藤原 静雄 【略歴】
藤原 静雄/中央大学法科大学院教授
専門分野 行政法、情報法、地方自治法
人は物事を忘れることができる。脳科学的にはともかく、忘れることで赦し、赦される。過去を断ち切る可能性を得られる。しかし、コンピュータは忘れない。情報革命の時代、蜘蛛の糸のように張りめぐらされたコンピュータネットワークの網に引っ掛かった個人情報が忘れられることはない。その結果、例えば学生時代の愚行あるいは悪戯が、就職時にあるいは社会人になってから問題にされるといった類の話が現実のものとなっている。
個人の過去の触れられたくない情報をネットで暴露したらプライバシーの侵害である。だとすれば個人情報保護法で守ってもらえるのではないか。なぜなら、憲法の教科書には、情報化社会のプライバシー権は、自らが自分の情報の流れ、つまり誰にどの範囲で見せるかなどをコントロールする権利と書いてある。この権利はある程度は個人情報保護法の中で具体化されている。だとすれば、管理者に削除しろ、訂正しろと言えるのではないかと一応は考えることができる。けれども、実際にはこれらの請求が実効的だとは言えない。ネットでは真の管理者がわからないことはよくあるし、情報が拡散してしまえばどうしようもないからである。つまり、ネット社会ではプライバシー権という拳銃に弾は込められていないのである。これが、近時話題となっている「忘れられる権利(Right to be forgotten)」というアイデアが登場した背景の一つである。
2012年1月に公にされたEUのいわゆる個人データ保護一般規則提案は、案の段階ではあるが、前年の2011年から明らかにされ、話題を呼んでいた忘れられる権利を明記した。この権利の実際の中味は、EUの各国の現行個人情報保護法にある消去の権利を、実質化するというものである。EU規則の定めたところは、簡単に言えば、「個人情報を収集した目的、個人情報を処理する目的から言って当該個人情報が必要でなくなった場合、本人が同意を撤回した場合又は同意を与えた保存期間を徒過した場合には、他の法的根拠がない限り、本人は、管理者に自己の個人情報を消去させる権利及び当該情報の拡散を中止させる権利を有する」というものである。このような権利に対して、ドイツでインターネット規制への反対を主たる党是として支持を伸ばしている海賊党(Piratenpartei)などは、提案者の情報技術の理解はほとんど子供のようである、と評している。また、インターネットが世界中につながっている以上、EUの域外の人々もこのような考え方を受け入れないと、この権利はまたも弾丸の入っていない銃となる。さらに、昔のことを消せるという側面をもつということは、各種の報道などメディア等の表現の自由との緊張関係を生じるということになる。というように、この権利の行く末はまだ定かではない。ただ、言えるのは、プライバシーの権利の内容は各時代の技術・空気を投影しているものであり、フェイスブックとウィキリークスに象徴される年に忘れられる権利のようなものが正式に提唱されたという事実は興味深いということである。
EU規則への忘れられる権利の明記は、世界的に反響を呼んだ。例えば、あたかもEUの方針に対抗するかのように、アメリカのオバマ大統領は、同年2月、「消費者プライバシー権利章典」の草案を公開した。そこでは、Do not trackという考え方が示されている。ユーザー行動の追跡を、消費者自身の判断で拒否できる(オプトアウト:嫌な人はその仕組みから出て行ける)という考え方である。ただし、表現の自由を重視するアメリカにおいて過去を消すことはできない。一定の消費者保護の仕組みは工夫するが、個人情報ビジネスの芽を摘むようなことはしないし、言論及び出版の自由を脅かす立法は許されない、というのがアメリカの立場である。オーストラリアの個人情報保護法に関するあるレポートによれば、プライバシーというのは、アメリカとヨーロッパで結論は同じになることもあるが、アメリカのプライバシー法は自由という引力の軌道の中で回っており、ヨーロッパのプライバシー法は人間の尊厳という引力の軌道の中で回っている、軌道接近することがあるが重なることはないという。忘れられる権利に対するアメリカの反応をうまく説明することができる比喩である。
個人情報保護の問題というのは経済や治安の角度からはグローバルな問題であり、文化的にはナショナルな問題であり、現実の問題はローカルな場面で生じることが多い。忘れられる権利というのは、オンラインにおけるプライバシーの問題であり、国際間の問題でもあり、国内の問題でもある。わが国ではまだEUの議論の概要が紹介されている段階である。案の段階に止まる議論にどう対応するかはともかく、従来のわが国は、EUとアメリカの個人情報保護政策を横目でみながら、結局、わが国独自の制度設計を行ってきている。プライバシー・個人情報保護の問題はその国の文化を基層としているだけに制度設計の難しい問題であるが、家に街に溢れるユビキタス端末によって個人のライフログ(人間の生活・行動を、映像・音声・位置情報などをデジタルデータ化した記録[Log]:閲覧履歴、検索履歴、移動履歴、通信履歴)を膨大に集め、分析することが可能な時代となった今日、先進国の標準装備として、この種の問題に方向性を提唱できる独立した第三者機関の存在が必要であろう。