Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>オピニオン>中国経済はルイス転換点を通過したか

オピニオン一覧

山本 裕美

山本 裕美 【略歴

中国経済はルイス転換点を通過したか

山本 裕美/中央大学経済学部特任教授
専門分野 開発経済学、環境経済学、東アジア経済論

本ページの英語版はこちら

ルイス転換点とは

 最近注目されている中国経済問題の一つは、中国経済のルイス転換点論争である。ルイス転換点とは開発経済学からみると発展途上国の労働市場が労働過剰状態から労働不足状態へ移行する点をいう。この理論の創始者は1979年のノーベル経済学賞を受賞したルイス(W. A. Lewis、1954)である。さらにラニス=フェイ(G.Ranis and J. C. H. Fei、1961)がルイスの2重経済理論を発展させたのである。

 簡単に説明すると一発展途上国の経済が農業部門と工業部門から構成され、工業部門の発展に従って農業部門の過剰労働力が工業部門に吸収されていく。この過剰労働力が完全に工業部門に吸収される点が転換点である。

 図式でいえば、oo’は一国の労働人口を、oaは実質生存賃金を示す。A1は農業労働の限界生産性で、I1は工業労働の限界生産性である時、abが農業に雇用され、deが工業部門に雇用され、残りのbdは過剰労働部分で農業部門内に滞留する偽装失業となる。技術進歩によりI1がm回左シフトしImに、A1がn回右シフトしてAnになり,実質賃金線ae上で一致した均衡点c点をルイス転換点という。c点では過剰労働は完全になくなる。この後は、労働市場は労働不足となり、実質賃金は上昇する。

中国経済のルイス転換点論争

 中国の論者の多くは、中国経済はすでに2004年頃転換点を通過したとみる。しかし、その証明は経済学的に不十分なものが多い。例えば、都市労働市場の変化、人口構造の変化から論じている。また農業部門の労働の限界生産性を推計している論文やこの農業労働の限界生産性と「生存賃金水準」と比較した研究もあるが、使用したデータの正確さに問題があるものもある。他方、日本の学者で転換点を通過していないと反論しているのは南亮進一橋大名誉教授等の研究(2009)、丸川知雄東大教授(2010)がある。南教授、丸川教授等は中国農業のコブ=ダグラス生産関数を推計しているが、用いたデータは中国の「農業データ」で農業のみならず、林業・牧畜・漁業を含む広義のデータであるという問題がある。中国の研究者の生産関数分析も同様のデータを使用しており、同様の問題がある。

我々の研究

 稲田光朗(京大)と私(2012)は、中国の国家発展改革委員会価格司編『全国農産品成本収益資料匯編』(以下『全国農産品生産費収益資料集』)からの日本米(粳米)に関する省別生産費データ(1992-2009)をパネルデータとして用いてコブ=ダグラス生産関数を推計した。被説明変数の生産量は、遼寧、吉林、黒竜江、江蘇、安徽、河南、寧夏の7省の生産量である。説明変数は農業労働時間、資本用役、作付面積である。我々がこの『全国農産品生産費収益資料集』のデータに注目したのは労働投入データである。従来生産関数の推計に使用された労働投入は労働者数というストック変数であったが、この資料の労働投入は「工份」というフローの単位で表されていた。しかし、この「工份」の労働時間への換算式は長らく示されていなかったが、2005年版の『全国農産品生産費収益資料集』で初めて1工份=8時間であることが明記されたのである。従来の生産関数分析ではフロー変数の農産物生産量(被説明変数)をストック変数の労働者数を説明変数としたために労働投入変数の生産弾性値は負になるという下方バイアスが生じていた。すなわち労働の限界生産性が負になるという非合理的な結果が生じていたのである。我々は生産関数の推計において労働投入の変数もストック変数ではなくてフロー変数を使用するのが科学的計算の基礎であると考えている。これは物理学でいう次元問題である。計測結果をみると、正に農業労働の生産弾性値は負の値ではなくて統計学的に有意な正の値が得られたのである。

結論

 この計測から農業労働の限界生産性と実質市場賃金と比較した結果は各省とも前者は後者よりも低いことが実証された。すなわち、これら7省は転換点を未だ通過していないことが明らかとなったのである。この事実は中国経済が転換点を通過したという見解に対して十分な反証となったのである。

 中国の政府は、1979年から改革開放政策を実施してきたが、基本的に農民の都市への移動を禁止してきた。農民の戸籍を都市の戸籍に編入することは許可されなかった。1984年に全国で人民公社が解体され、個別経営に移行し、農民は生産請負制から経営請負制の下で働くことになった。政府は当初「離土不離郷」政策をとり、経営請負制の下に顕在失業状態にあった農民は農業から離れても農村を離れることを禁止した。しかし、経済の発展に伴って都市の労働需要は高まり、農民は事実上「農民工」として都市に出稼ぎにでるようになった。この農民工の労働がなければ、北京オリンピックや上海万博のインフラ建設は完成出来なかっただろう。第12次5カ年計画(2011-2015)では一定年限都市に居住した農民工とその家族の都市住民への移転を推進する措置が取られた。

 農民戸籍問題に対しても90年代に徐々に緩和政策が取られたが、2001年3月には公安部が「小都市・鎮の戸籍管理制度改革の推進についての意見」を公布するに至った。そして第10次5カ年計画(2001-2005)では積極的に農民の小都市・鎮への移住を推進することがうたわれた。更に第11次5カ年計画(2006-2010)では農民の中小都市への定住の促進がうたわれ、第12次5カ年計画でもその定住条件の緩和方針がうたわれている。しかし、大都市への農民の移住を認めない政府の方針は依然として堅持されているのである。2011年にはついに都市人口が農村人口を越えたのである。過剰労働力の農民の都市への移住は今後も増えることはあっても止むことはないであろう。

参考文献
  • 稲田光朗・山本裕美「中国経済転換点の実証:ジャポニカ米生産の省別パネルデータに基づいて」『中国経済研究』第9巻第1号(2012年3月) 1-22頁。
  • Inada, Mitsuo, and Hiromi Yamamoto(2010). ”Analysis of Migration Decisions of Chinese Japonica Rice Farmers,” Discussion Paper Series No. 145, Institute of Economic Research, Chuo University.
山本 裕美(やまもと・ひろみ)/中央大学経済学部特任教授
専門分野 開発経済学、環境経済学、東アジア経済論
徳島県出身、1945年生まれ。70年京都大学農学部農林経済学科卒業後、同大学大学院農学研究科農林経済学専攻博士課程中退。92年、京都大学博士(農学)。アジア経済研究所研究員、香港大学アジア研究センター客員研究員、ロンドン大学東洋アフリカ学院現代中国研究所客員研究員、京都大学大学院経済学研究科教授を経て09年より中央大学経済学部特任教授。主要著書に、『改革開放期中国の農業政策』(京都大学学術出版会 1999年)がある。