我が国において河川の治水、利水、環境の整備は社会資本整備の重要な事業であり、流域住民の生命と財産を守り、農業や工業用水の供給を通じて我が国の発展に大いに貢献しており、また上水道を通じての質の高い飲み水の供給は人の営みに必要欠くべからざる事業となっており、人々の生活に安心を与えるものとなっている。さらに川が本来有する生態系ハビッタットの機能や良好な河川景観の創造は流域にすむ生きものと人間にとって必須であり、同時に人の心に安らぎと豊かさを提供するものとなっている。一方、近年の財政逼迫や出生数の減少そして高齢人口の急速な増加など我が国の経済情勢や社会構造が大きく変化している。政府においては近年継続して公共投資の削減を行っているが、大幅な公共投資の削減は本来進めるべき河川整備事業の遂行や従来整備してきた河川施設の維持を困難にしつつある。このような国内の社会経済的諸条件の変化や国民の環境に対する意識の変化の中で、国の防災力を高めつつ経済の成長力を維持し向上させ、豊かで安心を保障する社会の構築において、“水”と“川”の重要性はますます高まっていると考えるべきであろう。しかし現在そのような認識は必ずしも国民全体の共有した考えになっているとは言えない状況にある。その理由として我が国の河川の自然特性や治水・水資源開発の歴史や人の営みの中における水の役割についての正しい認識が必ずしも十分に理解されていないことが考えられる。川と水に対する理解の不足というこの状況は我が国のみならず、世界の各国においても同様で水に関する関心や認識は驚くべき低い現状にあるようである。
このような現状の中で本年10月14日の読売新聞朝刊1面、「地球を読む」欄に寄稿している「世界共通の問題」と題するポール・ケネディー氏(英歴史家)は、「真水の確保が出来なくなることこそ、人類の長期的な安全保障にとって最大の問題だと認めようではないか。」とし、さらに「さて、ここで私の発議に立ち戻ろう。それは、シリア危機やイスラエルとイランの対立など、戦略問題や外交問題の専門家の頭を占めている諸問題は、彼らがいくら重要だと信じていても、地球規模の水危機と比較すれば、色あせてしまう、ということだ。」という世界各国の水不足による人類の生存の危機に関して警告を発している。水文学を研究している私もまったく同感である。この水不足の原因として地球温暖化に伴う地球規模の気候変動による(と思われる)世界各国の大河川における流量減少や氷河の後退に伴う水資源量の減少が考えられる。なおこのような地球規模の何らかの変化や変動に関して、同氏は「気候学者以外は誰もが信じられないであろうが」としているが、これに関してより正確には、“水文学者以外は”、とすべきであろう。水文学(水文学)とは聞き慣れない学問として日本人には響くことと思われるが、宇宙全般の学問としての天文学と同列の言葉として惑星、特に地球の水全般を研究する水文学という学問は英語でHydrology、その研究者には水文学者(すいもんがくしゃ)=Hydrologistという言葉があり、英語圏の一定の教養を持つ人ならきわめて日常会話の中に現れる一般的な言葉である。著者(山田)自身も水文学の中で身を処してきたものとして、日本国内における“水文学”の国民全体における定着不足と世界の社会経済の変動のみなら物理的、気象学的、水文学的変化と変動事情に関する国民の持つ能天気さ対するいらだちを抱き続けてきた。台風あり、ゲリラ豪雨あり、梅雨あり、国土のほぼ1/3が世界有数の豪雪地帯である日本における日常と化している水の多さによって、かえって水資源確保という世界が直面する問題は日々の生活とあまりに無縁に響く言葉となっているのであろう。さらにこの一因として、学生や一般の若い世代がたとえ河川や湖沼や氷河のもつ多面的な役割や機能を学習したり研究しようとしても、手がかりとなる適当な教材が無い、あるいは少ないということが考えられる。これに関し我々関東に住む人間として、私は手始めに利根川を勉強することを薦める。我が国を代表する大河川=利根川について、その流域特性や河道特性、災害の発生状況、治水の歴史、飲料水の安全な供給と農業工業用水の安定な供給、さらに良好な河川環境が生物のハビタットを提供しているという事実を通じて地域や国家の発展に寄与してきた水のありがたさと同時に水の怖さを学ぶことで、指数関数的人口爆発が続く世界の最大の問題への何等かの解決の糸口を得ることが出来るかもしれない。もう一度言うと、我々の身近にある川の現状とその諸問題を学ぶことで、ひいては世界が直面し、将来の最大の問題となる真水の不足という国際(くにぎわ)問題ではなく地球規模の大問題に対する何らかの示唆を得ることができよう。