馬場 政孝 【略歴】
馬場 政孝/中央大学商学部教授
専門分野 科学技術史
東京電力福島第1原子力発電所の事故は発生後2カ月以上経過したが、収束に向かうどころか逆に深刻度を増している。1号機から3号機まで、もっともあってはならない事態である核燃料のメルトダウンが起こっている可能性があると東電側が発表している。燃料の二酸化ウランはペレット状になってジルカロイの被覆管の中に収まっている。メルトダウンしたということはジルカロイの被覆管が核燃料とともに溶融したのであり、二酸化ウランの融点は2800°C、ジルカロイのそれは1700°C以上であるから溶融体は鉄鋼の融点である1500°Cを優に超えた温度に達している。核分裂生成物は放射能を出しながら崩壊熱を出し続けるから、圧力容器の底に塊となってたまった核燃料の溶融体は冷却しなければ厚さ16㎝といわれる鉄鋼製の圧力容器を溶かして格納容器内に落下してくる。それはさらに格納容器を突き抜け、格納容器を覆うコンクリート層を溶かして下に下に溶け落ちてくる可能性がある。これがスリーマイル島(TMI)の原発事故のときにいわれたチャイナシンドロームであるが、TMI事故では燃料のメルトダウンが起こったものの冷却給水系が機能して破滅的結果はくいとめることができた。また、TMI事故、チェルノブイリ事故においては、問題を起こしたのはそれぞれ1つの原子炉であった。福島では1号機から3号機までメルトダウンが起きており、4号機では使用済み核燃料プールに亀裂が入った可能性があって、放射能の放出が生じている。つまり、4つの原子炉をすべて収束に至らしめなければならないわけで、福島の困難性はこの点にある。1つでも失敗すれば破滅的結果につながり、収束に至る間、大きな余震や不測の爆発事故が起きないことをただ祈るばかりである。
この事故に対し、政府や東電サイドはこの間的確な対応をしたであろうか。その検証は今後の大きな課題になるものであるが、SPEEDIによる放射能拡散データの発表を抑えたり、放射能許容基準値を引き上げたり、メルトダウンの事実確認が遅れて対策が後手に回るなど、政府の危機管理能力が厳しく問われている。また、東電は事故後、社員の事故現場からの退去を官邸に打診したと報じられている(3月18日 毎日新聞)ところを見ると、その無責任ぶりに驚くばかりである。
この福島原発事故から見えてきたものの1つは、日本は大きなシステムをコントロールすることは不得手なのではないか、ということである。不得手を理解しないままでいることは、実は破滅的事態をもたらす危険なことなのである。大きなシステムとして思い浮かぶのは、太平洋戦争時の兵站(ロジスティックス)の問題がある。食料、武器弾薬、燃料等の物資輸送、および兵員輸送の問題である。「近代戦で勝敗を決めるのは兵站である」といわれるが、日本の兵員死亡者の多くは餓死、病死であったという事実が示す通り、広大な戦線をカバーするには兵站はあまりにお粗末なものであった。兵員も戦争後期には駆逐艦などの護衛がないまま輸送船で送られ、アメリカの潜水艦の餌食となった。個々の軍事技術では優れたものがあった。日本のゼロ戦は旋回性能とパイロットの熟練度が高く初期の段階では圧倒的に優勢で、アメリカ軍当局は1対1でのゼロ戦とのドッグファイトは避けるよう通達を出したほどであり、チャーチルはその『回顧録』の中で「日本刀とゼロ戦を作り出した日本人は恐ろしい」と述べている。小さな領域では優れた技術を持ちながらも、兵站という大きなシステムについては軽視、もしくは無能であった。無責任に戦線を拡大して日本を破滅に導いたことと、「絶対安全」と称して地震が多く狭隘な国土の日本の至る所に原発を造り続けたこととは相通ずるものといえよう。
1990年以前、原子力、宇宙開発、海洋開発などの巨大科学技術(大きなシステム)に対して、その危険性、軍事利用への危惧、非人間的作業環境などへの反発からアプロープリエイトテクノロジー(適正技術)、オルターナティブテクノロジー等が叫ばれた。前者は、基本的に身の丈に合った小型の技術であるが、社会、文化、環境にとって持続可能な最善の技術を意味し、後者は公害や大きな事故につながる重厚長大技術に対して環境に配慮した安全な技術の推進を謳ったものである。
こうした主張は様々な要因によってかき消されていった。その最大のものは、1980年代以降日本がマイクロエレクトロニクス技術の利用において世界的な成功を収めたことがあげられる。「小さな技術」でイノベーションが進行し、重厚長大技術からの脱却に成功したわけである。巨大科学技術にかわって「小さな技術」が前面に出てきて、技術史上のパラダイム変化が起きたのであるが、事故を起こしたら手に負えなくなる可能性を持った危険な巨大科学技術は残存していたのである。
日本の技術の伝統では、日本人が繊細で鋭敏な感覚を駆使して比較的小さなものを作るのに才能を発揮してきたことが明白である。この伝統、得意に沿わないような大きなシステムを追求しようとするのは危険が伴い、手痛い失敗をする可能性が高いのである。欧米を追い、その仲間入りを求める明治以来の日本人の心性には根深いものがあるが、もういい加減この辺で断ち切ってもよいだろう。オリンピックで全種目に選手を送り、「がんばる」ことがいいことだとするようなやり方は愚劣である。もっと大きく、もっと早く、もっと高く、もっと大量に、という方向に価値をおく競争社会というのは持続可能なものではない。己の得意を生かし、他者の得意はそれを受容して共存するという生き方が「上善」ではないだろうか。原発の事故を機に、大きな視点で「上善」な生き方とそれを支える身の丈に合った技術の方向に舵を切り替えるべきではないだろうか。