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岩下 武彦

岩下 武彦 【略歴

正倉院の文物

岩下 武彦/中央大学文学部教授
専門分野 国文学

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1 正倉院展

 毎年秋、11月の文化の日を挟んで、前後三週間ほど、奈良国立博物館で、正倉院展が開かれる。終戦直後、戦塵未だ収まらぬ昭和21年(1946)、特別展観が開かれ、爾来60余年、年を追うごとに賑わいは増し、近年では最終日に近くなると、当日券売り場に行列ができるほどになる。私は、専門と関わり深いこともあり、ほとんど毎年訪れているが、老若男女、年齢・性別・国籍関わりなく、訪れる人の多彩なことは驚くほどである。

 読売新聞が協賛していることと、ひと頃は、NHKの日曜美術館で取り上げられると、翌日から混み出すという、メディアの影響もあったようだが、最近ではそれもほとんど周知のことで、期間中人出は変わらないようだ。

 何がそれほど人々を引きつけるのか。

2 正倉院展の魅力

 ひとつには、何よりそこに展示されている文物の持つ多彩な魅力である。多くは美術工芸品であるが、他に書籍、文書から日用品まで、実に内容多彩である。これが、多様な多くの人々の関心をそそるということは確かであろう。

 次に、その文物ひとつひとつの価値にある。それには、三種の魅力がある。

 一つには、それらの工芸品・美術品が、当時の技術の粋を極めたもので、技術的観点からも、美術品としても、文句なしの一級品であるということ。教科書にも載せられていて名高い「螺鈿紫檀五絃琵琶」や「鳥毛立女図」などを挙げただけで、思い半ばに過ぎるものがあろう。

 次に、その伝来の由緒正しさがある。多くは聖武天皇愛用の品を、その崩後、光明皇后が東大寺に施入したもので、当時の一級品であることも宜なるかな、と思う。

 さらに、それらが、列島内部に止まらない世界的な広がりを背景としていることがある。 中国は言うに及ばず、西域からシルクロードを経て、遠くはヨーロッパに至る文物が、あるいはその影響が広く、また深く及んでいることが、デザインや文様によって知られる。

 この文物そのものの三種の価値は、正倉院展の大きな魅力であること言を俟たない。

 そして、その価値をいっそう貴くしているのは、何よりそれらが1300年、伝来されてきたということ、その事実そのものである。

3 悠久の美

 今日のように、変化の激しい時に当たって、一つのもの、一つの事柄を伝承してゆくということは、日々に難しくなっている。

 正倉院の文物は、1300年間伝来されてきている。それも、保存状態が極めて良い。たとえば、未使用の和紙が保存されているが、今でも料紙として用い得るほどだという。無論、中には傷みがあったり、褪色したりして、変質している文物もあるが、多くはとても1300年前のものとは思えないような、新品同様の保存状態なのだ。 

 これは、校倉造りという、檜材でできた特殊な構造の高床式の正倉院で、長く御物として勅封され、外気から遮断し、一定の湿度・温度に保たれて、保存されてきたことによる。

 保存の仕方そのものが、長期の保存を前提として、工夫を凝らしたものであった。

4 保存によって得られた価値

 正倉院の文物の中には、長く保存されていたことにより、当初考えられてもいなかったような価値を獲得したものがある。正倉院文書、と呼ばれる資料群である。

 その中心である東大寺の写経所文書は、8世紀の約50年間(神亀4年(727)~宝亀7年(776))にわたって作成された。それ自体、当時の写経所の下級官人の日常を、生き生きと伝える貴重な史料で、当時の一級資料としてかけがえのないものである。

 さらに、戸籍や計帳、正税帳など、諸国から進上された文書を反古紙として再利用した紙背文書が、この中に多く含まれている。律令下で官庁が作成した文書や諸国からの報告書のほとんどは短期間で廃棄されていたが、廃棄文書の一部が東大寺写経所で帳簿として再利用され、偶然、正倉院に納められて保存されたことにより、奈良時代の貴重な史料として今日まで残ることになった。現存する最も古い文書は大宝2年(702年)の戸籍である。

5 残すということ

 それにしても、皇室御物という伝来と、創建当時は総国分寺として、また南都六宗の華厳宗総本山として、東大寺という権威の後ろ盾があったとはいえ、戦乱・天変地異のうち続く中を、良くも残ったものだと思う。

 多忙な現代では、必要な情報を効率よく集め、できるだけ早く分析し、効率よく正しい結論を出すことが第一である。必要なものだけを利用したら、後は捨てる。そういう「使い捨て」の発想と、対極にあるのが、正倉院だといえよう。

 当時の人々が、必要なものだけ残そうと思っていたら、御物はともかく、正倉院文書のほとんどは残らなかっただろう。ともかく今あるものを残さず後世に伝えなければ、という、その一心が、無上の価値を産み出すことになったのである。反古紙までも残すということは、自らの価値判断だけが絶対のものではないとする真摯で謙虚な判断がなければならない。それは事大主義と紙一重のものかもしれない。

 しかし、効率と、目先の利益を追求するのみでは生み出せない価値を、正倉院は伝えているように思う。

岩下 武彦(いわした・たけひろ)/中央大学文学部教授
専門分野 国文学
1946年熊本県出身。1971年東京大学大学文学部国語国文学科卒業。1974年東京大学人文科学系大学院修士課程修了。1974年国文学研究資料館助手、名古屋学院大学経済学部専任講師、東京女子大学文理学部専任講師、助教授、教授を経て、1995年4月より中央大学文学部教授。