Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>オピニオン>なぜ中国ではジャスミン革命が起きないのか 辛亥革命100周年に寄せて

オピニオン一覧

深町 英夫

深町 英夫 【略歴

なぜ中国ではジャスミン革命が起きないのか
辛亥革命100周年に寄せて

深町 英夫/中央大学経済学部教授
専門分野 中国政治史

中国ジャスミン革命の不発

 リビアのカダフィ政権が崩壊したことにより、昨年末から続いている一連の「アラブの春」は、1つの節目を迎えたようだ。この間、折に触れて指摘されてきたのが、やはり長年にわたり独裁体制が続いている中国への影響である。実際、今年2月から3月にかけて数度にわたり、インターネット上で「中国茉莉花(ジャスミン)革命」が呼びかけられたものの、当局の厳重な警戒態勢の下、いずれも不発に終わっている。

 その後、今年7月に発生した高速鉄道事故をめぐり、犠牲者の家族のみならず広範な世論からも、当局の処置に対する批判が噴出した際、日本の媒体では今にも中国でジャスミン革命が起きるかのような論調が、一部に見られた。だが、これも今となっては過去に幾度も現れては消えた、「希望的観測」にすぎなかったことが明らかとなっている。

 急速な経済発展の負の側面である、貧富の格差の拡大や官僚の腐敗の蔓延に対する不満が、各地で大衆の抗議行動や暴動を引き起こす一方で、ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏をはじめ、少なからぬ民主派知識人が当局により拘束や監視を受けている――これが、しばしば海外で報道される現代中国の姿であろう。それにもかかわらず、なぜ中国ではジャスミン革命が起きないのか。

「民主主義先進国」であった中国

 奇しくも今年、中国は辛亥革命100周年を迎えている。1911年10月10日に湖北省武漢で勃発した武装蜂起を契機に、数千年来の専制王朝体制が崩壊しアジア最初の共和国が成立してから、今年で100周年なのだ。中国各地で様々な記念活動が行なわれ、10月中旬に武漢で催された準国家行事とも言える大規模な国際学会には、私も出席した。また12月には日本でも、東京と神戸で国際学会が開かれる(http://www.shingai100japan.jp新規ウインドウ)。

 辛亥革命100周年に関する日本国内の報道には、「かつて革命の指導者である孫文が唱えた三民(民族・民権・民生)主義の内、いまだに民権主義は実現していない」という指摘が散見された。「だから中国ではジャスミン革命が起きるべきだ」というのが、その含意だろうか。もしそうであるならば、重要な事実が忘れられていることを指摘せねばならない。それは、現代中国の一党独裁は民主化に至る過渡期の体制というより、むしろ民主主義の失敗という経験に基づいて選択された体制だということである。

 辛亥革命により成立した中華民国は議会制度を採用し、早速1912年末から1913年初にかけて実施された国会議員選挙は、制限選挙ながら総人口に占める有権者比率は10%を超えた。ちなみに、日本では同比率が1900年に2.2%、1919年でも5.5%にすぎず、1925年の男子普通選挙実施により、ようやく20%に達したという。つまり、100年前に中国は一旦、議会制民主主義の先進国となりかけていたのである。

独裁を選んだ中国人

 だが、中華民国の民主主義体制は安定せず、軍閥割拠と形容される状況に陥った。そこで、孫文の創設した国民党が単一政党により政権を独占する「党国体制」を樹立し、これが中華人民共和国を成立させた共産党により継承・完成される。だが、全体主義的な統制や動員が経済・文化の停滞のみならず、社会秩序・国家行政の混乱すら招いたため、1978年以降に「改革・開放」路線へと転換し、ようやく相対的な統治の安定が実現した。

 つまり、民主主義と全体主義という両極端の政治体制が、いずれも混乱と破壊をもたらした歴史を経て、中間的な体制である現在の権威主義的統治の下、中国は100年来の悲願だった国家・民族の「富強」を達成しつつあるのだ。このような現政権の治績は、おおむね中国国民が認めるところであり、これこそが統治の正統性根拠となっていると言えよう(以上の経緯の詳細は、下記の拙著を参照)。

 今日の中国で、個別の諸政策への批判は決して少なくはなく、また独裁の弊害は誰よりも国民自身が痛切に実感しているのだが、それでも政治体制の根本的な変革を求める声は、極めて限られた少数派にとどまる。より徹底した独裁である全体主義への回帰は論外だとしても、民主主義の導入は非効率・無秩序を招きかねないと、否定的に捉えられがちだ。つまり、多くの中国人は現在の限定的な独裁を、一種の必要悪として選択しているのである。

中国ジャスミン革命を阻むもの

 しばしば、「暴動が頻発する現在の状況は伝統王朝末期に似ており、まもなく共産党政権も崩壊する」という議論を耳にするが、にわかには同意しかねる。国土・人口の規模に比して伝統王朝の統治機構は小規模で、その統治は粗放なものだったからこそ、王朝を転覆させうるほど強大な秘密結社や革命勢力の出現する余地が、伝統中国社会には存在していた。だが、共産党組織が広く・深く浸透した現代中国社会に、これと対抗しうる勢力が形成される空隙があるだろうか。

 現在、共産党の党員数は約8千万人、その下部組織の共産主義青年団もほぼ同数の団員を擁し、両者を合わせれば総人口13億人の1割を超え、その近親者まで含めると中国人の数人に1人は、広義の共産党関係者ということになる。無論、その全員が富と権力を享受しているわけではなく、また彼等が必ずしも一枚岩だとも言えまい。だが、これほど巨大な統治勢力は世界に類例がなく、中国史上においても空前のものである。

 概して中国人は、地域や階級といった単位で水平方向に団結して権力に挑戦するよりも、垂直方向に権力へと接近して自身も支配の分け前に与ろうとする、いわば「抜け駆け」志向が強い。そのため、大衆抗議運動は切り崩しに弱く、持続性と相互連携を欠きがちである。このような中国社会の特質こそ、先に述べた共産党組織の巨大化を促すとともに、中国ジャスミン革命の発生を困難にしている要因ではなかろうか。

深町 英夫(ふかまち・ひでお)/中央大学経済学部教授
専門分野 中国政治史
1966年東京都生まれ。1988年京都大学文学部哲学科美学専攻卒業。1994年から1年間、ハーバード大学文理大学院歴史・東アジア言語課程へ留学し、1996年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了(学術博士)。その後、中央大学経済学部専任講師、助教授を経て、2004年より現職(2004~06年の間、スタンフォード大学フーバー研究所で客員研究員)。主な著書に『近代中国における政党・社会・国家 中国国民党の形成過程』、『近代広東的政党・社会・国家 中国国民党及其党国体制的形成過程』、『中国政治体制100年 何が求められてきたのか』、『孫文革命文集』がある。
深町英夫『近代中国における政党・社会・国家 中国国民党の形成過程』中央大学出版部、1999年。新規ウインドウ
深町英夫『近代広東的政党・社会・国家 中国国民党及其党国体制的形成過程』社会科学文献出版社、2003年。新規ウインドウ
深町英夫編『中国政治体制100年 何が求められてきたのか』中央大学出版部、2009年。新規ウインドウ
深町英夫編訳『孫文革命文集』岩波文庫、2011年。新規ウインドウ