した。7人以上の会員数を持ち規約をつくり会費を徴収し、理事会も構成する。その上で法人登録すればクラブと認められ、クラブの活動する催し物などの収入は、原則非課税となる。クラブライフを目指した「ゴールデンプラン」は、よく知られている。

 このドイツ型のクラブづくりをモデルにしてJリーグが誕生し、文部科学省の総合型地域スポーツクラブ政策も実施されている。

なぜ、人びとは集うのか?

 たとえ戦争中であっても祭りのフットボールをフランスで行ったアシュボーンの人達や捕虜生活の境遇にあっても、その生活をエンジョイしたドイツ兵の収容所生活。これこそクラブライフといえるものである。

 なぜ、人びとは集うのか?それは、祭りやスポーツや音楽が人生でなくてはならない楽しみになったからである。

 見方をかえれば、こうした仲間を持ってクラブライフを営めることは、一生人生を楽しんでいける活動をもったことでもある。

 『人生おおいに楽しもう』(筆者の恩師のことば)クラブは、それを実践していく空間でもある。

注1) アマチュア規定は、明確な職業規定をしていなかったので、日本では人力車夫が対象となり1920年のマラソン大会で1位から5位までの人力車夫が失格となった。

注2) 体操競技だけではなくバレーボール、水泳,陸上なども行われる総合スポーツ大会。

文献
  1. ~熱闘7000人、これがサッカーのルーツだ~ NHK総合 2002.5.3.
  2. 田村一郎(2010)板東俘虜収容所の全貌―所長松江豊寿のめざしたもの、朔北社
  3. 棟田博(2006)板東俘虜収容所物語、光文社NF文庫
  4. 小林章夫(1991)クラブとサロンーなぜ人びとは集うのかーNTT出版
  5. 森正明(2000)祭りの組織とスポーツクラブ組織に関する研究、体育研究、中央大学
  6. 中村敏雄(1996)オフサイドは何故反則か、三省堂選書
  7. 朝日新聞 ―アマチュア規定―「スポーツ百年物語」1999.4.6.
森 正明(もり・まさあき)/中央大学文学部教授
専門分野 体育学
福岡県(博多)出身、1952年生まれ。1976年中央大学文学部(社会学専攻)を卒業し、1978年順天堂大学体育学部大学院修了(体育社会学)。1988年より中央大学に勤務し、2002年より中央大学文学部教授(スポーツ社会学)、現在に至る。30歳まで、全日本7人制ラグビー大会に参加していたラガーマンであり、オーストラリアやニュージーランドのスポーツ文化に触れた経験から、祭の組織とスポーツクラブ組織に関して研究を行っている。現在、「クラブ文化が人を育てる、祭り文化は未来を創る」(仮題)を執筆中。