トップ>オピニオン>旅をして、出会い、ともに考える――「見知らぬ明日」へ向かって
新原 道信 【略歴】
新原 道信/中央大学文学部教授
専門分野 地域社会学・国際フィールドワーク
『旅をして、出会い、ともに考える』
私がはじめて地中海の島サルデーニャを訪れたのは、チェルノブイリ原発事故の少し後の1987年のことでした。思想家A.グラムシの故郷であることに加えて、北東部(ラ・マッダレーナ諸島)の米軍原潜基地がイタリア・ヨーロッパの反核平和運動の「舞台」となっていたからです。ヨーロッパ中世以来の自治都市の面影を遺す、サルデーニャ北部の中核都市サッサリには、イタリアの原発廃止運動を主導した若手知識人たちがいて、厳しくも親しい関係を結びました。サルデーニャとの“奇遇と機縁”は、いつしかデイリーワークとなり、それからずっと、この土地に通い続けました。ここで、かけがえのない友人に出会い、親や大切な友人を失い、「ベルリンの壁崩壊」「コソボ空爆」「イラク空爆」などの「歴史的事件」を体験しました。こうしてサルデーニャは、生老病死も含めたデイリーライフが刻み込まれた土地となりました。
2010年4月から2011年3月にかけて在外研究の機会を得て、再びサッサリで暮らしました。この四半世紀の間、サルデーニャを「基点」として、地中海、ヨーロッパ、南米、大西洋、アジア・太平洋へと“旅/フィールドワーク”をするなかで、ひとつのものの見方が創られたのだということに気がつきました。「出来たら、これから旅立つ若いひとたちを励ます文章を書きたい」と思い立ち、『旅をして、出会い、ともに考える――大学ではじめてフィールドワークをするひとのために』という本を作る機会を与えていただきました。
「プロの立ち位置からフィールドワークの平明な解説を書く」ことは出来ませんでしたが、若いひとたちが自分の足で歩いていくとき、その歩みのためのささやかな地図になればと思い、かつての旅の試行錯誤の“道行き・道程”を出来る限り再現しようと思いました。以下、少しだけ本の内容を紹介させていただきます。
ある「専門を学ぶ」ことは、よく整えられた教科書をじっくり読むことでかなりの部分が達成できるでしょう。しかし、ものを考えるという営み、すなわち学び問うという意味での学問は、「見知らぬ明日」に立ち向かうことにこそ意味をもつべきものだと思います。“学問(を身体化)する”、つまりは、「頭では理解した」つもりの「知」が、危機の瞬間において力を発揮してくれるためには、自ら、現実のフィールドで場数を踏むしかないところがあるはずです。
本のなかでは、「最初の一歩をどうやって踏み出すのか、慣れない土地やひとの世界にどうやって入り込むのか」、そのなかで「どういうことが起こっていくのか/いかざるを得ないか」について書きました。比較的短期間でのフィールドワーク、そして、ひとつの場所に長期間滞在し、その土地の日々の営みを理解していくデイリーワーク、さらには、かけがえのない友人との“出会い”、大切なひととの別れといったデイリーライフまで、“旅/フィールドワーク”の途上で体験していくことを紹介しました。まず自分の足で一歩を踏みしめ歩き出すこと、この道行きを他のひととともにすること、ゆっくり/やわらかく/深く、思い/考え/言葉にしていくことで、危機の瞬間においても力を発揮してくれる“臨場・臨床の智”が生まれるはずです。
私たちは、事故や災害、病気などに直面したとき、たった一人で“異郷/異教/異境”の地に降り立つような感覚を持たざるを得ません。それはいわば、「見知らぬ明日」との直面です。突然すべてがストップし、景色もにおいも変わり、味覚も違う。道を行き交う人たちの談笑に妙ないらだちを感じ、ただオロオロする。ただ、ただ祈る。気持ちは荒れ野をかけめぐりつつ、身体をこの場に置き、自分の無力を痛感し、はじめて本気で、かたわらにいる生身の人間を必要とするようになります。
3月11日の震災直後に帰国し、それ以後は、圧倒的な現実を前にして、毎日、毎日、ただ涙を流し、怒り、あせり、へたりこんでしまいつつありました。卒業生や現役の学生たちが、おたがいの安否を気遣い、耳をすましてきき、勇気をもって、たすけあう姿を目にしました。“生身の現実”になんとか応答しようとするひとたちの勇気に背中をおされて、つたない、うめき声のような文章を、ゼミ卒業生の故郷・飯館村を想い、書かせていただきました(新原道信「死者とともにあるということ・肉声を聴くこと― 2011年3月の震災によせて」、メールマガジン「大月書店通信」第28号(2011.4.26)所収)。
いま私たちは、いながらにして「見知らぬ明日」に直面しています。これから社会関係や人間関係の根本的な配置変えが生じていくはずです。「見知らぬ明日」は、危機的な瞬間であるのと同時に、本当の意味で、ひとが“出会い”直す瞬間です。だから本のなかでは、「『見知らぬ明日』に直面するなかで、どのようにひととの“出会い”が生まれていったのか、そこからどのような“化学反応”が起こっていくのか」を書かせていただきました。
この本には、“出会った”ひとたちへの深い感謝と哀悼の気持ちがあります。私は、まったくの“奇偶”と“機縁”によって、二人の智者との“出会い”に恵まれました。彼らの歓喜や苦悩の場面に居合わせ、生きている姿そのものを“識る”機会を与えてもらいました。
A.メルッチさんからは、「謙虚に、慎ましく、自分の弱さと向き合い、おずおずと、失意のなかで、臆病に、汚れつつ、貧相に、平凡に、普通 言葉で、ゆっくりとした動きのなかで、“臨場・臨床の智”を私たちの身体に染みこませていこう。そのためには、私たちの存在のすべて、個性のすべて、身体のすべてを賭けて、具体的な生身の相手とかかわりをつくるしかないのだよ」と言われました。
A.メルレルさんからは、「君にだって、よく探せば、『どうしてもそのことを“識りたい”、そのことを探求しないと生きている意味もない』というぐらいに切実な問いがあるはずだ。それをまだわかっていないとしても、勇気をもって、『自分の殻』から這い出して、『前人未踏の地』への扉を探すんだよ。たしかに、扉がどこにあるかはすぐにわからない。でも自分から声を発して動いていかなければ、君は、やせ細った『骨と筋』でしか世界を『理解』出来ないだろう。それでは、この世界に“息づいて”いる、本当に豊かで生々しい『血や肉』にふれることは出来ないんだよ」と言われました。
メルッチそしてメルレルの奥さんのミケラをはじめとして、その背中から学ばせていただき、私の背中を押してくださったかなりの方たちが、もうこの世のひとではなくなっています。寂しい気持ちがくりかえしわき上がります。しかしそれと同時に、それでもなお、“ともに在る”のだと感じる瞬間があります。
「見知らぬ明日」に向かって、それでもなお、人間に“埋め込まれ/植え込まれ/刻み込まれ/深く根をおろした”ものであるはずの“智”が、輝きを放つ瞬間があるとしたらそれは、いかなる条件のもとで、いかなる旅程をともなって現象するのか。聴こえない声を聴く、果たされなかった想いを引き継ぐ、そうした試みに身を投じてしまわざるにはいられないひとたちのつらなりを創ることを、少しでも“ともにして”いきたいと思います。おたがいに、川辺の葦のように、か弱く、しぶとい草のような人間として。その無数の“草の根”のどよめきこそが、これまで歴史をつくってきたし、これからも社会をつくっていくのだと願い、ますますみなさまのご無事と大地の平和を祈念しております。