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升田 純

升田 純 【略歴

原子力賠償と復興

升田 純/中央大学法科大学院教授
専門分野 民事法

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1 損害賠償問題

 世の中には、多くの種類の紛争がありますが、その中で多数を占める紛争は、損害賠償をめぐる民事紛争です。私は、裁判官等を経て、大学で教鞭をとるとともに、弁護士をしているのですが、裁判官になった頃から損害賠償問題に関心をもってきました。実際の訴訟等の民事紛争を担当していますと、損害賠償額の算定が困難であったり、時代の常識に照らして低額にしすぎたりする事例が少なくないのです。損害賠償額の判断基準も、算定の仕方も明らかになっていない分野があります。しかも、損害賠償の範囲、項目も認められるかどうかはっきりしないことが少なくありません。

 損害賠償額の問題を自分の研究課題の一つとして選択し、例えば、名誉毀損の慰謝料額とか、プライバシーの侵害による慰謝料額の裁判例を研究し、論文、書籍として発表したのですが、訴訟等の現場で少しは役立ったようです。

 その後、現代社会においては、製品、サービス自体には欠陥、瑕疵がないのに、様々な事情から製品等の欠陥等を疑う情報が消費者、取引先、社会に提供され、製品等の取引が停止され、減少することによって生じる風評損害の現象が日常的に発生することが目立つようになりましたので、風評損害に関心をもち、原子力損害を含めた風評損害・経済的な損害の裁判例を研究し、論文、書籍(「風評損害・経済的損害の法理と実務」)として発表する等していました。原子力損害については、1999年9月に発生したJCO臨界事故の際には、原子力損害調査研究会の委員を務め、また、原子力損害をめぐる裁判例の研究もしていました。

2 東日本大震災と原子力発電所事故

 個人的には損害賠償問題は一段落と思い、他の分野、特に取引をめぐる裁判例の研究を進めていたところ、2011年3月11日、マグニチュード9.0の東日本大震災が突然発生したのです。

 私は、阪神・淡路大震災の際は、法務省で民法の担当者として震災の立法等も担当したことがあるものですから(この対応に当たっては、関東大震災の事例を検討し、参考にしました)、被害状況には強い関心をもち、津波等の被災地だけでなく、被災地の原子力発電所の対応も注視していました。3月11日の時点では福島第一原子力発電所が無事に運転停止となったとの報道があり、一安心したのですが、皆さん方と同様、翌日から正に悪夢のような不安な日々を経験することになりました。

 水素爆発や放射性物質の大量放出等の深刻な事態が次々と発生しましたので、急遽、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)の内容を確認し、大量の発生が予想される損害賠償をめぐる紛争に関する諸問題につき、いくつかの雑誌に論文を発表する等しました。大規模な災害が発生した場合には、迅速な人命の救助、ライフラインの復旧、当面の生活の確保、生活の支援、事業の復旧等の迅速で的確な対応を着実に進めていくことが極めて重要です。民事関係の法律問題の予測、解決の枠組みの提示、大量の法律相談の実施等は次の次のステップになります。大規模な災害の場合には、救助、復旧、復興等の過程は、迅速、的確かつ効率的に実施されることが極めて重要ですが、東日本大震災の場合には、残念ながら、政治、行政等の様々な問題が露呈し、円滑な復旧、復興が見られないのが現状です。当時、いろいろなところから意見を求められる等しましたので、これを「原発事故の訴訟実務」との書籍にまとめ、刊行し、将来の紛争の防止、予測のために利用してもらうことを密かに期待したところです。

3 損害賠償と復旧・復興

 今回の原発事故による原子力賠償問題については、原子力損害賠償紛争審査会によって中間指針等が公表され、解決の基準が示され、東京電力との和解、原子力損害賠償紛争解決センターの仲介等によって解決が図られています。中間指針は訴訟における損害賠償に関する判例の基準、考え方よりも損害賠償の範囲を広く認め、解決センターの提示する和解案はさらにその範囲を拡大し、増額し、風評損害、営業損害等につき従来の判例基準等を超えた損害賠償が実施されています。今回の損害賠償問題は、日本の歴史上最大規模の事件である上、中間指針等によって風評損害の賠償を非常に広く認めるものとして特徴的です。

 しかし、他方、今回の原発事故による損害賠償額は、予測が著しく困難なほど膨大であり、最終的には電気料金、税金の負担になることが予想されるものですから、社会全体で将来の負担を現実に検討すべき時期が来ています。また、原賠法は、原子力事業者の免責が認められない場合には(異常に巨大な天災地変によって事故が生じた場合には、免責されます)、原子力損害全部を原子力事業者のみが責任を負うことになっているのですが(責任の集中と呼ばれています)、法律のあり方として原子力事業者の負担を限定するか、国の責務との関係をどうするか等の法律の改正問題も現実化しています。さらに、実際の損害賠償請求の事例では、過大請求、不正請求、賠償基準の拡大、将来の基準拡大の期待による解決の遅延等の問題が生じているようであり、多数の事例が和解によっては解決されないことも予想されます。

 損害賠償金は、個人、企業等の被災者一人ひとりの生活、事業の再建、復興に使用される必要がありますが、その趣旨どおりに使用されない事態も予想されます。早期に生活、事業の再建、復興に取り組まなければ、損害賠償に依存する不幸な事態も生じます。

 今回の原発事故による損害賠償をめぐる紛争は、大半が和解によって解決したとしても、訴訟に至る事例も多数に上ることが予想されます。すべての訴訟、紛争が解決されるまでには数十年の年月を予想せざるを得ません。微力ですが、この問題に関心を持ち続けたいと思っています。一日も早く、すべての損害賠償紛争が解決されることを祈っています。

升田 純(ますだ・じゅん)/中央大学法科大学院教授
専門分野 民事法
島根県出身。1950年生。1974年京都大学法学部卒業。農林省、東京地裁判事補、最高裁事務総局総務局、福岡地裁判事補・判事、東京地裁判事、法務省民事局参事官、東京高裁判事を経て1997年退官、聖心女子大学文学部教授を経て、2004年から現職。研究課題は、主として、現代型取引をめぐる裁判例に関する歴史、意義の現代社会の視点からの研究、情報を取り巻く民事上の諸問題の研究 等。