中島 豊 【略歴】
中島 豊/中央大学ビジネススクール特任教授
専門分野 人的資源管理論・人事政策論
厚生年金の受給年齢が段階的に65歳まで引き上げられることが後押しとなって、昨年、改正高年齢者雇用安定法が成立した。これまでも企業に対して65歳までの継続した雇用を促す「努力義務」は課せられていた。しかし、これからは定年を迎えた従業員のなかで希望する全員を12年間の経過措置を経て段階的に65歳まで継続雇用する制度の導入が企業に義務付けられたのである。この法律の今年4月からの施行に向けて、各社の人事の現場ではこの4月に向けた社内規定の整備など課題対応で揺れている。
欧米企業の人事管理の根底に「職務」があるのに対して、日本企業の人事管理の根底にあるのは「能力」である。つまり、個々の人材の能力に応じて仕事(職務)に配置するという「能力主義」考え方なのである。能力は経験によって伸長する。経験は通常年月に応じで蓄積されるものである。一方で、スポーツ選手がいい例であるが加齢によって衰える能力もある。能力に応じた配置が実際に行われているのでれば65歳までの継続雇用が求められたとしても対応にあわてることはない。60歳を過ぎた時点での個人の能力に応じた適材適所が実現されればよいだけのことである。
企業の人事部が揺れているのは、定年後の人材を社内に留め続けることに消極的だからであろう。前に企業の若手人事担当者達と「定年制を廃止すると会社はどうなるか?」というテーマで議論をしたことがある。参加者の大半は「定年がなくなると困る」という意見で、そのほぼ全員が「定年がなくなると、能力のない人材が居座って困る」ということを理由として挙げた。
これまでの日本企業では、能力主義といいつつも社員一人一人の能力をきちんと把握せず「みなし能力」によって人事管理を行ってきた。能力については、そもそも、「仕事をするための能力」の定義が不完全である。「百文字を何秒で入力できるか?」といった客観的に測定できる比較的単純なスキル以外にも、課題設定、問題解決、実行といった高度で複合的な要素が「仕事をする能力」として求められる。しかし、これらの定義は曖昧で測定基準もはっきりしていない。したがって、能力について把握するためには何らかの代替変数が求められる。
かつて大多数の日本企業で採用されていた職能資格制度においても職務遂行「能力」の定義が実務的に難しかったために、年齢や勤続年数によって能力が開発されるという「みなし能力基準」が援用されていた。この人間を一律で考える「年の功」による擬制能力は、解雇を制限する一方で60歳での一律定年を容認したのである。極論すると、実際の能力はなくても企業は「定年までは『我慢』する」という考えに基づいてこれまでの人事制度、ひいては社会制度にいたるまでが規定されていたのである。そして、前述の若手人事担当者達が言っているのは、「これ以上の我慢はもうできない」ということなのであろう。
企業の側でも、こうした変化に対して無策であったわけではない。1990年代以降は人事評価において成果を重視するようになり、能力もコンピテンシーなどの職務遂行行動で評価をし始めた。しかし、そのコンピテンシーにおいても、その定義の難しさから職務遂行における「態度」や「姿勢」を新たなみなし能力基準として用いるようになってしまっている。つまり、「(夜遅くまで残業して)頑張っているか」といった情意評価である。実際に行動評価シートに残業時間を記入させる企業すらあるようだが、ナンセンスの極みであろう。残業をもって自分の成果をアピールさせることになり、評価者も自分のタイムマネジメントの不出来を棚上げできるからである。
情意評価を成果に結びつけると、会社への貢献よりも上司の主観におもねるような行動を誘発する。多様性を重視する現在の組織において、このような姿勢・態度による評価は、イノベーションを起こせるような人材の能力をつぶす。
ならば、いっそのこと定年制を禁止するという議論もあるのではないか。無論、今の日本においてはこれが社会を混乱させるような暴論であることはわかっている。しかし、定年制ができないとなると、企業は真剣に社員一人一人の能力を評価するようになる。そして必要とされる能力に欠けるのであれば、本気で育成を行うか、もしくは能力不足による解雇を検討するようになる。一方で能力のある人材にも正当な処遇を行うようになる。
当然、その過程では多くの労使間の紛争が起きるであろう。現在の解雇に関する考え方が固まったのは1970年代頃である。その当時とは経済・社会の状況は大きく異なっている。定年制を禁止することで、現代に必要な解雇ルールとはどのようなものか、司法、立法、行政そして社会全体を巻き込んで議論するきっかけを作り、ひいては新しい日本の人事管理の在り方を考えることにつなげることができるのではないだろうか。