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古賀 正義

古賀 正義 【略歴

リスク社会における教育支援の意義

古賀 正義/中央大学文学部教授
専門分野 教育社会学

はじめに:被災した現地を訪ねて

 東日本大震災により、多数の貴重な人命が失われた。私の前任校・宮城教育大学は仙台にあり、多くの知人は難を逃れたものの、卒業生やそのご親族など依然安否不明な方もいる。先日被災した現地に赴き、変わり果てた風景をみつめていると、女川町での教育調査や南三陸町での障害児支援をはじめ、活動してきた思い出の地が喪失した深い悲しみに包まれた。そんななかでも、今この時に、復興に奮闘している先生方や生徒たち、地域の皆さんがたくさんいることを知り、大崎市内の高校生徒会連合による教材教具支援ボランティアの活動にも参加させていただいた。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、震災に遭われた皆さんに十全な支援がなされることを願ってやまない。

地域でのフィールドワークから学ぶ

 沿岸部の社会教育主事から、内閣府の青少年育成国民運動事業による子ども生活実態調査を依頼されたのは、2002年初夏であった。こうした場合、地域のリーダーの方々とじっくり話し合って、調査票を作成することが肝要である。聞き取りによって、現地の子ども問題が鮮明になることが多いからだ。この時、出た意見は印象深いものだった。補助金などによって各戸の収入は増加したが、専用パソコンを所有する子どもや着衣で海を泳いだ経験のない子ども、夜間に隣接市へ塾通いする子どもなど、これまでにない子どもの姿が目につくというのである。ほぼ1年当地に通いつめ、地域の変質と親世代の危機感をひしひしと感じて、最終的に、子どもたちをパネリストとしたシンポジウムと調査報告会を開催し、数百人の町民が詰めかける盛況となった。この経験は、フィールドワークの実践、いわば地域の人の声から学ぶことの大切さを教えてくれた。

「教育困難校」でのエスノグラフィー

 私の専門は教育社会学で、青少年の問題を当事者の視点から研究することを大切にしてきた。「エスノグラフィー」と呼ばれる手法(拙編『質的調査法を学ぶ人のために』)を使って、現場の観察やインタビューをするのである。例えば、東京と宮城の「教育困難校」(底辺高校)で、在学時に約100名の生徒から学校経験を聞き取り、卒業後彼らがどのような進路選択をしいかなる社会生活を送っているのかを5年間にわたって詳細に追跡調査した。ニート・フリーター三百万人時代といわれるように、非正規の厳しい労働環境で働く者が大多数であり、高校時代における学校学習の不足や実社会での体験不足が接客能力や作業スキルなど職場実務の困難に直結していると痛感する卒業生は思いのほか多かった。

シチズンシップ教育の必要性

 調査事例を分析することによって、不確実で排除されやすいリスク不安を抱えた社会の構造から脱出し、市民性を育成してセカンドチャンスを構築しうる教育のあり方を探りたいと思っている。私が昨年文科省の「今後の高校教育の在り方に関するインタビュー」(文部科学省HP:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kaikaku/arikata/detail/1302678.htm新規ウインドウ)において発表したコメントも参照してほしい。これまで、高等教育進学に期待するあまり、普通科と呼ばれる教育的なミッションの不明確な学校群が拡大し、若者に社会参加を促すためのシチズンシップ(市民教養)教育が行われにくかった。しかしながら、教育の格差が拡大するなかで、家庭や地域環境に恵まれないまま、学力形成が疎かになり、社会関係を取り結ぶ資源を持てない若者は増大する一方なのである。今、学校を通したセーフティネットとしての教育支援が求められている。

社会的ひきこもりの支援研究を体験して

 現場研究は、青少年問題の根幹にある社会的絆の重要性も教えてくれる。東京都から委嘱されたひきこもりの実態調査も意義深かった。従来、医療の領域と理解されやすかった問題だが、職場不適応や就職・受験の失敗、不登校など教育的な課題と密接に関わり合っていることが明らかになってきた。「自分の生活のことで人から干渉されたくない」と訴える対人不安を抱えた若者を前にして、家族も、生育史を振り返ることによる過失感やいまここで可能な援助を探る労力で精一杯になってしまう。聞き取り調査を行ってみると、良くなってほしいという願いと、社会関係がもっと損なわれてしまわないかという恐れで、身動き取れなくなっていることが多い。問題の原因を明確にすることも必要だが、家族を孤立させない教育的なケアリングによる可能な支援を模索することが求められている。

教育支援による絆を大切に

 今日「困難を有する若者」に対して、さまざまな場でお互いの絆を確かめ合える実践的な教育が必要とされている。無縁社会の冷たさを越えて、分かち合い、思いやる関係性を育むには、家庭だけでなく、教育機関や育成支援施設などNPOを含む諸機関の連携と息の長い援助が必要である。問題の複雑さに立ちつくす前に、当事者に対していまできることを探っていくこと。そのために基本的な情報の収集と正確な分析の一助になることが、エスノグラファーにとって大切な仕事なのである(拙稿『<教えること>のエスノグラフィー』)。この姿勢は震災から学ぶべきものと共通していると、私には思える。

古賀 正義(こが・まさよし)/中央大学文学部教授
専門分野 教育社会学
東京都出身。1957年生まれ。1980年筑波大学第二学群人間学類卒業。
1983年筑波大学教育学研究科博士前期課程修了。教育学修士(筑波大学)
1985年筑波大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。
秋田経済法科大学講師、宮城教育大学助教授を経て、2003年から中央大学文学部教授。
現在の研究課題は、困難を有する若者を抱える高等学校や自立支援施設(少年院、若者自立塾など)における教育実践の分析と教育可能性の探求を行うことであり、そのために、各地の教育現場で長期にわたる参与観察調査を実践している。
主要な著書・編書に、『<教えること>のエスノグラフィー』(金子書房、2001年)や『質的調査法を学ぶ人のために』(世界思想社、2008年)などがある。