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木下 耕児

木下 耕児 【略歴

現代人とミラーニューロン

木下 耕児/中央大学商学部教授
専門分野 言語獲得・習得理論

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ミラーニューロンという視点

 私の専門は言語獲得・習得理論で、M.I.T.の言語学者ノーム・チョムスキーの理論に強い影響を受けました。言語はヒト固有で、幼児の脳には全言語に共通する普遍文法と呼ばれるデフォールト状態の言語機能が生得的に備わっており、音声データに従って作動し、自然な母語獲得に至る、という考え方です。つまり、母語獲得はヒトの本能であって、才能や教養とは無関係に、遺伝子の発現によって方向づけられているのです。もちろん、言葉使い、表現力、読み書きなどは学習や経験を積むことによって養われます。

 一体、言語はどのようにしてヒトにもたらされたのか、その一因は文化や社会の萌芽が生まれる過程で、自己を認識し、他者とのコミュニケーションの必要性が高まったこと、だと考えられます。当然ながら、その背景には脳の飛躍的な発達があります。しかし、皮肉にも現代人は、ヒトにのみ許された言葉に翻弄され、コミュニケーションにますます苦慮するようになりました。

 そこで、私がふと思い起こすのが、「モノマネ細胞」とも呼ばれるミラーニューロン (Mirror neuron)です。なぜかというと、この神経細胞が他者の行為、意図、感情を理解するための「共感」(empathy)に関与しており、ヒトが言語を獲得するきっかけにもなったのではないか、という仮説があるからです。そして、共感はコミュニケーションに欠かせないものだからです。このユニークな細胞は現代の私たちに何を示唆しているのでしょうか?

モノマネ、共感、言語~ミラーニューロン研究の成果

 ミラーニューロンは、1996年にパルマ大学の神経生理学者ジャコモ・リッツォラッティの研究チームが、マカクザルが自分で餌を拾い上げる時と、実験者が餌を拾い上げるのを見た時に、脳の同じ領域が活性化しているのを偶然発見し、命名しました。他者の行為を見ただけで、自身も同じ行為をとっているかのように脳細胞が反応する、という意味で「鏡」であり「モノマネ」なのです。リッツォラッティは本来、脳の病変による運動性機能障害から患者を回復させる方法を模索するためにマカクザルの実験を行っていました。

 その後、2005年にリッツォラッティの同僚であるレオナルド・フォガッシらが、アカゲザルに実験者が餌を掴んで口に運ぶ様子と容器に入れる様子を見せ、別々のミラーニューロンが活性化することを発見しました。「掴む」モノの種類は関係なく、アカゲザルにとって「口に入れる=食べる」という目的や意図が重要なので、前者に反応するミラーニューロンが後者よりも明らかに強く活性化しました。

 ミラーニューロンは反響を呼び、ヒトの脳にも同じような領域が発見されました。たとえば、ブローカ野 (Broca's area)は発話に必要な舌、唇、喉の動きを制御する運動性言語中枢ですが、文の理解に必要な統語情報も処理します。興味深いのは、このブローカ野が話者の意図や意味を示唆する腕や手のジェスチャーに反応するミラーニューロンだという点です。ユニヴァーシテイ・カレッジ・ロンドンのジョン・スコイルズは、ジェスチャーによるコミュニケーションから音声言語への発達を主張しています。

 サルでは検証できない感情については、2003年にUCLAのマルコ・イアコボーニらが、被験者が恐怖、悲しみ、怒り、幸せ、驚き、嫌悪の表情を自分でする時と、他人がするのを見た時に、ミラーニューロンと情動反応を処理する扁桃体(amygdala)が島(insula)と呼ばれるリンクを通じて同時に活性化することを実証しました。扁桃体は感情や記憶に関与する大脳辺縁系(limbic system)という領域に含まれています。

現代人にとってのミラーニューロン

 結局、ミラーニューロンの研究によって、ヒトは経験や社会性を共有し、自己と他者を重ね合わせること、つまり共感することで感情や意図を予測、あるいは理解していることがわかります。ある意味、ヒトはさほど独創的ではなく、他者や環境の影響を受けやすいとも言えます。共感はモノマネから始まるというと言い過ぎですが、たとえば、母親が赤ん坊に微笑みかけると、赤ん坊は微笑みを返し、それがコミュニケーションになるわけです。顔の表情、話し方、ジェスチャーなど、子どもは良くも悪くも大人のマネをします。

 さらに、ヒトは感情や意図を言葉で伝えたり、説明したりします。言語によって複雑な心的描写や情報伝達が可能になった代償として、コミュニケーションが難しくなりました。言葉使いひとつでニュアンスが変わるし、感情や意図を隠したり、偽ったりすることもできるからです。言語や文化が異なると、なおさら厄介です。太古のコミュニケーションは、もっと直接的で単純な形が出発点だったはずで、言語は両刃の剣です。

 現代社会はモンスター○○やクレーマーに象徴されるように、共感力を欠いた自己中心的なヒトが目立ちます。価値観の多様化などといいう高尚な話ではなく、彼らは最初からコミュニケーションする気がありません。それはインターネット上で正体を隠して自身の感情や意図を押しつける、他者を誹謗中傷する輩と同じです。他者と向き合い、挨拶して言葉を交わす、というアナログなコミュニケーションは、ヒトが社会性を共有・維持するための基本行動です。ミラーニューロンが反社会的行為のモノマネから歪んだ共感へ、という負の連鎖を生むようでは困ります。テクノロジーは進化しても、現代人はまだまだ未熟なようです。

木下 耕児(きのした・こうじ)/中央大学商学部教授
専門分野 言語獲得・習得理論
1961年大阪府生まれ。1985年慶應義塾大学文学部卒業。
1989年ジョージタウン大学大学院言語学科修士課程修了 (M.S.)、
1993年同博士課程修了(Ph.D.)。1994年本学商学部専任講師、
1996年同助教授、2002年より同教授。
現在の研究課題は、第二言語を含む外国語の習得理論と実践。
主な著書に『第二言語習得研究に基づく最新の英語教育』(大修館書店、1994年)、
『応用言語学事典』(研究社、2003年)『第二言語習得研究の現在』(大修館書店、2004年)[いずれも共編著]、訳書に『言語獲得から言語習得へ:思春期をめぐる脳の言語機能』(松柏社、2001年)など。