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市川 哲夫

市川 哲夫 【略歴

テレビ放送の60年――ソーシャルメディアの時代に

市川 哲夫/中央大学総合政策学部客員教授
専門分野 放送文化論

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テレビ事始め

 日本のテレビ放送は、来年2月1日に「還暦」を迎える。1953年(昭和28年)、NHKの志村正順アナの第一声で、始まったのである。私は5年前、志村さんの最後のインタビュー取材をさせていただいた。志村さんは戦前、日本放送協会に入り、数々の歴史的放送を担当された。おそらく一番有名なのは、出陣学徒の壮行会での昭和18年10月21日の放送である。その日、実況放送の予定は、名アナウンサーの和田信賢さんであった。しかし和田さんは、学徒が戦場に赴く放送というプレッシャーに耐えかね、前夜痛飲したのか、なかなかアナウンス席に現れない。開始2分前に現れた和田さんから、直にピンチヒッターを仰せつかったのがサブでスタンバイをしていた志村さんだった。いきなり放送席に座り、五万人が詰めかけた、雨中の明治神宮競技場での実況を担当した。当時のアーカイブで彼のアナウンス振りを聴くことが出来る。

 話は突然変わるが、「お前はただの現在にすぎない」というテレビ論の伝説的な本がある。テレビマンユニオンを立ち上げた萩元晴彦、村木良彦、今野勉の三氏の共同著作である。1969年に出版された本だが、今なお色褪せていない。さまざまな箴言が散りばめられた、つまりは「お前(テレビ)はただの現在にすぎない」というテレビ論であった。テレビの本質は、生(ナマ)ということである。NHKのテレビ放送開始のあと、NTV、KRT(現TBS)と民放テレビが続き、60~70年代のテレビ黄金時代を迎えた。私は1974年にTBSに入社したのだが、ニュースもドラマもバラエティーも生の「現場」はいずれも火事場騒ぎのような活況を呈していた。

 私の入社式の日の夜、NHKテレビの「ニュースセンター9時」が、磯村尚徳キャスターで始まった事を憶えている。NHKでのキャスターニュース番組の嚆矢と言ってもよいだろう。ニュース報道が劇的に変わったのは、70年代後半ENGというビデオカセットでの収録が始まって以降である。フィルム映像がビデオ映像にとって代わった。

テレビの黄金時代

 作家の小林信彦は、テレビの黄金時代は61、2年頃に始まり、「きびしくいえば71年、甘くみて73年が、<黄金時代>の終りだった。」と書いている。これは小林自身が、テレビ作家としてコミットしたエンタテインメント分野での彼流の評価なのだが、たしかに放送開始から二十年で、「テレビの青春」(今野勉)時代は終わり、日本経済と同様、「高度成長」から「安定成長」の時代に移って行く。民放テレビは5~60年代前半、ベンチャービジネスであったが70年代には有力な「企業」に成長して、学生の人気就職先にもなった。メディアにおける広告費の取り扱い高が、新聞を抜いてテレビが首位に立ったのは1975年のことである。そしてテレビ好きの日本人が、最も多くテレビを観たのが1979年(昭和54年)であった。ゴールデン帯(夜7時から10時)の、HUT(総世帯視聴率)が77・8%もあった。いまはどうか。同じ時間帯で63%前後、当時の二割減といったところか。衛星放送時代の到来が夢物語だった頃は、民放はどんなに番組を作っても「売り場面積」が24時間しかないから限界産業だという認識が、当時の民放の経営者には少なからずあった。しかし80年代には、衛星放送の時代が到来し、以後多チャンネル時代となった。拡大した「売り場」に、商品の陳列が追いつかないという状況が生まれる。BS放送に通販番組や「韓流ドラマ」が目立つのには、そういう背景がある。

 さらに90年代半ばメディア環境に革命が起こり、パソコンとケータイが大ブレークした。いつの時代でも、革命的商品には若者が真っ先に虜となり、やがて全世代のモノとなるのだが、今や「革命」はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の構築にまで及んだ。

やはり「テレビは生である」?

 私は仕事柄、学生に「テレビをどのくらい観ている?」と必ず尋ねるのだが、彼らの視聴時間は少なくなっているとのこと。G帯には友人と過ごしたり、アルバイトで、そもそも「家にいない」のだとか。彼らの、G帯は23時以降の僅かな時間のようだ。これは若いサラリーマンやOLにも共通するらしい。民放の番組編成はG帯の視聴対象として、若い男女が好みそうな(?)ラインアップを組むのだが、そこにはあまりお目当ての「客」がいないというのが現実だ。早めに帰宅する若者も少なからずいるのだが、彼らが先ず接するメディアは、SNSであるようだ。「時間泥棒」という言葉をご存じだろうか?人間の一日の時間は24時間である。そのうちメディアに接する時間はせいぜい3~4時間ではなかろうか。昔はそれはテレビだったのだが、今はSNSであるらしい。時間を奪う最たるメディアがSNSなのだ。テレビとの両刀遣いも珍しくない。

 しかし、テレビにも希望がある。東日本大震災直後、人々が頼ったメディアは、先ずテレビだった。雑誌「Nextcom」によれば、地震・津波・原発事故・放射能に関する情報も真っ先に人々が飛び付いたのは、やはりテレビだった。「テレビは生である」というテーゼは、今なお色褪せていない。テレビ60年「還暦」ということで、原点回帰こそが再生のカギだろう。

市川 哲夫(いちかわ・てつお)/中央大学総合政策学部客員教授
専門分野 放送文化
1949年埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。中央大法学部卒。
1974年TBS入社。ドラマの番組作りに三十余年。主な番組歴、連続ドラマ「代議士の妻たち」「課長サンの厄年」松本清張ドラマ「迷走地図」「波の塔」特別企画「派閥人事」(ギャラクシー奨励賞)など。04年~07年、映画テレビプロデューサー協会エランドール賞委員長。
07年よりTBS『調査情報』誌編集長。主要論文に「70年代から見えてくるもの・見えてきたもの」など。