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長内 了

長内 了 【略歴

カナダという国

長内 了/中央大学法学部・法科大学院教授
専門分野 基礎法学(英米公法・比較憲法)

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 現行カナダ憲法が施行されてから、本年4月で満30年になる。それに先駆けて、日本カナダ学会(JACS)は、昨年9月に「カナダ連邦制度の変容」と題するシンポジウムを開催したが、その司会を務めた私は、フロアから「法律を専門とする人々には常識であっても、専門外の人間には分かり難いことが多い」というキツイお叱りを受ける羽目になった。

 確かに、JACSの会員は、カナダを対象とする地域研究に取り組んでいるという点では共通していても、各人の学問分野が多岐にわたっているために、報告者が専門とする分野の「常識」がそのままでは通用しないことも決して稀ではない。当日は司会者の権限を濫用して、各報告の補足やら陳弁やらに相務め、どうやら事なきを得たが、異なる常識のレベルを調整する難しさをしみじみ思い知らされた1日であった。そして、研究者相互においてそうであるならば、初学者である学生諸君に対しては、それ以上に心して当たらなければならないと改めて覚悟を迫られたのである。

 とは言うものの、何事も簡潔さを求める学生諸君の質問に頭をかかえるのは、私にとって日常茶飯の出来事である。以下の雑文では、この種の質問に苦労を重ねてきた経験の一端を語ってみることにする。これまで「オピニオン」に掲載されたレベルの高い先端的学問研究の紹介とはかなり趣を異にするが、不出来な教師の繰り言として、暫しのお目汚しをお許しいただきたい。

私のカナダ学事始め

 私とカナダとの出会いは、1960年代末に遡る。当時、法学部の助手であった私は、合衆国憲法の基礎研究に取り組んでいたが、その最大の特徴である「連邦制度」という統治システムがどうしてもよく分からない。ケース・ブックを取っ替え引っ替え読んでみても、初学者の悩みを解決する糸口さえ見つからないのである。今から思えば、合衆国の建国史をじっくり読み込むことから始めるべきであったのだが、悲しいことに当時の私には、それだけの智恵も余裕もなかった。

 そんな悩みを抱いて煩悶する私に救いの手を差し伸べてくれたのがカナダの憲法学者Edward McWhinney教授であった。先生のことは、1957年に設置された憲法調査会(高柳賢三会長)の求めに応じて、辛口のコメントを寄せた学者として承知していたが、1968年の秋に偶々来日中の先生にお目にかかる幸運に恵まれたのである。清水の舞台から飛び降りる心地で初学者の悩みを訴える私に、先生は比較憲法学の重要性を説かれた上で、当時教鞭を執っておられたMcGill大学で比較連邦制度の特設セミナーを開講する予定なので参加する気はあるかと訊ねられた。思いもよらぬお誘いに、当時の為替レートでは月給100ドルにも満たない薄給の身であることも忘れて、「お世話になります」と答えてしまった自分の無鉄砲さが今でも信じられない。

カナダはいつ独立したのか?

 カナダは、合衆国と同様にかつて大英帝国の植民地であった。しかし、合衆国が独立戦争によって、一足飛びにイギリスの支配を脱したのと異なり、カナダの場合は、その独立が長く複雑な過程を経て、徐々に進められて行ったところに特徴がある。そのプロセスは、大きく次の4つの段階に分けることができよう。

① 外交権の独立

 カナダ連邦は、イギリス議会によって1867年に制定された英領北アメリカ法(BNA法)がアメリカ独立後の北米大陸でイギリスに残された3つの植民地を統合し、4つの州からなる自治領(Dominion of Canada)として再編したことに始まる。このカナダ自治領が第一次世界大戦後の1916年にパリで締結された講和条約に自らの名前で署名したことから、国際社会で外交権を行使する独立の主体として認められ、これが1926年のバルフォア宣言(Balfour Declaration)によって追認された。

② 立法権の独立

 植民地時代のカナダの立法権は、判例法や勅令を含むイギリス本国法一般の優越性に服していたが、自治領の成立とともに、本国法の優越は国会制定法のみに限定された。さらに、1931年に制定されたウエストミンスター法(Statute of Westminster)は、イギリス議会制定法はカナダ連邦議会が承認した場合にのみカナダに適用されると定め、自治領立法権の自主性を大きく前進させたが、1867年以降のBNA法については、同法の適用外とされた。なぜなら、BNA法はカナダにとっては歴とした連邦憲法でありながら、本国からみれば通常の議会制定法のひとつに過ぎず、したがって連邦憲法に不可欠とされる特別な改正手続を欠いていたからである。このためウエストミンスター法体制の下でも、カナダが自らの憲法を改正するためには、本国議会立法権の発動を仰がなければならない状態が続いたのである。

③ 司法権の独立

 カナダ自治領が自前の最高裁判所を設置したのは1875年である。しかし、カナダの裁判所の終局判決についてロンドンに本拠を置く枢密院司法委員会(Judicial Committee of Privy Council)への上訴を認めるという植民地時代からの慣行がその後も維持された結果、カナダ連邦最高裁判所は真の意味で終審裁判所とは言えなかった。この慣行が廃止されたのは、カナダの国名から「自治領」という言葉が取り除かれた1949年のことである。

④ 憲法改廃権の独立

 イギリスとカナダの間に存在した法的宗属関係の残滓を最終的に精算したのが、冒頭に触れた1982年憲法である。これによってカナダは、自国の憲法を改廃する完全な権限を手にし、名実共に独立国家としての体裁を整えることになった。

 以上、カナダ独立のプロセスを時系列に沿ってごく簡単に記述したが、それでもカナダについて学び始めた学生諸君から「もっと簡潔に説明してほしい」と求められる私の困惑ぶりがお分かりいただけるだろうか。

長内 了(おさない・さとる)/中央大学法学部・法科大学院教授
専門分野 基礎法学(英米公法・比較憲法)
 1942年北海道生まれ。1966年に中央大学法学部を卒業し、法学部助手、助教授を経て1979年教授就任、2004年から法科大学院教授を併任。この間、学生部長、法学部長、常任理事などの学内行政職や、比較法学会・日米法学会・日本カナダ学会の理事・監事、日弁連外国法事務弁護士懲戒委員等を務めたほか、アメリカ、カナダ、フランス等の大学で研究・教育に従事。主な著作に、故塚本重頼最高裁判事との共著『註解アメリカ憲法』酒井書店(1983年)や外国人研究者向けに書かれた論文 "Legal Problems of Transition to Democracy: The Case of Japan" Verlag Recht und Wirtchaft GmbH (1995)などがある。