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中尾 秀博

中尾 秀博 【略歴

アフター3.11

中尾 秀博/中央大学文学部教授
専門分野 環太平洋文学・文化

ニュークリア・エイジの広報フィルム

 第二次世界大戦を2発の原爆投下で終わらせた米国が、その勢いのまま物質的繁栄を達成しつつあった1950年代は、当時の二大強国、米ソのあいだで「冷戦」が戦われていた。もし第三次世界大戦が勃発すれば確実に世界の終末を意味するという共通理解のもとで、核兵器の開発は止まらない、止められない。こんな歪んだニュークリア・エイジに、「敵国」の核兵器攻撃を想定した米国は驚くべき広報活動を展開していた。

 たとえば「アトミック・アラート」(1951年)を見てみよう。核攻撃を受けた際の注意事項を解説する短編映像だが、原爆の脅威として放射線、ヒートウェーブ、そしてガラスの破片を挙げている。断面図で示した家屋のコンクリート製地下室に留まっていれば「大丈夫」であることがアニメーションで図解される。三つの脅威に差異はないらしいし、直撃されることは想定外のようだ(アトミック・アラートとは原爆空襲警報という意味)。

 1954年の「真ん中の家」は実験映像をメインとする報道番組のような構成になっている。外枠ではキャスターが真剣な顔と声で原爆実験を説明する。内枠ではその実験の模様がナレーション付きで流れるのだが、「アトミック・アラート」に遜色のない堂々たる「科学性」には圧倒される。

 実験用に建てた三軒の木造家屋がある。主役の「真ん中の家」は部屋もきちんと整理整頓が行き届いており、外壁のペンキもちゃんと塗り替えてあり、庭もきれいに片付いている。両隣の家は、たとえば部屋が散らかっているとか、庭にゴミが吹きだまっているとか、ペンキが剥落しているとか、ようするにきちんとしていない状態が「だらしなくて、まずい」「まるでダメ」の二段階で再現されている。

 実験用に原爆が投下され、爆発の衝撃が三軒の家に及ぶ。「まずい」家も「ダメな」家も時間差こそあれ、丸焦げになってしまうが、「きちんと&ちゃんと」していた「真ん中の家」は無事!という実験結果が確認される。

 最後に外枠のキャスターは実際にご近所のゴミ拾いをしている子供たちの映像を紹介しながら「きちんと&ちゃんとすることが生死を分けますよ」とまとめる。ニュークリア・エイジのサバイバル術というわけだ。

幸せな核家族(ニュークリア・ファミリー)

まるでダジャレのように聞こえるかもしれないが、ニュークリア・エイジの米国で推奨された家族形態はニュークリア・ファミリー、つまり核家族だった。新興住宅地に一戸建てを構えることが推奨され、大量生産・大量消費を加速させるために専業主婦が一家の中心に置かれる。これは「アメリカ式生活スタイル」と呼ばれて、戦後の日本の憧れの生活様式でもあった。

 『ライフ』誌はそんな50年代の「アメリカ式生活スタイル」の流通・浸透に大きな役割を果たした。大判のグラフ雑誌として人気を博していたので、誌面を飾る広告の効果も絶大だったからだ。最新型の冷蔵庫にTVに掃除機、シームレス・ストッキングに新素材のスーツ。インスタントコーヒーに缶スープにケーキミックス、ウィスキー、ビール、コーラにタバコ。電話会社に映画に香水。タイヤにガソリンオイル、もちろん車も。これら一つ一つが物質的繁栄のサンプルなのだが、広告のターゲットはまさにニュークリア・ファミリー(なかでも主婦)だった。

先ほど紹介した二つの広報フィルム公開に挟まれた1953年の3月30日号の『ライフ』誌は「原爆vs家屋」という特集で、世界一の原爆実験件数を誇るネバダ州で行われた最新の実験を写真付きでレポートしている。実験用に一万八千ドルで建てられた木造二階建ての家屋に置かれたマネキン人形たちは、幸せな家族を演じながら、原爆診断テストの「殉教者」役を割り当てられていた。

 誌面では爆心地から一キロ地点の一号家屋の決定的瞬間が、爆発直後から21/3秒後まで六枚の連続写真で示されている。窓枠が発火し、炎と煙に包まれ、屋根板が剥がれ、建物全体が瓦解し、最後は黒焦げの燃えさし。

 広報フィルムにはない生々しい速報写真の緊迫感とは裏腹に、当日は投下地点から10キロほどの場所に見学所が設けられ、ホットドッグ、サンドイッチ、コーヒー、コカコーラが供されるランチカウンターも設置されていたとか、ラスベガスのカジノ・ホテル経営者の「あんな実験なんか別に気にはしてないよ。原爆の衝撃とやらでサイコロの目がズレさえしなけりゃいいさ」という談話が紹介されてもいる。特集の担当者は核戦争へのカウントダウンが加速しているにもかかわらず、原爆への関心の薄さや無知が蔓延し、政治家までも鈍感になっている現実を憂慮している。

 といっても深刻な表情は特集記事の担当者以外には伝染しておらず、今号の表紙を飾るのはエリザベス女王戴冠式用の夜会服に身を包んだ伯爵夫人の優雅な姿で、目玉の「戴冠式ファッション」特集をアピールしているし、ふんだんな広告からは世界一の物質的繁栄のサンプルが溢れ出さんばかりだ。

本当は怖いB級映画

 表面的には空前の物質的繁栄に沸く米国の専業主婦にも、漠然としてはいても様々な不満や不安があったことは否定できない。このような不安・不満は「世界一幸せな」日常生活に埋没してしまうと、なかなか意識にのぼりにくい。当時の人気TV番組を思い出してみれば容易に納得できることだが、幸せな核家族に射す影の気配は(少なくともブラウン管上には)ないのだ。

 それでも密かに沈殿してしまうネガティブな感情に安上がりな捌け口を提供していたのが、いわゆるB級映画である。50年代のB級映画はエイリアンもの、モンスターもの、ミュータントものに大別できるのだが、ここでは数あるB級映画のなかで50年代「最低」と評価の高い?『愛しのジャイアントウーマン』(1958年)を紹介したい。

 主婦のナンシーがエイリアンに遭遇し、特殊な光線を浴びて巨大化してしまう、という設定は、ジャンル的にはエイリアンものとミュータントものの融合とも、さらにモンスターものを加えた三つのジャンルの混淆とも考えることができる。

 原題の「アタック・オブ・50フィート・ウーマン」=「身長50フィート女の攻撃」は変身後のナンシーを表しているのだが、スクリーン上の印象では50フィート=15メートルでは収まりきれないほどに巨大化している。ほとんどゴジラ級(体長50メートル)のモンスター女だ。

 水爆実験で太古の眠りを覚まされた恐竜が東京に上陸して大暴れするという東宝映画『ゴジラ』は1954年の作品だが、同年三月、ビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸事件が製作のきっかけになったと伝えられている。

 実はその一年前に米国では、米軍による北極での水爆実験が覚醒させた恐竜がニューヨークを襲うというワーナー映画『原子怪獣現わる』が公開されて、大当たり。50年代のモンスター映画流行の先駆けとなっていた(ちなみに原子怪獣は体高10メートルx体長30メートル)。

 ジャイアント主婦ナンシーは自分を裏切って愛人に走った夫を追いかけ、復讐する。ナンシーがジャイアントでなければ、ありふれた痴情のもつれ、三角関係の物語だが、物質的には恵まれているリッチな主婦がフラストレーションを募らせ、憎しみのモンスターと化し、夫と愛人を追いつめるB級感たっぷりの迫力には、大量生産・大量消費のメカニズムでは解消できない鬱屈の根深さとニュークリア・エイジの潜在的不安が表象されている。

 ジャイアント主婦ナンシーは、最新鋭の最終兵器で葬られるゴジラや原子怪獣とは違って、いかにもB級の最期を迎える。幸せな核家族に欠かせない最新家電製品の管理者だった主婦ナンシーが、その電力源である高圧電線の変圧器の爆発で死亡するのだ。ナンシーに命中しても全く効果のない銃弾の流れ弾が変圧器に当たるという想定外の事故によって。

 以上、50年代米国の三つのエピソードはアフター3.11を生きる私たちにとって示唆に富んではいないだろうか。私たちにとってのアトミック・アラートは「原発崩壊警報」とでも訳してみたい気がする。

中尾 秀博(なかお・ひでひろ)/中央大学文学部教授
専門分野 環太平洋文学・文化
1956年、鎌倉生まれ。
1985年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。
東京商船大学専任講師、明治大学助教授を経て、1993年より中央大学助教授。1997年中央大学教授(現職)。
現在の研究領域は環太平洋地域の英語圏文学・文化。
2009年度には先住民の映像表象について豪州メルボルン大学で在外研究。
『中央評論』では連載「ポップスの花道」を担当していたが次号の30回で終了し、あらたに連載「さかさまポートレート・ギャラリー」を担当する予定。