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坂田 聡

坂田 聡 【略歴

日本の家制度・その歴史的な起源

坂田 聡/中央大学文学部教授
専門分野 日本中世史

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家とは何か

 私がこの場を借りて論じようとしている家とは何か。もちろん、この家は、私がいつも接している中大生をはじめとした現代の若者たちが、日常会話の中で何気なく用いている、「僕の家は3LDKのマンションです」とか、「私の家は4人家族です」とかいった、単に家屋や家族そのものを意味するような、今日的用法のそれではない。ここでの家とは、年配の方々ならば馴染み深いはずの日本独特の家、言い換えれば、近世江戸時代はもとよりのこと、近代、それも戦前はおろか、戦後の高度経済成長期あたりまでの日本社会の体質を規定し続けた、あの家制度のことを指している。

 21世紀も10年以上経った今日に至り、家制度の痕跡らしきものは、結婚式場のホールに掲げられている「○○家・××家披露宴会場」といった案内板や、墓石に刻まれている「○○家先祖代々の墓」といった墓碑銘を除くと、社会の表舞台からほとんど消え失せてしまったが、かつて家制度をめぐって華々しい議論を繰り広げていた社会学・民俗学をはじめとする諸学問の研究成果を踏まえ、日本の家の特色をあげるとすれば、それは「世代を超えた永続」ということに尽きる。

 つまり、家とは家産と呼ばれる固有の財産と、家名と呼ばれる固有の名前、そして、家産を用いて営まれる家業―の三点セットを、父から嫡男へと父系の線で先祖代々継承することによって、世代を超えての永続を目指す社会組織なのである。

 いわゆる「アラフォー」世代よりも若い方々には、実感として理解しにくいことかもしれないけれども、つい数十年前までは日本の各地でごく当たり前に見うけられた家こそはまさに、日本人の意識や行動、価値観などを長年にわたり律してきたものにほかならない。

家の成立期

 ところで、ここで問題にしたいのは、家産・家名・家業の三点セットに象徴される永続的な家が、一体、いつ頃成立したのかということである。

 周知のように、この問題をめぐっては、一部の保守的な政治家や評論家、メディアなどによって、家制度が日本の誇るべき「伝統」的美風であり、その起源ははるかいにしえの昔=古代にまで遡れるといった議論が、まことしやかになされている。

 上記の立場は、近年、家制度的な社会秩序が崩れ去り、家を大切にする気風もないがしろにされるようになった結果、家族をめぐるさまざまな社会問題がいっぺんに表面化したとみなす議論、あるいは、老親の介護や生活困窮者の扶助は、できる限り家族・親族による自助努力で行うべきとの議論などとワンセットになって語られるのが常であり、国民、特に年配の方々からは一定の支持をうけているようにも思われるが、はたしてそれは、確固たる学問的裏付けを持つ見解なのであろうか。

 近年の中国史や朝鮮史の研究によると、日本史でいえば戦国時代から江戸時代前半あたりにかけて、東アジアの諸地域では、今日「日本の伝統」、「中国の伝統」、「韓国の伝統」とみなされているような、独特の生活文化や社会制度・慣習などが一斉に開花したとのことである。もしそれが事実だとすれば、私たちが「これこそ日本の伝統だ」と思い込んでいるものの多くは、高々400年~500年程度の「伝統」にすぎないことになるわけで、その代表格としてあげられる家制度の歴史的な起源にしても、戦国時代より前にまで遡らせるのは困難になってくる。

 こうした議論を踏まえ、これまで私は家制度がいつ頃形成されたのかということをメインテーマとして研究を進めてきた。今ここで、私なりの結論を簡単にまとめてみたい。

  1. 農民の場合、苗字や通名(つうみょう)など家名にあたる名が用いられ始めるのは14世紀後半以降、それが一般化するのは16世紀であり、また、遺産相続の形態が分割相続から単独相続に変わったことによって、嫡男が相続した遺産が事実上の家産となるのは16世紀のことである。
  2. したがって、農民のレベルで家産・家名・家業を先祖代々継承する家が最終的に形成された時期は、武田信玄や上杉謙信ら有力戦国大名がしのぎを削った16世紀中頃以降に求められる。

単独相続の一般化と家産

 以上の結論について、もう少し詳しく見てみよう。まずは家産だが、一般に遺産相続の問題を考える上で大切な論点として、分割相続か単独相続かという問題があげられる。言うまでもなく、戦後民法のもとでは原則的に分割相続であり、父親が遺した財産の相続権は、妻と子どもたちみなに存在する。

 これに対し家制度のもとでは単独相続が原則であって、家長である嫡男は父親の財産の大半を相続し、この財産を家産として運用することにより、家業を経営する。つまり、単独相続の起源と家産の起源とは、ほぼイコールだといえる。

 鎌倉時代までは今日と同様に分割相続が一般的であった。当時は女性も財産相続の権利をもっており、父親の財産も母親の財産もともに、娘をも含む子息全員に分割相続された。分割相続だと親の財産(その中心は土地)は子どもの人数に応じてばらばらに配分されてしまうので、当然のことながら先祖代々受け継がれる家産など想定することもできない。

 武士の場合、13世紀後半になると分割相続による所領の細分化が進行し、嫡男ひとりが親の土地財産の大部分を相続する単独相続が、しだいに増加のきざしをみせることとなる。農民の場合、その時期は武士よりもやや遅れたと思われるが、どんなに遅くとも16世紀には単独相続にもとづく家産が成立した。

姓と苗字の違い

 では、家制度のもう一本の柱にあたる家名の方はどうか。最初にお断りしたいことは、歴史的に見た場合、今日では混同されている姓と苗字は別ものだという事実である。姓は源氏・平氏・藤原氏・橘氏といった、古代貴族が用いた氏(うじ)の名前(氏名(うじな))にあたる。氏とは貴族が組織した族集団であり、平安時代に武士が勢力を伸ばしてくると、武士も姓を名のるようになる。そして、ついには農民までもが姓を僭称するに至った。姓は室町時代以降衰退するものの、なくなることはなく、重要な儀式や書類などにおいては、自分を権威づけるために武士も姓を用いた。

 一方苗字の方は、中世の武士が私的に名のった名前(主に地名)であり、やがてそれは先祖代々伝えられる家名となる。そして、戦国時代には農民レベルでも苗字の使用が一般化した。もちろん、江戸時代の農民の中にも、苗字を持っている者はかなりの割合で存在した。高校の日本史教科書によれば、江戸時代の農民は「苗字・帯刀」禁止であったとされるが、実際のところは、武士に提出する書類上や武士の面前で、農民が苗字を用いるのを禁止しただけのことにすぎなかったのである。

家名としての屋号

 とはいえ、それでも苗字を持たない農民はいたし、また、農民が武士の前で堂々と苗字を名のれなかったことも事実であって、こうした中、農民たちは苗字とは別の家名も用いるようになった。それは屋号である。

 屋号といえば商家のそれが思い起こされるが、農家も屋号をもっていた。屋号は通名(つうみょう)とも呼ばれる。通名とは、父から嫡男へと代々受け継がれる個人名のことであり、父に代わって嫡男が通名を名のることを襲名という。通名はいつしか、藤次郎(とうじろう)家、勘右衛門(かんえもん)家といった具合に、家に固有の名前、すなわち家名と化した。

 明治維新の後、近代国民国家を築き上げる過程の中で、徴税や徴兵の実をあげるために個人を特定することが必要となり、政府は襲名の慣行を禁止した。その結果、今日では歌舞伎などの伝統芸能の世界における芸名のレベルで、襲名慣行が残るにすぎなくなってしまったが、江戸時代の民衆世界において、それはごく一般的なことであった。そして、こうした通名の風習は、戦国時代の農民の世界でも確認することができる。

プレ家社会・家社会・ポスト家社会

 つまり、家産にしろ、家名にしろ、人口の圧倒的多数を占める農民のレベルで家制度の指標となるものが登場したのは戦国時代も後半のことであった。したがって、「家制度は日本古来の伝統」などと言っても、それを鎌倉時代以前にまで遡らせることは無理であり、今ここで、家制度にもとづく社会を家社会と呼ぶとすれば、奈良・平安時代や鎌倉時代はまさに、プレ家社会と呼びうる時代だったのである。

 ひるがえって21世紀の今日における家族・婚姻のあり方や男女関係のあり方には、プレ家社会の状況と似かよっている部分もかなり見受けられるが、そのことも含めて、今後、ポスト家社会がどの方向に進んでいくのか注視したい。

坂田 聡(さかた・さとし)/中央大学文学部教授
専門分野 日本中世史
東京都出身。1953年生まれ。1977年中央大学文学部卒業後、1979年中央大学大学院文学研究科博士前期課程修了、1985年中央大学大学院文学研究科博士後期課程退学。博士・史学(中央大学)。
神奈川県立伊勢原高校教諭、函館大学商学部専任講師・助教授、中央大学文学部助教授を経て、2001年より現職。
現在の研究課題は、家や村といった日本の「伝統社会」を基礎づける社会組織の成立過程を明らかにすることであり、また、人名と社会の関係の歴史的変遷に関する研究も行う。主な著書としては、専門書として『家と村社会の成立』(高志書院、2011年)、『日本中世の氏・家・村』(校倉書房、1997年)が、一般読者向けの本として、『苗字と名前の歴史』(吉川弘文館、2006年)、『村の戦争と平和』(日本の中世12巻、中央公論新社、2002年)がある。