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李 廷江

李 廷江 【略歴

災害から日中の原点を考える

李 廷江/中央大学法学部教授・中央大学日中関係発展研究センター長
専門分野 東アジア国際関史・近現代日中関係史

鎮魂の心

 先日、福島、仙台といわきを訪れ、未曾有の地震、津波によって家や職場、多くの尊い命を奪われたうえ、今でも原発や風評の被害と格闘しなければならない被災地の状況を目の当たりにして、改めて被害の大きさを痛感し、亡くなられた方々への追悼の念を深めたのである。

1)災害時の日中協力

 そもそも中国も地震の多い国である。1976年の唐山地震では、死者は24万人を超えた。私は唐山での救災活動に参加する時に、宿泊地の隣にある陡河発電所の被害者の中に四人の日本人技師もいたと聞いた。今年の3月11日に、私は北京で清華大学日本研究センターの主催による「東アジア共同体」セミナーの準備に追われる最中だった。地震直後、清華大学キャンパスの中で、学生たちが直ちに募金活動を始め、私は百名の研究者の仲間との連名で被災の日本を助けようと、中国の新聞を通して全国に呼び掛けた。中国人研修生を助けるために、みずからの命を落とした福島の佐藤さんのことは、マスコミで大々的に報道され、中国全土に大きな感動を与えた。この時、地震、津波と原発の被害を受けた被災地のために、何ができることがないかとみんなが懸命に考えている、というこれまでに見たことのない光景をこの目で見たのである。5月21日、来日した温家宝総理は「自然災害の前で、人類は運命の共同体だ。中国で大きな災害が起きた時に、日本政府と人民から強力な支援をいただいたことは忘れてはいけない。」と語ったが、このメーセッジは、多くの普通の中国人の気持ちを体現したと言えよう。

2)世界の蔡国強といわき

 友人の案内で、私はいわきで、北京オリンピックの花火を設計した、世界的に知られている巨匠の蔡国強が、まだ無名時代から協力し、支える「いわき七人の侍」のリーダである志賀忠重氏に会った。福建省泉州生まれの蔡氏は、1985年に上海演劇大学美術学部を卒業し、翌年に奥さんと一緒に来日した。初めは東京にある四畳半のアパートに住み、その後、いわきに移したが、95年にニューヨークに移住するまで、7年間もいわきに住んでいた。今や世界を飛び回る蔡氏は、いわきの人々が私と妻を人間として評価してくれたのだと語り、また歴史問題で日中関係がぎくしゃくしていた時期に、なぜ日本人と友人になれたのかと中国の記者に聞かれた際に、自分はただ一人のアーティストであり、いわきの人々も普通の人です、だから友たちになれたのだと答えた。地震発生後、蔡氏がいわきのことを心配し、よく電話をかけてくれたりして、またいろんな形で応援してくれていると志賀さんは教えてくれた。蔡氏といわきの人々とのこの物語は、日中両国の草の根の交流としての本来の姿であり、美しいものである。「この土地では作品を育てる、ここから宇宙と対話する、ここの人と時代の物語をつくる」という蔡氏の言葉は、人間、芸術と宇宙の根源に言及したものではないかと思う。

3)日中の原点として

 1982年に来日し、近現代の日中関係史を専門とする私は、両国の相互イメージがなかなか改善されない現実にしばしば失望したりした。明治以来の日本は、近代化の道を急ぐ下で福沢諭吉の「脱亜論」が生まれ、軍部の台頭に続き、アジア諸国を侵略する道歩み、その結果、中国や朝鮮半島はじめ、多くの国々に多大な被害をももたらした。他方、両国の間に、岡倉天心の「アジアは一つ」から孫文のアジア主義まで、アジアの解放を目指す連帯の思想も共有していた。この光と影の歴史は、日中の間の、切っても切れない地理的、文化的、経済的な繋がりを物語り、また両国の関係を複雑にしたのである。日中を語ることの難しさは、正にこのような歴史を如何に認識するかにあるのではないか。1972年、日中国交正常化に当たり、日中の将来を考えるときに「創造なくして発展なく」と竹内好は指摘しながら、その上に「発展なくして創造なし」とまた付け加えた。これこそが日中相互認識の原点ではないかと最近悟ったのである。

4)世界へ翔ける日本の若者たち

 今、日本と中国は、ともに世紀的な転換期を迎えている。中国は、目覚ましい経済発展を遂げている一方、国内外に様々な構造的な問題を抱え、重要かつ困難な時期に直面している。日本の場合、大震災を契機に、第三の開国の期に入ったとも言えよう。おそらく21世紀の特徴の一つは、このような日中の相互依存がますます深くなることであろう。人間が自然災害から何を学ぶのか、また日中は歴史から何を学ぶのか、それは命を大切に、万物に畏敬の念を持つという一言につきるだろう。最近、中国に関心を持つような学生が多くなり、中国留学を希望するゼミ生も増えはじめている。誠に喜ばしいことである。近い将来、蔡国強氏のように、中国での生活経験を生かして、世界の大舞台へ飛び移る日本の若者が次々と出てくることを信じながら、私はいま教育現場の仕事を楽しんでいる。

李 廷江(りー・ていこう)/中央大学法学部教授・中央大学日中関係発展研究センター長
専門分野 東アジア国際関史・近現代日中関係史

中央大学法学部教授・中央大学日中関係発展研究センター長。
中国瀋陽出身。1954年生まれ。1977年清華大学卒業。
中国社会科学院世界政治研究所後に日本研究所を経て、1982年来日。
1988年東京大学大学院国際関係論博士課程卒業(学術博士)。
亜細亜大学国際関係学部助教授、教授を経て、2000年中央大学法学部教授。
1992年-93年ハーバード大学ライシャワ日本研究所客員研究員、
2008年から清華大学偉綸特任教授、清華大学日本研究センター理事・常務副主任を務める。
現在の研究課題は、近現代の日中関係を歴史的な視点から、東アジアをめぐる国際環境の変化と同地域の内在的な変革との関連を検証し、21世紀の日中関係の課題と在り方を探求している。
主要な著・編書に、『日本財界と近代中国』(御茶の水書房・2003年)、『近衛篤麿と清末中国要人』(原書房、2004年)などがある。