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高橋 慎也

高橋 慎也 【略歴

ノーベル賞作家が描く福島原発事故‐『光のない。』

高橋 慎也/中央大学文学部教授
専門分野 ドイツ演劇、ドイツ文学、日独文化交流史

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光と死と再生の文学

 ゲーテの臨終のことばは「もっと光を(Mehr Licht !)」であったと伝えられている。これはゲーテが「部屋にもっと日光を入れてほしい」と頼んだだけであったらしいが、死に際して日の光を求める人間共通の願いにも重なる。ゲーテはまた晩年の詩『至福の憧れ(Selige Sehnsucht)』の中で、「炎の死(Flammentod)」を通して「死して成れ(Stirb und werde!)」と記し、聖なる炎に焼かれることによる死と再生の神秘を説いた。そしてこの神秘に触れることこそ人間が持つ「最高の憧れ」と見なしたのである。日本人もまた古来、光に神を見てきた。真言密教の最高仏は大日如来であり、神道の最高神は天照大神である。東北の震災と福島の原発事故を経た今年の正月、初日の出に故郷と故国の再生を祈る人々の願いはこれまで以上に切実であっただろう。今回の震災にも匹敵する敗戦という国難に際し、戦時中の愛国主義を深く反省しつつ、私の故郷山形の歌人・斎藤茂吉は「灰燼(くわいじん)の 中より吾も フェニキスと なりてし飛ばむ 小さけれども」と詠んだ。亡国の危機に際して業火に身を焼き灰となり、さらに火の鳥となって甦りたいと願う茂吉の心情は、現在の多くの日本人の願いにも通じるだろう。日本人は永遠に燃え続ける原子力という火の光を手に入れようとして、結果的に死の放射能をまき散らしてしまった国民だからである。国際的に見れば東京電力や日本政府だけでなく、我々日本国民全体がこの原発事故の責任を取ることを求められている。

ドイツの演劇雑誌の「震災後の日本演劇」特集号

 昨年秋に私がベルリンに滞在した折り、ドイツの演劇雑誌編集者や大学の先生方、また知人たちから一様に同じ質問を受けた。それは「今の東京の放射能汚染はどうなんだ?」という問である。これには「表向きは大丈夫らしい」と曖昧に答えるしかなかった。この質問に続いて、これもまた一様に同じ称賛の言葉を賜った。「震災直後の日本人の落ち着きと冷静な対応は素晴らしい」というのである。そして日本人がそうした態度を取ることのできる理由を問われることとなった。この問に的確に答えるのは実に難しかった。その一方でドイツのマスコミの関連記事からは、原発事故情報の隠ぺいを続ける東電と日本政府だけでなく、反原発運動に消極的だった日本人への不信感も伝わってきた。こうした中でドイツを代表する演劇雑誌『現代の演劇(Theater der Zeit)』の10月号が、「震災後の日本演劇」という特集を組んだ。この特集には私も寄稿し、ドイツの読者に土方巽、寺山修司、宮沢賢治、井上ひさしを紹介し、さらに震災後の東北演劇を支えるARC>T(アートリバイバルコネクション東北)の活動などを報告した。この特集号では、ドイツでも著名な演出家・劇作家の岡田利規さんが、「過酷な現実に対抗するためにこそフィクションが必要だ」という内容の評論を寄稿している。またハノバー州立劇場で活躍する女優の原サチコさんは、広島原爆投下をテーマとする井上ひさしの戯曲『少年口伝隊一九四五』のドイツ語訳とインタビューを寄せている。原さんのインタビューのタイトルは『少年口伝隊』に因んだ「記憶せよ、抗議せよ、生き延びよ!」である。このことばは広島原爆投下後に生き残った少年に託した井上ひさしのメッセージであるが、福島原発事故後の日本に生きる我々にとっても大きな意味を持って響いてくる。ドイツの演劇関係者が震災後の日本演劇に寄せる関心は高い。それに応え、長い時間をかけてでも日本からドイツに日本演劇の再生を発信することが、我々ドイツ文化研究者の責務でもある。

ノーベル賞作家イェリネクの新作戯曲『光のない。』

 昨年秋の演劇シーズン開幕に当たってドイツの演劇関係者の大きな注目を集めたのが、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクの新作戯曲『光のない。(Kein Licht.)』である。この戯曲は、タイトルが暗示するようにゲーテの「もっと光を(Mehr Licht!)」を踏まえている。光を求めてもどこにも光のない、震災と原発事故直後の過酷な状況を、この戯曲は二人のバイオリン奏者の息の詰まるような対話に託して描いている。昨年10月にケルンの州立劇場で初演された際には、原サチコさんも演じている。日本では昨年12月に国際演劇協会主催の「ドラマリーディング ドイツ編」で長谷川寧(ねい)さんの演出で紹介され、今年秋の国際演劇祭「フェスティバル/トーキョー」で本公演の予定である。イェリネクはユダヤ人の父を持つ。彼は、ナチスによるユダヤ人虐殺を生き延びたがゆえに罪悪感に囚われて精神を病み、病院で亡くなっている。父を精神病院に「捨てた」ことに生涯、負い目を感じ続けるイェリネクの苦悩は、震災で家族を失くした被災者の罪悪感にも重なるように思う。宗教民俗学者の五来重の説によれば、古来、日本人は現世の苦悩を神や仏の光の世界へと至る道程と見なしてきたという。宇宙物理学の一説では、宇宙の始まりはビッグバンにあり、宇宙の終わりはビッグクランチにあるというから、我々は皆、最終的には光の中に帰ってゆくのかもしれない。先ごろ自決した私の教え子も光の中に帰っていったのだろうか。

高橋 慎也(たかはし・しんや)/中央大学文学部教授
専門分野 ドイツ演劇、ドイツ文学、日独文化交流史
1954年山形県山形市生まれ。1978年 東京外国語大学外国語学部ドイツ科卒業。1984年 東京大学大学院人文科学研究科(独文学)博士課程中退。1986‐87年 フライブルク大学哲学部ドイツ文学専攻留学(DAAD)。東京大学助手、筑波大学講師を経て1990年に中央大学講師として赴任、現在に至る。2006‐07年 ベルリン自由大学日本学研究所客員研究員
著書:『陽気な黙示録 オーストリア文化研究』『ツェラーンを読むということ』(共著 中央大学) 論文・評論:『ドイツ統一以後のベルリン演劇の展開』(中央大学紀要)『テロリズムの記憶と映像芸術』(日本ドイツ学会紀要)などの他、ドイツの演劇雑誌『現代の演劇(Theater der Zeit)』に震災後の日本演劇に関する評論を寄稿
『Theater der Zeit』に掲載された記事
http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/news/contents_j.html?suffix=i&mode=dpttop&topics=15769