トップ>オピニオン>「蟻族」と「啃老族」 -中国大学生の進路・就職事情の一断面
酒井 正三郎 【略歴】
酒井 正三郎/中央大学商学部教授
専門分野 中国企業論、中国とロシアの移行経済比較
世界がリーマンショックの後遺症に苦しむ中、年率2ケタ近い成長をつづけ、昨2010年はついに日本を追い越し世界第2位の経済大国にのし上がった中国。とはいえ、ものみな景気のいい話しばかりではないのが今の中国である。沿海部にある大都市と内陸部に広がる農村地域との著しい格差。この格差は職業・職種や階層間でもじりじりと拡大をつづけている。昨年の世界銀行のデータによれば、中国の所得不平等度を示すジニ係数は0.47で、社会的暴動多発の危険水域といわれる0.5に近付きつつある。
今回は、こうした中国における大学生の進路・就職事情の一端を紹介してみよう。
彼らを「蟻族」と呼ぶ。中国で同名のルポルタージュがベストセラーとなり、この呼称が定着したようだ。日本でも翻訳が出され、新聞でも取り上げられた注)。集団で暮らす「高学歴ワーキングプア」のことを、知能が高く、群棲する蟻になぞらえてこう呼ぶのだそうだ。
注)廉思編、関根謙監訳『蟻族ー高学歴ワーキングプアたちの群れ』勉誠出版 2010年刊.
中国では大学拡大策にのって、今世紀に入り大学の数が急増している。進学率も25%超、わずか1、2%台だった70年代の「文革期」や80年代の「改革開放」初期と比べると、まさに天地の差である。この大学「大衆化」によって大卒者の数も増大し、昨年は630万人余になった。大卒者がこれだけの数になると、いくら成長が著しい中国でも「相応の職場」の確保は難しくなる。いきおい、「大学は出たけれど」職がない就職浪人が増え、非公式統計ながらその数昨年はとうとう200万人を超えたと言われる。実に大卒者の3分の1が望む仕事が見つからない状態である。
「蟻族」の多くは農村出身者である。しかも大半は一人っ子だ。大学など望むべくもない時代に生きた彼らの親たちの期待を一身に背負う。仕事が見つからないからと言って、おいそれと故郷に戻るわけにはいかないのだ。
今夏、「蟻族」の群居地の一つである北京市海淀区の「小月河」を訪れた。北京大学、清華大学など中国を代表する有名大学が集まる北京市の西北地区にほど近く、道路(「京藏高速公路」)1本隔てた先には広大なオリンピック公園が広がる一画である。地名にもなっている「小月河」の川べりにそって何軒ものアパート群が立ち並び、軒下につるされた、遠目にはあたかも風にはためく一枚の長大な布のように見える夥しい量の洗濯物が、周囲の高層ビルと複雑なコントラストをなしていた。
所変わって上海。やはり今夏、上海で会った、本学大学院を修了し地元上海で建材等の仲卸しの会社を営んでいるOG生の話しには、さらに驚かされた。上海では「もう一歩先に進んでいて」、現在社会現象として問題になっているのは「啃老族」の方だという。これは、気に入らない仕事につくくらいなら親のスネをかじって生活することを選ぶ若者たちのことをいうのだそうだ。
パラサイト族やパラサイトシングルなる言葉はたしかに日本にもある。しかし、中国の場合は国の政策の「落し子」という点が日本とは少々異なっているところのようだ。彼らは「80后(バーリンホウ)」や「90后(ジューリンホウ)」と呼ばれる「改革開放」期以後の生まれ、しかも前述のとおりみな1人っ子だ。したがって生まれた時から6人の大人(両親と4人の祖父母)に甘やかされ、男児なら「小皇帝」、女児なら「小公主」と呼ばれて6つのポケットに囲まれて育てられてきている。そんな訳だから、親の方も親の方で、あえて子供に苦労はさせない、仮に好い働き口があったとしても、遠方に手離すくらいなら身近なところに置いて養ってあげる方を選ぶ、ということなのだそうだ。
「蟻族」にしても「啃老族」にしても、現下中国の人材活用の観点から言えば社会的損失である。とはいえ、自分の力で生きようと必死にもがきつづける「蟻族」はむしろ近未来の中国の希望というべき存在である。他方、責任感が薄く社会性に乏しい世代の代表のように言われる「啃老族」であるが、彼らにしてもその多くは高学歴で情報ツールを自由に操れる「新」中国人だ。ひょっとしたら、彼らの中から生産と消費にかかわるこれまでにないまったく新しい文化の担い手が現われ、将来の中国社会を突き動かしていく存在となるかもしれない。
かつて日本で「新人類」や「おたく」と呼ばれた若者たちが、「アニメ文化」に代表される日本発の価値観を創造し、世界に向かって発信しつづけているように、である。