むだ遣い、むだ足、むだ口、……。「むだ」を冠した言葉にろくなものは無い。むだはよろしくないのである。行為、言動にはそれなりのプラスの効果、益がないといけない。ましてや税金のむだ遣いなど益を損なうことには大いに憤慨してしかるべきである。
さて、江戸の川柳につぎのようなものがある。
あいさつに女はむだな笑ひあり(『柳樽』二編)
ことを功利的に判断すれば、挨拶の時に浮かべる微笑に特段の意味はない。むだといえばむだなものである。ただし、この川柳の眼目は、ふだんはむだとも思わずにいたものについて(むしろ逆に快いものと皆思っているはず)、斜に構えた別の角度から価値判断をしてみせたところにある。つまり、そもそもがあってよいものという社会的合意の中にある「むだ」の指摘なのである。
もう一句。
大江山帰りは髱(たぼ)とむだを言い(『同』四〇編)
「髱」とは女性の意の隠語。酒呑童子退治後、幽閉されていた姫君を奪取して都に帰る道々、源頼光とその家臣の四天王といったさしもの豪傑たちも、達成感と開放感の中、姫君たちに冗談を飛ばしていたであろうといううがちである。町のおねえちゃん並に「髱」と安っぽく表現したところがミソであるが、さて、冗談は「むだ」である。江戸では、言葉のシャレを主として、冗談・戯言の類を「むだ」と称していた。
髪よりはむだをゆふのが多いなり(『川柳評万句合』安永六年)
というわけで、おじさんたちの集う憩いの場である髪結床は、ダジャレの嵐が吹きまくることになる。次の二句も床屋の景である。
絵を書いた障子はむだの会所なり(『同』同)
むだの会油障子の内でする(『同』天明五年)
「会」とは同好の集うサークル、競い合うようにダジャレを繰り出し応酬し合うおじさんたちの様子が目に浮かぶ。式亭三馬の『浮世床』に、このあたりの様子は活写されている。
床屋のみならず、この無意味・無益を承知のうえの「むだ」は、江戸の町中、日常生活のさまざまなところまで浸透していた。江戸の戯作に接すれば、そのほとんどが「むだ」で構成されており、「むだ」は江戸人の呼吸同然、心身の奥深いところの組成にも関与しているのではないかとまで思われる。それはおじさんの世界だけの話ではない。草双紙はもちろん、『百人一首』のパロディである『どうけ百人一首』をはじめ子ども向けの本にしても、「むだ」が満載である。「なぞの本」と総称される本がある。「○○とかけて△△と解く、そのこころは□□」という三段の形式の謎がもっとも多いであろうか。これにしても音のすり替え、すなわち、シャレの技法によるものが主である。
言葉のシャレを江戸で「地口」という。この「地口」を集めた「地口本」と総称される本も多数出版されている。もっとも多く出回っていたのは、絵が添えられていて、子どもにも親しみやすい様式のものである。もっとも、大人向け・子ども向けの区別の意識は、現代のそれから見ると無きに等しいのが江戸時代であった。その垣根は低く、現代の感覚からすると成人指定のようなものでも子どもが接することのタブーは少なく、子どもを喜ばすことをたてまえとする他愛ない冊子を大人がへらへらしながら眺めることも可である(現代でも『少年ジャンプ』をおじさんたちも愛読していたりするが)。
江戸時代の社会は、子どもに対して、大人の社会に入っても困らないような素養を培えるような配慮を行っていた。「むだ」満載の本にしてもその一環と考えなくてはならない。大人たちの日常が、「むだ」を潤滑剤として成り立っているのだとしたら、「むだ」の修得は必須である。機に臨んでうまいことを言う技術は洗練された文化の産物である。
けじめを失した政治家のむだ口など「むだ」では済まされない。文化的未熟を露呈して傍ら痛いだけではなく、国の品格をおとしめること甚だしい。シャレをはじめとした言葉のジョークが江戸で「むだ」と称されていたことについて今一度立ち戻ろう。この称には江戸人のけじめ、分別が現れている。公のたてまえに照らせば「むだ」としか言いようのないものであるが、たてまえをたてまえとして尊重するところで私的世界の本音を温存したのは、江戸人の知恵であり、時代の文化的成熟そのものであろう。公私のけじめをわきまえ、場の空気を読み、そして発せられる「むだ」は生活を潤すのである。幸いまだまだこの「むだ」の文化は現代にも生き残っている。磨きをかけて次代につなげなくてはならない。おじさんたちの営為はむだではない。