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トップ>オピニオン>リスク=危険=危機=クライシス? ~身近で遠い日常・専門用語~

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平澤 敦

平澤 敦 【略歴

リスク=危険=危機=クライシス?
~身近で遠い日常・専門用語~

平澤 敦/中央大学商学部准教授
専門分野 損害保険(特に海上保険)契約・危機管理の理論

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Riskという用語には様々な類義語がある

 リスク(risk)や危機(crisis)という言葉が人口に膾炙し、今では日常用語化している節がある。また同時に、官民問わず、リスクマネジメント(risk management)や危機管理(crisis management)の必要性が問われている。

 ところが、これらの用語には数多くの類義語・関連用語が存在するため、その使用法が必ずしも正確ではない。リスクと危機、リスクマネジメントと危機管理がまったく区別なく同義で使われてしまっているケースも散見される。

 Riskを単に危険と訳してしまうと、その一面的な意味を反映したものにとどまってしまう。上の図でみればわかるように、英語のriskという言葉には数多くの類義語があり、また分野によってriskの捉え方が異なるため、その定義は混乱をきたしてきたといえよう。たとえば、保険の世界では、insured perilは保険事故(保険金支払い対象となる事故)や担保危険(保険でカバーされる危険)と訳されたりする。また、海上保険では、maritime risk(海上危険)やperils of the seas(海固有の危険)といった表現がある。

 Riskという言葉の本質はいったいどのようなものであろうか。

Risk=危険?

 Risk(リスク)概念の形成史が詳細に叙述されているPeter L.Bernsteinの名著“Against the Gods : The Remarkable Story of Risk”(青山護訳、『リスク:神々への反逆』)には、リスクの語源は「勇気を持って試みる」ことで、元来受動的な意味はなく、能動的に未来を選択する意味をもつとある。語源的には、Riskとは、イタリア語のriscareに由来するという言葉で、「断崖絶壁を航行する」(navigate among the cliffs)、「危険を冒す」(run into danger)という意味をもっていたため、どう転ぶかわからないという結果の不確実性という意味合いも含まれていたと解すことができる。しかし、リスクは日本語であれ英語であれ、第一義的には「危険」を意味し、損害・損失発生の可能性というネガティブな使われ方をするのが一般的である。火災リスクや地震リスク、死亡リスクなどといえば負の結果しかもたらさないリスク(危険)とたいていの人が思うであろう。また、わが国にリスクマネジメントが紹介された頃は「危険管理」と訳されていたので、もっぱら保険でいう「純粋リスク」(pure risk)、すなわち「損害・損失のみ発生させるリスク」(loss only risk)が対象となっていた。

 ところが、技術革新、企業活動のグローバル化や高度情報化社会の進展などに伴い、リスクは多様化し、リスクマネジメントの対象も損失のみをもたらす純粋リスクだけではなくなった。たとえば、「投機的リスク」(speculative risk)は、loss or gain riskと表現されることもある。Gain riskを儲かるリスクと訳してしまえば、意味不明になってしまう。投機的リスクとは、リスクをとった結果として、損失にも利得にもなりうるという意味である。株式投資を行う場合には、多かれ少なかれ利益を得たいという思いから株式を購入するはずであるが、当然ながら投資の結果がプラスになるかマイナスになるかは購入時には不確かである。その不確かさの影響がリスクである。

国際標準規格におけるリスクの定義

 リスクという用語の混乱を避けるため、リスクマネジメントの国際標準化が要望される中、2002年にISO/IEC Guide 73が制定されて、リスクは「事象の発生確率と事象の結果の組合せ」と定義された。この定義において、「結果」(consequence)は好ましいものから好ましくないものまで変動する場合があるとされ、リスクは危険という用語のように好ましくない影響をもつものだけに限定されなくなった。その後、ISO内に設置されたワーキンググループが検討を重ね、2009年にリスマネジメントの指針規格であるISO31000が発行されるに至った。ISO31000では、リスクは「目的に対する不確かさの影響」(effect of uncertainty on objectives)と定義されている。この定義中の、「影響」とは、期待されていることから、望ましい方向および/または望ましくない方向に乖離することを意味し、ある目的達成のためには、おそらく望ましくない影響があると認識していても、望ましくない影響を有するリスクを積極的にとる必要もあることを示唆している。昨今の企業価値向上のためのリスクマネジメントにいうリスクとは、まさにこのような意味でリスクをとらえている。

*ISO(International Organization for Standardizationの略称:国際標準化機構)
*IEC(International Electrotechnical Commissionの略称:国際電気標準会議)

危機≠危険

 ある学者は、crisis(危機)という用語は、現代社会においておそらくは最も誤った用いられ方をしている用語の一つであると悲観している。Crisisという用語は、ギリシャ語のχριτής-英語でjudge(判断)、criterion(基準)、discrimination(区別)など―およびκρινειυ-英語でto decide(決定する)、to separate(分離する)など―に由来する。そこから、事態が悪い方向に向かうか、快方に向かうか、事態の決定的変化を示唆する分岐点(turning point)として用いられるようになった。危機の本質は、平時の思考基準とはまったく異なる基準で対応すべき状態の生起であると考えられる。

 わが国では、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災を機に「危機管理」(crisis management)という用語が一躍注目を浴びるようになった。それ以降、危機管理という用語を様々な場面で使用され、耳目に触れない日はないといっても過言ではなかろう。危機管理という用語は、冷戦期の最も深刻な核戦争勃発の危機といわれたキューバ危機において、当時のケネディ政権下のRobert S.McNamara国防長官が演説中に“There is no longer any such thing as strategy, only crisis management.”(もはや(戦争)戦略は存在しない。これからはただクライシスマネジメント(危機管理)あるのみ)と述べた時に初めて使用されたといわれている。その後、国際政治学の分野では、危機管理の前提となる「危機」の概念に関する多くの論考が公表され、その一部は企業経営分野等の危機の概念形成にも応用されている。たとえば、危機の概念研究に多くの視座を与えた Charles F.Hermannは、危機とは、意思決定集団の最上位目標に脅威(threat)を与え、意思決定がなされる前に対応可能時間を制限し(short time response=time presure)、その発生によって意思決定集団に不意打ち(surprise)を抱かせる状況であると説いている。この危機の定義における「脅威」や「時間的制約」といった要素は、他の分野の危機の定義にも応用されている。いずれにせよ、危機とは通常とは異なるきわめて深刻な状況を指す。

 他方、わが国においては、危機管理と題した文献は枚挙にいとまがないものの、危機の定義や概念を詳細に論じたものは少なく、実際、頻繁に使用される経営危機などといった用語―望ましいことではない―の場合に、危機がどのような意味で使用されているかは曖昧な場合が多い。

 リスクや危機は非常に耳慣れた言葉である。しかし、その意味を問われたとき、果たしてどの程度の人々が正確に回答できるであろうか……。

平澤 敦(ひらさわ・あつし)/中央大学商学部准教授
専門分野 損害保険(特に海上保険)契約・危機管理の理論
1990年中央大学商学部会計学科卒業、1993年中央大学大学院商学研究科修士課程修了、1996年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得修了、一橋大学商学部助手、中央大学商学部専任講師、助教授を経て、現在同大学商学部准教授。著書に、木村栄一・野村修也・平澤敦(2006)『損害保険論』有斐閣、大谷孝一・中出哲・平澤敦(2012)『はじめて学ぶ損害保険』有斐閣がある。