小林 謙一 【略歴】
小林 謙一/中央大学文学部准教授
専門分野 日本考古学
火の発明、言葉の発明、石・骨・木材など自然物を道具として利用したことに次ぐ、人類史上の大きな転機の一つが土器の発明である。粘土から水の漏れない容器を作り出した土器は、人類が初めて手にした化学変化の産物である。食料を煮炊きし、貯蔵することができるようになり、さらに土偶などと共に文様装飾を施すなど芸術性を発露させ、人類文化の発展を導いた。土器の発明というイベントがもつ歴史的意義は、この十数年間の考古学的発見により、大きく変わってきた。
日本列島で言えば、土器の出現は縄文時代の始まりのころにあたる(1)。縄文時代は、後氷期の環境の中で土器を持つが農耕を行わない日本独自の新石器文化の時代と理解されてきた。縄文時代の始まりは、現行の高校教科書に載るような定説では、約1万年前に氷河期が終わり、大型獣が滅びて替わりに照葉樹・広葉樹が森林を形成する環境変化に応じて、旧石器時代の遊動民が大型獣を追う狩猟中心の生活から、採取した木の実など植物質食料を土器で煮炊きして食するようになり、一定地域に定着的な生活を始めたとされてきた。しかし、この10年間に炭素14年代測定など研究成果が進み、青森県大平山元Ⅰ遺跡の無文土器は1万5000年以上前の土器で、確実な測定例としては世界最古の土器の一つと評価でされるようになった。ロシアのシベリア地方アムール川流域のオシポフカ文化では15000年以上前の土器が、中国湖南省の洞窟遺跡では15000~18000年前の可能性が指摘される土器が発見されてきた。さらにこの7月には、中国江西省にある仙人洞遺跡の土器が、同じ層の炭化材などの測定結果から2万年前に遡る可能性があるとサイエンス誌上に報告された(2)。2万年前は氷河期でも寒冷期のピークであり、植物性食料が乏しい時期となる。土器の初現は、まさに氷河期の最中に起きたのである。とするとこれまでの定説の「暖かくなって堅果類を煮るために土器が作られた」という説明は、考え直す必要が生じた。
1万5000年をさかのぼる年代が得られている中国南部やアムール川流域の初期土器群、日本本州島東部は、世界で最も古い土器の故郷である。これらの地域は互いに隔絶した位置にあり、氷河期後半期に多元的に土器が出現したと考える。その時の環境は、まだ氷河期の針葉樹林であり、落葉広葉樹のドングリやクリなどが繁茂する植物相ではなかった。日本列島の土器は河川沿いに内陸部まで分布することから、魚類の煮沸による魚油採取のために発明されたと考えるロシアのアムール川流域の発生期土器とも異なった系譜だろう。中国中部・日本列島・アムール川流域では、氷河期の最中から終わり頃に、厳しい環境を克服するために、僅かな植物性食料やコケ・樹皮を効率よく摂取する手段として、それぞれの工夫の中で土器を発明したのではないか、と考えている。
西アジアの土器は、約9000年前に農耕・牧畜の出現の後、貯蔵用に発明された。農耕に重きを置いたヨーロッパ的な文明史観では土器は農耕の副産物に過ぎず、著名な考古学者であるチャイルドは、農耕・牧畜の発明を中心に「新石器革命」としたが、見直しが必要だろう。東アジアでは農耕の起源と無関係に土器を生み出したことが確実だが、その契機は今後の検討課題である。日本列島での歴史のみならず、人類史的な発展段階についても、その環境への適応や技術的手段としての土器の発明は、重大事件であった。その後の文化に直接続かなかった中国南部やアムール川流域と異なり、日本列島では、出現期の土器から縄文時代草創期以降の土器文化が継続し、土器を契機として定住化や弓矢が出現し(3)、現代に続く日本の基層をなす縄文文化となった。それは、温暖期を迎えて豊かな落葉広葉樹林が広がった東日本において、土器を持つことが最も有効に働いた結果と考える。氷河期が終わる頃の1万5000年から12000年前頃の平均気温が6度異なるような2度にわたる急速な温暖化と寒冷化を、土器を用いた煮沸や貯蔵によって乗り切ったのである。日本列島の豊かな自然環境に適応した縄文文化は、世界史的にも珍しい本格的な農耕を長く採用しなかった先史文化である。次第に原初的な農耕段階へ進みつつも採集狩猟を中心に自然と共存し、戦争などの社会的ストレスも少ない安定した社会をもたらし、交易などのネットワークを持ちつつ関東・東北・中部・西日本など地域ごとの土器文化を発達させた。縄文文化は日本列島に暮らす人々の歴史的特色の背景となっており、その端緒となった土器出現は歴史の一大画期といえるのである。
歴史を遡るほど明確になっていない事実が多く、考古学は未熟な学問分野だと思われるかもしれない。新発見や新しい分析によって、歴史観が新たになることは多い。土器出現がこれほど古い出来事だとは、以前は想像もしなかった事実である。次々に発見される新たな事実から歴史を再構成していくおもしろさを感じていただきたい。