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安念 潤司

安念 潤司 【略歴

「ねじれ国会」は目前の現実――ウェストミンスター・モデルの終焉か?

安念 潤司/中央大学法科大学院教授
専門分野 憲法学

参議院が「受け取った」のはいつ?

 西岡武夫参議院議長が、衆議院から2011年度予算案を参議院が「受け取った」のは、衆議院通過日の3月1日ではなく、2日なのだと言い始めた。西岡氏は、参議院が「受け取った」のがいつかは、参議院の意向で決まると考えているのかもしれないが、法律論としては無理があろう。西岡流でいくと、参議院の握り潰しを防ぐために予算案のいわゆる「自然成立」を定めた憲法の規定が空文化しかねないからである。

 しかし、ことは解釈論の域を超えた問題を孕んでいる。1990年代から営々と続けられてきた政治改革は、明らかに、イギリスの政治制度(それはまた、議会の所在する宮殿の名にちなんで「ウェストミンスター・モデル」とも呼ばれる)を範としたものであったからだ。二大政党制を基礎として政権交代が常態化し、下院の多数党党首である首相が、立法・行政の二権を実効支配して総選挙のマニフェストで国民に約束した政策を積極果敢に実現してゆく――これがウェストミンスター・モデルであり、そこには、マーガレット・サッチャーやトニー・ブレアの颯爽としたイメージが二重映しになっていた。今回の「西岡事件」は、民主党政権、あるいはその首班である菅首相が、自党出身の参議院議長さえ有効にコントロールできず、ひいては、ウェストミンスター・モデルがうまく作動していないらしいことを示しているのである。

ウェストミンスター・モデルを追い求めて

 顧みれば日本は、近代のほとんど全期間をウェストミンスター・モデルの追求に費やしてきたといっても過言ではない。早く1879年(明治12年)に福澤諭吉は、『民情一新』を著して、守旧・改新の二大政党が総選挙の結果によって平穏理に政権を授受するイギリスの政体を(もちろん、多分に理想化してではあるが)、日本の見習うべき手本として活写した。そして、偶然のなせる業か「理性の狡知」の働きかはさて置き、その後の政治史は、大体において福澤の提唱したラインに沿って動いていったように思われる。

 もちろん、日本の政党政治は、その最盛期すなわち大正の末年から昭和の初年でさえ、ウェストミンスター・モデルを十全に実現したものではなかった。貴族院・枢密院・軍部といった「非選挙部門」は終始強力であり、しかもその力は憲法によって制度上保障されていたから、運用によって克服することには限界があった。また、政友・民政二大政党間の幾度かの政権交代も、総選挙の結果ではなく、スキャンダルによる政権党の下野によって引き起こされたものであった。

 日本国憲法の下では、議院内閣制はもはや追求されるべき目標ではなく所与となり、今度はその内実が問われることとなった。いうまでもなく、1955年の自社二大政党の成立は、ウェストミンスター・モデルへ接近するための不可欠の足掛りだとみなされた。待てど暮らせど政権交代は起こらず、1980年代の半ばになると、アメリカの日本政治研究者から「自民党政権は半永久的なのではなく、永久的なのだ」と指摘される始末ではあったが、二大政党制=政権交代は、なお追求すべき目標であり続け、「決め手」と目されてきた小選挙区制が1994年に衆議院に導入され、2009年に至ってようやく、総選挙による与野党総入替え型の政権交代が実現した。福澤諭吉の『民情一新』から数えて130年の宿願が達成されたのである。

モデルはどうしても必要か

 周知のように、今回の「西岡事件」の背景には「強すぎる参議院」がある。上院(貴族院)が政治的に非力なイギリスとの大きな相違である。では、参議院の力をそいで、ウェストミンスター・モデルの再興を目指すべきなのだろうか。私にはそうとは思われない。といって、外国の真似をせずに日本独自の長期ビジョンを構想すべきだというお馴染みの意見にも賛成できない。そもそも政治にグランドデザインとしてのモデルというものが是が非でも必要なのかが疑問なのだ。

 政治は、さまざまな剥き出しの欲望の角逐の場である。政治家だけが「諸欲旺盛」なのではない。床屋政談に興じる我々庶民も、至って虫のいい要求を政治に向かって投げつけている。仕組みをどう構築したところで、笑う者がいれば泣く者が出るのが政治の慣わしであり、「うまくいく政治」など初めからあり得ないのではなかろうか。

 自由主義と民主主義は、もちろん譲れない一線である。しかしそのなかでも、政治体制にはさまざまなバリエーションがあり、そしてこの点こそ重要なのだが、そのどれを取ったところで、誰もが満足するような結果は得られまい。西園寺公望は、政治の要諦を問われて、目前の事を裁くことが大切だと答えたという。「ねじれ国会」は目前の現実である。改憲論から衆参同日選挙論まで、ねじれ是正策の名論卓説は数あれど、今はとにかく、ねじれたままで事を裁いていくほかはない。

 例えば、特例国債法案が成立する見込みは乏しいと聞く。ならば、この先どう資金繰りをつけるのか。この目前の事を考える方が、ウェストミンスター・モデルの功罪を論ずるよりも、我々をずっと政治的に鍛錬するだろう。

安念 潤司(あんねん・じゅんじ)/中央大学法科大学院教授
専門分野 憲法学
1955年北海道生まれ。1979年東京大学法学部卒業後、東京大学法学部助手、北海道大学法学部助教授、成蹊大学法学部教授を経て、2007年より中央大学法科大学院教授。専門は憲法学であり、司法制度改革や憲法9条に関する話題について言及する一方で、行政法、民法、法と経済学、知的財産法についても明るく、2002年にはTBSの早朝番組『いちばん!』にコメンテーターとしてレギュラー出演した。最近は規制改革会議の委員をはじめ、政府関連の審議会の委員も歴任し、事業仕分け人・規制仕分け人にもなっている。著書に『法学ナビゲーション』『憲法(1)、(2)』(有斐閣、共著)がある。