北村 敬子 【略歴】
北村 敬子/中央大学商学部教授
専門分野 会計学
よく「会計は事業の言語である」と言われる。つまり会計は、事業の実態を映し出す鏡であり、会計の作り出す財務諸表によって、経営者や投資者等の利害関係者たちが事業の業績を把握したり、決算時点での資産や負債の状態を知ることができるのである。したがって、会計がなかったならば、利害関係者たちは事業の実態を知ることができず、結果的に、経営者は経営管理を行うことができなくなるし、投資者は自らの資金の拠出や回収に関する意思決定をすることができなくなる。
会計が、事業の実態を映し出す鏡であるならば、その鏡は、実態をありのまま正確に映し出さなければならない。近年、会計人は、この鏡の精度をいかに上げるのかに腐心している。この鏡の世界標準は、各国の公認会計士団体の代表者が集まって組織化された国際会計基準審議会(International Accountig Standards Board)において作成され、それらは国際財務報告基準(International Financial Reporting Standards……以下IFRSと略称する)として公表されている。まだ完成したわけではなく、現在もまだ作成中であるが、その努力が実を結び、ようやくここ1、2年で完成する目鼻がついてきた。そしてわが国においても、2015年か2016年には、外国で資金調達を行っているような巨大企業にIFRSを適用することが予定されている。しかしこのIFRSは、従来のわが国会計基準と大幅に異なった考え方に立脚しており、それだからこそまるで黒船の到来のような感覚でわが国では受け取られているわけである。
IFRSは、すでに100カ国を超える国々において採用されている。IFRSをそのまま自国の基準として受け入れている国もあるが、すでにIFRSを導入しているEUでは、国際的に活躍している大企業の作成する連結財務諸表にこのIFRSを適用する。まだIFRSを採用していないアメリカや日本も、国内で活動している企業には、自国の基準を適用し、連結財務諸表にこのIFRSを適用しようとしている。IFRSの導入が決まってから、わが国会計基準は、IFRSとの乖離を埋めようと、大幅な改正を実施してきた。いわゆるコンバージェンスの過程をたどってきたわけであり、この結果、わが国会計基準は、今やIFRSとそれほど大きくは相違していない。しかしコンバージェンス以前の従来のわが国会計基準は、IFRSと大幅に異なっていた。
一番大きな違いは、利益に関する考え方の違いである。わが国の従来の会計基準は、一期間におけるフローである収益と費用の差額たる純利益を重視(これを収益費用観という)し、純利益を業績測定の指標として用いてきた。それに対して、IFRSは、ストックである期首と期末の純資産の差額たる包括利益を会計における利益概念の基礎(これを資産負債観という)とする。この違いが、会計処理にどのように影響するのか。誤解を恐れずに極端なことを言えば、収益費用観では、当期に発生したけれども当期の収益費用にならなかった次期以降の収益費用は、貸借対照表に計上される。例えば、当期に発生したが、当期の売上に対応せずに次期以降に効果が発現すると思われる費用は、繰延資産として貸借対照表に計上される。これが資産負債観によると、資産としては認められなくなり、当期に費用計上しなければならなくなる。また、これまで収益費用観の下で計上が認められてきた引当金も、資産負債観の下では契約上の義務に限定されるため、今まで計上されてきた引当金が計上されなくなったり、逆に今まで計上されていなかった義務を引当金として計上しなければならない場合もでてくる。さらにこれが最も大きな影響であるが、資産負債観の下では、資産負債の測定が問題となり、資産負債の公正価値測定が主張される。
このように会計基準が大幅に変更されると、企業は適用される会計基準を考慮して企業行動を決定するようになる。もはや「会計は事業の言語である」だけではなく、逆に「会計が企業行動を動かす」ことになる。かつてわが国において保有されてきた持ち合い株式も、公正価値測定が要求され、その評価損益の計上が問題視され、企業は持ち合い解消の方向に動くことになる。かつてリースした資産の資産計上が会計基準において要求されたとき、リース取引が減少して割賦購入に取引自体がシフトしたという経緯がある。引当金概念の変更により、今流行している商品販売時のポイント制についても、変更が加えられる傾向がある。長年の間、事業を映す鏡として考えられてきた会計が、いまや企業の行動までも変えるような強大な力をもってきたわけである。