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トップ>オピニオン>日本で急務の公衆衛生の課題、自殺対策に注目を

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崎坂 香屋子

崎坂 香屋子 【略歴

日本で急務の公衆衛生の課題、自殺対策に注目を

崎坂 香屋子/中央大学総合政策学部特任准教授
専門分野 国際保健、社会疫学・統計、公衆衛生

1日約90人の自殺者を減らせない日本

 今年は東日本大震災もあり、例年より多くの日本人が亡くなっています。痛ましい日々です。被災された方々へ心からお見舞い申し上げたく思います。

 私の専門の一つは途上国および先進国の健康問題を集団として扱う公衆衛生、社会疫学と呼ばれる分野です。世界や国レベルの大きなデータを扱ったりします。反対に成人でも履物もはかないアフリカの僻地にでかけたりします。日本はこのところ出生したとき(平均余命世界一)、最も長く生きるであろうという恵まれた国になっています。

 さて私がここ数年研究課題として取り組んでいるものの一つに日本人の自殺があります。

 先進国の中では日本は群を抜いて高い自殺率が続いています。その数も1998年以降年間3万人を超え、下がる傾向が見られません。毎日90人近くの日本人が自殺で亡くなっている計算です。自殺低減のための取り組みは日本では大きく遅れています。

男性がハイリスクグループ

 世界の多くの国と同様、日本は男性約7割、女性3割と、男性の自殺が圧倒的に多いのが現状です。こう考えると男性はリスクのあるグループであり、特に働き盛りの年齢層(45-59歳)はハイリスクグループ、といえます。またこの層は過去の自殺未遂経験は少なく、経済的な問題を抱えていた人が多い層でもあります。私がすこし関わらせてもらった遺族への聞き取り調査では、自営業者では自殺のサインに周囲が気付いてから1年以内に50%、2年以内に70%、そして3年以内に100%の方が亡くなっていました。回答から周囲の人は事前にかなりの割合で気付いており、本人も何らかのサインを出していたようなのです。「自殺は追い込まれた末の死」「死のうと考える人も最後まで生きようとしている」と専門家が指摘することが裏付けられました。

遅れている調査研究と教育

 この調査研究で採用した遺族からの聞き取り、という口頭剖検(バーバル・オートプシー:Verbal Autopsy)といわれる手法は自殺対策のために今の日本では大変有効であるといわざるを得ません。というのも日本では自殺は遺族にとって恥ずかしくつらい死であるからです。身内に自殺者がいることを人に語ることは良しとされません。一人ひとりに十分な心情配慮を行い、プライバシーの確保を確約しながら面接形式で十分な時間をかけることでやっと情報が得られます。

 私が一昨年研究で在籍したハーバード大学公衆衛生大学院には自殺対策(suicide control and prevention)という授業が単位科目としてあり、公衆衛生分野の課題として多角的に学生が学習できるようになっていました。日本ではまだまだ、といったところです。

取り組みの遅れの背景

 日本の自殺低減への取り組みが遅れている理由はいくつか考えられます。まず日本人が自殺についてどこか容認していることです。キリスト教国では小さなころから自殺はとても良くないこと、と教えられますが日本では名誉ある死、死をもって償った、という受け止め方をされることがあります。また自殺について主にかかわっているのが警察庁であり、医療や公衆衛生の課題を扱う厚生労働省ではなく、データはようやく最近になって毎月公表されるようになりましたが、連携が十分であるとは言えません。

 実は自殺者の約10倍の数の自殺未遂者がいるといわれます。未遂者がたとえば病院に搬送され、医療者が救命や治療を行っても心のケア等は十分でないまま治療を終わりにしてしまうことも多いようです。心の問題の相談が医療保険でカバーされ、継続的なカウンセリングがもっと一般的に利用されるようになる必要があると思います。もっと大きな問題は年間死亡数が約5千人となってきた交通事故対策よりも年間3万人超の死亡が報告される自殺対策の予算が少ないこともあります。私も少しだけかかわった電話相談を受け付けている東京自殺防止センターはボランティアが夜中待機していますが電話が鳴りやむことはありません。そしてボランティア達は朝になるとまた自身の仕事に出かけます。その献身的な取り組みには本当に頭がさがります。私は夜中に働くと翌日の仕事が眠くて長く続きませんでした。大変心苦しく思っています。こういう方たちの無償の努力は素晴らしいと感じますがきちんとした予算があればよりたくさんの有能な人材を配置でき、より多くの命が救えると確信します。

自殺は防ぐことができる。グリーフワークも視野に入れて

 政府が発表した2011年5月時点の最新データでは前年同月比で自殺者が656人増加し、70歳代以上の女性の自殺が増えています。5月のデータとしては異例の数です。

(参照:http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/pdf/tsukibetsu/h2305.pdf新規ウインドウ

 前年同月比で10%以上増加した都道府県の中には福島県も含まれています。

 世界では自殺の低減に成功した国がいくつもあり、「自殺は防ぐことができる」ことが明らかになっています。誰かが寄り添うこと、ただ聴くこと、自分が大事にされていることに気づいてもらうこと、が大切なようです。震災の被災地では心のケアの欠如がさらに深刻な事態につながっていきます。高齢者は潜在的に自殺のハイリスクグループで、先に述べた調査でも数年以内の親族の死亡経験と自殺に特に高い相関がみられたのが高齢者グループでした。

 すこしまえにアメリカで大切な家族を亡くした子どもたちのメンタルケアを行っているダギーセンターというところに研修に行きました。大変今の日本にも参考になります。大震災を経て、日本でも自殺対策と同時に大切な人を亡くした人々に寄り添うグリーフワーク(抱えられない悲しみをなんとか抱えられるようにすること)なども同時にもっと注目されるべきであろう領域であると思っています。

崎坂 香屋子(さきさか・かやこ)/中央大学総合政策学部特任准教授
専門分野 国際保健、社会疫学・統計、公衆衛生
東京都出身。東京大学大学院医学系研究科国際保健学修了(公衆衛生学修士・保健学博士)ハーバード大学公衆衛生大学院武見フェロープログラム(2009-2010)修了。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修了(国際経済学修士)。専門は国際保健、社会疫学・統計、公衆衛生。2004年-2010年、東京大学医学部および東京大学大学院医学系研究科での助手、助教をへて2011年4月より現職。