Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>オピニオン>携帯電話の電波は人体に悪影響を及ぼすか?

オピニオン一覧

白井 宏

白井 宏 【略歴

携帯電話の電波は人体に悪影響を及ぼすか?

白井 宏/中央大学理工学部教授
専門分野 電磁波工学、電気通信工学

IARCの報道

 2011年5月31日、世界保健機関(WHO)の下部組織である国際がん研究機関(IARC)が、携帯電話の電波と発がん性の関連について、限定的ながら「可能性がある」との分析結果(http://www.iarc.fr/en/media-centre/pr/2011/pdfs/pr208_E.pdf新規ウインドウ)を発表した。この新聞報道に一般の方々が戸惑ったのも無理はない。

 この報道は、少し前にあった携帯電話の電波がペースメーカに影響するという報道以来の大きな社会問題として報道された。ペースメーカのような電子機器に、強い電波が照射されれば、機器の誤動作の可能性は理解できる。したがって携帯電話をペースメーカから22cm離せというのもわかる(この指針は、既に人体に埋め込まれたり、販売されたりした機器に対する対策であり、最近の携帯電話とペースメーカの場合にはもっと近距離の場合も実際には問題はない)。しかし電波を含めてある特定の物質が、どのようにガンを発生・増殖させるのか、その機構もよくわかっていない。

 電波の人体影響の危惧は今始まった問題ではない。北欧では携帯電話で使っている周波数とは異なるものの、高電圧送電線の付近に住む子供の白血病の発生が多いとの報告がされたのは、20年程前であるが、いまだにその因果関係は正式に解明・報告されていない。

人体への電波の影響

 そもそも電波が体に影響しそうである理由は何であろうか?

 17世紀にイタリア人医師のガルヴァーニ(L. Galvani)が、カエルの足の筋肉が電気的な刺激でぴくぴく動くのを報告して以来、電気的な信号が生体内の神経を伝搬しているのはわかっている。神経細胞への電気信号を制御できるおかげで、運動支援の補助器具が作られている。

 人体への影響は、その電磁波(わが国では300万メガヘルツ以下の周波数の電磁波を電波と呼ぶ)の周波数で大別できる。周波数が低いときは主に刺激的な作用が大きく、いわゆる「感電」である。筋肉のコリを和らげる電気マッサージとか、心臓の不規則細動を除くAEDも基本は感電ショックである。

 携帯電話が使っている電波の周波数では、もっぱら熱的な効果が大きい。体内の水の分子が電波によって振動し、その振動摩擦エネルギーが体温を上昇させる。これは今や家庭の必需品となっている電子レンジの原理でもある。電子レンジと同じことが起こっていると考えれば、逆に心配する人が増えるかもしれないが、もちろん使用している電波の強さは、はるかに違うし、金属で密閉された電子レンジの箱の中と環境は異なる。電波の強度は、広い空間中では距離の二乗に反比例して減衰する。したがって携帯電話の通話中の電波の影響を受けやすいのは頭部であることは容易に推測される。

 さらに高い周波数になると、電磁波は赤外線、可視光線、そして紫外線までも包含する。紫外線が日焼けや皮膚がんを起こすように、電磁波の持つ量子的なエネルギーが高くなり、このエネルギーが生体内の遺伝子の破壊につながり、人体に影響を及ぼす。

疫学調査の難しさ

 携帯電話が重く大きく大変使いにくくて、必要に駆られた人や新しいものをほしがる人が持つものであったときから約20年、技術の進歩により機器の小型化、軽量化が進み、今や一台以上の携帯電話を所持し、それらを使い分ける時代へと変化した。それにも増して単なる音声通話の機械から、様々な機能が追加され、ますます便利な必需品となっている。それに伴い機器の使用頻度は増え、いつかかってくるかわからない呼び出しに電源は24時間入りっぱなしである。

 電波を含め、各種の物質の人体影響を評価するのは大変難しい。疫学調査というのがあるが、統計的にどれだけ多くの人を調査し、どれだけの人がどれだけ影響があるといえば、危ないと判断するか? がこの疫学調査のテーマである。人体の能力には個人差が大きい。さらに心理的な効果も生理的に影響を及ぼすから厄介だ。良薬も服用量を間違えれば毒になるし、その反対に、一般に害があるといわれている薬品も微量であれば、良い効果もあることがある。サリドマイド薬は胎児に悪影響で使用中止になったが、いまやハンセン病や多発性骨髄腫の治療薬として使用が再開された。ラジウム温泉へは入浴に行きたいが、わざわざ原子力発電所にいま見学に行く人はいないであろう。

 人体は適応力があるので、周りの環境に適応していく。また電波の使い方がどんどん変化している。いまや火星に着陸した探査機からの信号を受信できる時代である。通信・信号処理技術はどんどん発達しており、携帯電話の信号も微弱でも通話できるようになっているのだから、人体に対する防護指針は今後、より人体保護の方向に動くと予想できる。

 今回の報道は、冷静に受け止める必要があるし、もちろん今後も注視する必要がある。タバコが肺に、飲酒が肝臓に良くないことはわかっていても、それを理由にお酒を飲まない人がどれだけいようか? 何事もほどほどにということである。既に携帯電話中毒になっている人は、これを機会に使用を少し自制すれば、個人的な経済効果は大である。

 電磁波関係の研究者としては、今後研究しなくてはいけないテーマの1つである。研究テーマは尽きない。

白井 宏(しらい・ひろし)/中央大学理工学部教授
専門分野 電磁波工学、電気通信工学
愛知県出身。1958年生まれ。1980年静岡大学工学部卒業。
1982年静岡大学大学院工学研究科修士課程修了。
1986年米国ポリテクニック大学大学院博士後期課程修了。Ph.D.
その後、ポリテクニック大学のポストドクタ研究員、中央大学理工学部専任講師、助教授を経て1998年より教授。現在中央大学入学センター所長を兼務。学外では総務省 電気通信事業紛争処理委員会 特別委員、電子情報通信学会 基礎・境界ソサイエティ ソサイエティ誌編集委員長等を拝命中。
現在の研究課題は、移動体通信のための電波伝搬解析に関する研究、電磁波の散乱・回折に関する研究や、電磁波を使った散乱体の推定・認識に関する研究などがある。また、主要著書に、『応用解析学入門』(<コロナ社>、1993年)、『電磁気学』(<コロナ社>、2010年)などがある。