山本 秀男 【略歴】
山本 秀男/中央大学大学院戦略経営研究科(ビジネススクール)教授
専門分野 情報通信網構成法、プログラムマネジメント、技術開発マネジメント論
日本でインターネットが普及し始めた頃、米国から帰国する飛行機の中で、映画「The NET」(日本語翻訳版:ザ・インターネット)を見た。主人公の女性コンピュータアナリストは、コンピュータに登録されている個人データを犯罪者のものとすり替えられ、自分が自分であることを証明できないという設定で、物語が展開する。当時、インターネットサービスの開発を担当していた私は、コンピュータとネットワークが発達すると「非常に便利になって良い」という思いと「コンピュータに依存しすぎた社会は怖い」という思いが混在し、複雑な気持ちになった。
現在、インターネットとコンピュータは生活の一部になっている。知りたいことがあれば、インターネットの検索エンジンを使って全世界から情報を集め、写真を撮影してSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に載せてつぶやけば、友達から「いいね!」と共感が返ってくる。自分のアドレスや重要な情報は、クラウドと呼ばれる仮想的なサーバーに預けて、必要なときに取り出すのが当たり前になった。
このようにICT(情報通信技術)が私たちの生活に浸透したため、企業は個人の行動情報を効率よく集めることが出来るようになった。ポイントカードの利用履歴から、いつどこの店で何を買ったのかが把握できる。スマートフォンのGPS(全地球測位システム)により、行動している場所を特定できる。ネットショッピングの購買データと、SNSへの書き込みや、気象データなどを組み合わせて分析すれば、周囲の状況に応じた個人の言動や感情なども把握できる。企業は、これらの情報に基づくビジネス戦略を立てることが出来るようになったのである。
しかし、昨年(2012年)は利用者が想定していなかった事故や事件が発生した。自分の名前を入れると犯罪を連想させる言葉が表示され、職を失うなどの被害に遭った「グーグル検索機能の個人プライバシー侵害事件」、レンタルサーバーに預けていた情報がすべて消失、さらに、復元後に他人の情報にアクセスできるようになってしまった「ファーストサーバの不具合事件」、インターネット掲示板に殺人予告を書きこんだ犯人を誤認逮捕してしまった「検察のパソコン遠隔操作犯人誤認事件」などは衝撃的であった。
ICTは私たちの生活を豊かにする強力な道具で、便利な社会を創るための活用方法を積極的に考えるべきである。しかし、思いもよらない事故や事件を引き起こすことも忘れてはいけない。この両者のバランスをとる感覚が、ICT社会のセキュリティとガバナンスの基本である。
企業における新規ビジネスの開拓や研究開発は、実行途中で起こるトラブルや最終結果がもたらす効果を、事前に正確に把握することは難しい。このような新しい事業を行うための管理・運営の知識を体系化する試みとして、プロジェクト&プログラムマネジメント(以下P2Mと称す)[1][2]が研究されている。P2Mでは新しい事業を「価値を創造するためのプログラム」ととらえ、プログラムを「事業の構想」「システムの構築」「事業の運営」の3段階に分けてモデルを作り、想定外の事故や事件が起きたときの対応方法を示している。抽象度が高く包括的に示された企業の経営戦略を、現場の実務に適用する方法論を研究しているのである。
P2Mの特徴は、(1)「事業の構想」で、利害関係者とプログラムによって創造できる価値を共有し「システムの構築」および「事業の運営」における目標を定める、(2)プログラムの不確実さ(想定外の事故や事件の発生)への対応を、企業全体、プログラムに関係する部門、細分化されたプロジェクトチームの3階層の間で分担する方法を示している、(3)「システムの構築」および「事業の運営」で目標を見直し、必要であれば目標の変更や事業の一部中断や延期を決定できる、の3点である。
ICTシステムを活用した新しい事業を行う時は、この考え方にしたがったマネジメントが有効である。「事業の構想」段階から、ICTシステムを導入する効果と不確実さの両者を意識してプログラムを進めるのである。
私たちがインターネットサービスを使う時も、プログラムマネジメントの発想を活用したら良いのではないだろうか。まず、サービスを利用する効果を理解する。それと同時に以下の3つの不確実さ(想定外の事故や事件の発生)を意識するのである。
① 将来、サービスの利用環境が変化することによって被る被害(たとえば、自分の個人情報が漏洩してしまった、あるいは、セキュリティ保護の考え方が変更され自分の主義に合わなくなった、など)
② 最初に考えた効果が現れないことによって被る被害
③ 自らが利用の方法を間違えることによって被る被害
サービスを利用し始めたら、出来るだけ②と③が起こらないように、友人などと情報の交換に努める。もし、①の事故や事件が起こったら、直ぐに利用の中止や契約の変更を考えることが必要だ。情報そのものは目に見えないので、目に見える現象の背後にあるもの(または意図)を見破ることは容易ではない。常にアンテナを高くして学んでいないと、ICTを使ったシステムの本質を見極めることは難しい。
冒頭に述べた映画「The NET」では、主人公が自宅に閉じこもる生活だったため、隣人も主人公が本人であることを証言してくれなかった。コンピュータが普及しても、日常の人間づきあいが大切なことを示唆している。インターネットは全世界とつながっており、情報処理技術の進化のスピードは想像以上に速い。効果と不確実さの両者を考えるバランス感覚を身につけてICT社会の恩恵を積極的に取り入れ、自分を高めていく生活を送りたい。