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中川 恭明

中川 恭明 【略歴

アイデンティティの複数性を求めて

中川 恭明/中央大学総合政策学部教授
専門分野 言語学・音声学・フランス語学

1.日本における外国語とは?

 グローバル化する現代日本の対応として外国語は英語だけで良いという考えが大勢を占めている。2011年度から小学校5,6年次の「外国語活動」が必修化された。ここで言う「外国語」とは、実質的に英語であることは、中学校及び高等学校の場合と同様である。

 言語には、コミュニケーションの道具という実用面があり、この点からすると、グローバリゼーションが、経済面、軍事面、情報伝達面を中心に行われている現在、英語の媒介言語としての役割は当面揺らぐことはなかろうというのが英語の重要性を強調し、英語学習を推進する考えの中心にあるといって差し支えはないであろう。

2.言語を学ぶとは?

 ところで、言語を学ぶという行為が、その言語を学ぶ人間にどのような働きかけをするのであろうか。言語と人間社会の関係を考えてみよう。ソシュールによると、「言語が機能するのは、対人間的、対社会的、対文化的な諸活動においてである。言語はこういう点で集団的表象であり、社会制度である。」というのは、言語は記号の体系であり、その記号は音と意味との表裏一体性から成り、一つの言語文化共同体の中で音と意味との関連性が自由に決定される。その共同体の成立はその決まり事に従って言語を使い、自己を表現し、他者を理解し、自分の属する社会の慣習の範囲内で社会的人間として生活するのである。また、サピーア=ウォーフの仮説は、「われわれは自分の母語によって定められた線に沿って自然界を切り分けるのである。(中略)この体系付けは、大部分われわれの頭の中にある言語体系によってなされるのである。われわれは自分なりに自然界を切り分け、それを体系付けて概念化し、意義があるとみなすのである。これは主に、われわれの間でこのような自然界を体系付けるということで同意が成り立っているからである。この同意はわれわれの言語共同体全体に行き渡っており、この同意は明示的にではなくはっきりと述べられたものではない。だがしかし、その条件には絶対に従わなければならないのである。つまりわれわれは、その同意が定めているデータの体系化と分離法を認めなければ、全く言葉を交わすことができないのである。」以上のように、言語は、人間の認識の仕方をある程度規定する。サピーア=ウォーフの仮説についていまだ議論が続いているが、心理実験に基づいた最近の研究によればサピーア=ウォーフの仮説は基本的に正しいと結論付けている。

3.認識主体と認識客体

 言語が人間の認識に多く関わっているということは、別の表現からすると、言語を学ぶということは、その言語による世界を獲得するということである。ある社会に属する人間として、その言語の獲得は、人間化、社会化にとって必須となる。言語による人間化、つまり自我の形成に伴い主体が形成され、自分の置かれた環境と接触しつつ、情報を媒体として世界に参入する手段を獲得することによって社会化する。言語と世界が同時に形成される。言語が持つその言語特有の認識の仕方、つまり世界観が形成されるのである。

4.アイデンティティの複数性

 他言語を学ぶことによって、新しい物事の見方、新たに意味付けされた、つまり価値を新たに見出した自己を創り出すことができる。言語による認識は、その表象体系によってなされるのであるから、他言語を自言語(母語)と比較対照することによって、類似性、ということは相違性も併せて認識し、人間の主体として、同じ資格で形成されなければならない。言語を変えることは、人を変えることであると言われている。言語を変えれば、思考が変わるからである。複数の言語を学ぶことによって、複数の自分を拓くことができる。自己の内なる他者を確立することであり、このことが、他者を真に理解することである。真の自己を理解することでもある。一つの主体における言語の複数性、多面的自己とも呼べるものを確立することにより、他者という鏡を通して自己の姿を明確に見ることができるのである。

5.複言語主義の可能性

 このような考えに基づいた言語計画がEUで具現化している。いわゆる多言語主義とは、複数の言語の知識(それも運用能力という実面化を強調する)、あるいは一社会(国家)に複数の言語が共存している状態の中で教育機関が多言語教育機会を設け、その学習を推奨する言語政策である。一方、「複言語主義」とは、言語と文化が深く結びついているという考え方を基層とし、できるだけ多くの他国語を学び、他者の文化を理解し、自分の文化を相対化することができれば、それだけ他者の文化的アイデンティティと多様性を尊重できるようになるとするものである。つまり社会の最小単位としての個人の言語文化の複数性、その上の単位としての家庭内の言語の複数性、さらに社会集団の言語の複数性というように拡大することによって、言語文化が個々に別々にあるのではなく、こうした言語の複数性、文化の複数性、ひいてはアイデンティティの複数性が相互活性化する人間、社会を目指すものである。こうした複言語主義に基づいた言語教育は、アイデンティティを単一のものとしてではなく、複数のものとして捉えたものである。

 実際われわれは、なんらかの集団に属している。家(庭)、地域社会、国家、そして男性であるか女性であるか、職業集団、あるいは年代等々。趣味、嗜好にしてもしかり。われわれはほとんど常に同時に複数の集合体に属するが故にそこにアイデンティティを見出し得るのである。そして、状況に応じて、他者との関係から一番適切であると思うものを、われわれは選び出す自由があるのである。こうしたアイデンティティの複数性は、言語の複数性によって一層強固なものになり、言語と表裏一体の文化の複数性も保障されるのである。

中川 恭明(なかがわ・やすあき)/中央大学総合政策学部教授
専門分野 言語学・音声学・フランス語学
東京都出身 1951年生まれ。1973年上智大学外国語学部フランス語学科卒業。1976年 上智大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程修了。1979年 上智大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得満期退学。1994年 中央大学総合政策学部助教授を経て、1997年より現職。
現在の研究課題は、空間把握をテーマとする認知言語学などである。
また、主要著書に、『日本語と外国語との対照研究IX「日本語とフランス語」-音声と非言語行動』、共著、(<くろしお出版>、2001年)などがある。翻訳書『語の選択』。共訳、(<白水社、文庫クセジュ>、2001年