山崎 圭 【略歴】
山崎 圭/中央大学文学部教授
専門分野 歴史学(日本近世史)
私は村落史・地域史を中心に江戸時代(日本近世史)の研究をしている。研究には、博物館・文書館等で収蔵している史料(古文書等)だけでなく、個人の所蔵史料を利用することが多い。日本の場合、世界各地と比較して、江戸時代以降の史料がかなり多く残されているため、かつて名主・組頭等の村役人を勤めた旧家では、今も当時の古文書を持ち伝えている。そのようなお宅を尋ねて、土蔵からほこりをかぶった古文書を出していただき、閲覧したり撮影したりする。現在、八王子市が市史編纂のため市内の史料を収集しているが、中央大学の所在する旧中野村をはじめ各地区から古文書がたくさん出ている。江戸時代ぐらいまでのものであれば、私たちの周りに意外にたくさん古文書は存在している。
今年3月、私は大学院生と一緒に宮城歴史資料保全ネットワークの活動に参加して、宮城県石巻市を訪れた。同ネットワークは東北大学に拠点を置き、被災した古文書等の救出活動にあたっている団体である。東日本大震災では多くのかけがえのない人命と同時に、人々の貴重な財産も多数失われた。そのかげで、歴史研究にとって欠くことのできない古文書(その多くは江戸時代以降のもの)もまた、それらを納めていた旧家の土蔵とともに壊滅するなどしている。石巻では、建物の土台だけが残った状態で延々と続く住宅跡地と、所々に置かれた献花を見たが、東北地方の漁村・海村・港町等では、人々が積み重ねてきた暮らしと同時に、そのことを物語る古文書の相当数も流失してしまった。そういった被害の中をかろうじて生き延びた古文書を保全・修復し、未来に残していく作業が歴史研究者や市民等のボランティアの手によって東北・関東の各県で地道に行われている。
歴史研究においても、震災の衝撃を受けて研究課題を見直そうとする動きがいくつも見られる。私たちの『中央史学』でも「災害と歴史研究」という特集を組んだし(35号、中央史学会編)、歴史学研究会でも『震災・核災害の時代と歴史学』(青木書店)を刊行するなどしている。歴史学の課題ということでは、ここ数年、「生存」や「貧困」の問題も歴史系諸学会でクローズアップされている。世界的な経済の深刻状況と、それが私たちの暮らしに与える打撃を前にして、過去において人々は時代や地域を異にするさまざまな社会の中で、どのように困難な状況と向き合い、生存のための仕組みを作り出してきたのかを考えようとする企画が相次いでいる。被災地でも、津波や震災を免れて修復・保存された史料の分析を通じて、どのように人々が災害をはじめとした生命の危機と向き合い、今日まで生き続けてきたのかが今後いっそう具体的に明らかにされていくはずである。
湯浅誠さんの著書『反貧困』(岩波新書)を見ると、現在の日本においてセーフティネットが十分に機能していないことが問題視されている。それでは、江戸時代の社会ではどうだったのだろうか。江戸時代は、一言で言えば、小百姓が主要な位置を占めた時代である。多くの土地を持たなかった小百姓たちは、労働集約性を高め、土地生産性をあげて経営を成り立たせてきたが、このような経営は災害や病気等の不測の事態によるダメージを受けやすい性質を持っていた。江戸時代には不作・飢饉・洪水・地震等さまざまな災害が繰り返したが、被害を受けた百姓たちは、領主に「御救」(食糧、金銭、種籾等の供与)を求めた。江戸時代の前期には、この「御救」がある程度機能しており、領主は日頃は収奪するけれども非常時には「御救」をする存在として認められ、その政治は「仁政」として人々に意識された。しかし、よく知られているように江戸時代の後期になると幕藩領主財政は行き詰まりを見せ、以前のような「御救」が十分にはできなくなり、その範囲や規模が次第に縮小されていった。かわって村や有力百姓(都市であれば、町や有力町人)等に役割の多くが転嫁されるようになった。村は、飢饉に備えて囲穀などを行う他にも、小百姓の経営維持のために様々な工夫を施している。
しかし、このような村の機能は明治期以降、否定されたり失われたりしていく。かわって国の社会保障制度がさまざまに整えられていくが、そのような制度が現在にいたって必ずしも十分に機能せず、見直しを迫られている。セーフティーネットは二重、三重に張られていてこそ機能するということからすれば、国の制度の見直しと同時に、地域社会で支え合える関係をどのように作っていくかを考えることも、課題となるであろう。その際に地域の歴史をふりかえって検討することが必要となる。公文書管理法が施行されて国の行政文書の保存・管理体制が整いつつある現在において、町や村の旧家等に数多く残されている民間の歴史史料を保存活用していくための体制整備もまた喫緊の課題である。