「事故は、人知を尽くしても起きる」。これは、宿命論としてではなく「念には念を入れよ」という意味で、安全対策の現場でよく言われる。ただ現実の事故は、人知を無視して起きた場合がほとんどだ。
原発が世界でブームとなり、各国で原発建設が進められたのが、40年ほど前の1970年代である。福島第一原子力発電所の6つの原子炉は、1971年に1号機が運転を開始し、以後順に、74年、76年、78年(4号機、5号機)、78年と稼働していった。この70年代の安全性議論を振り返ってみよう。
1975年にアメリカ原子力規制員会は『原子炉の安全性研究』を公表。これは原発事故の危険性の評価を行った有名な報告書である。以後原子力発電を推進する人たちは、これにより権威ある機関が原発の安全性を保障した、とする。またこの報告書に疑念を持つ人たちは、地道にその裏付けデータを検証し問題点を指摘した(原子力規制委員会の委員の中にも「報告書は楽観的すぎる」との批判があった)。
報告書では、炉心溶融の起きる可能性は、20,000原子炉年に1回と推定。この意味は、ある1つの原子炉を2万年間運転すると1回は炉心溶融が起きるというものだ。
この結果、原発事故の確率は、ジャンボジェット機同士の衝突するくらいだ、とする議論もあった。もちろん、これはそうした事故はあり得ないという文脈だが、あっけなくそうした事故が起こってしまった。現実は恐ろしいものだ。テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(1977年)がそれだ。KLM機とパンナム機の衝突で、史上最悪の航空機事故とされる。
さて原発の話だ。先の報告書を検証した科学者たちによると、炉心溶融の確率計算の過程にはミスがあり、それを正すと20,000原子炉年ではなく、8,000原子炉年あたり1回炉心溶融が起きることとなる(報告書の計算前提自体を問う批判もあるが、ここではそれは問わずに話を進めよう)。
こうした議論から30余年が経過した。世界には500基を超える原発がある。この現存する原発の平均年齢(運転開始後の経過年数)は24年くらいだ。すでに廃炉となったものも多い。ここで世界の原発全体の原子炉年を数えてみよう。500基が30年間稼働、と概算してもよいだろう。すると、500基×30年で、15,000原子炉年となる。楽観的とされる先の報告書の推定でも、すでに2回くらいは炉心溶融が起きておかしくないことになる。
さて現実は、スリーマイル島原発2号機(1979年)と、炉のタイプは異なるがチェルノブイリ原発4号機(1986年)とが、重大事故を起こしている。今回、フクシマで1~3号機で炉心溶融が起こったとされる。事故が起きる可能性はほとんどない、という36年前の報告書は、「これだけ原発が普及すると、よく事故は起きる」と読むことができる。
原発先進国では、計画中の原発の新設が今後予定通りに続いても、老朽化した原発の廃炉が相次ぐので、総数しては漸減傾向が続く。原発に期待を寄せる新興国では、新規導入を希望する国が約60か国あるという。IAEAの諮問機関である国際原子力安全諮問グループのラクソネン副議長は、そのうち「原子力を導入する技術を持っている国は5~6か国」と語る。時の流れが、原発の信頼性を増すと考えることも可能だが、現実は厳しいようだ。
かつて原発事故について、原発に航空機が墜落する確率程度、という見積もりもあった。しかし、イスラエルとおぼしき戦闘機が稼働直前のイラクの原子炉を破壊した(バビロン作戦、1981年)。原子炉を爆撃するという作戦は、関係者に深刻な衝撃を与えた。核兵器を使用しない核攻撃が想定されるからだ。しかも放出される放射能は、原爆をはるかに超える可能性がある。地震・津波も心配だが、世界的にみると、こうしたテロによる重大事態の可能性も大きい。今回の日本の事故では、「多重防護を誇る」原発の弱点=全電源喪失が、致命的結果をもたらした。この悪魔的事実をフクシマは明らかにしてしまった。イランのウラン濃縮施設のターゲットにしたコンピュータ・ウィルスによるサイバー攻撃(2010年)など、核施設の破壊工作に国家が手を染めている可能性を指摘する声もある。
容易ならざる事態に原子力は、とり囲まれている。原発の安全性をめぐる議論は、原発の持つ多様な危険性を正確に認識することが前提である。