横田 洋三 【略歴】
横田 洋三/中央大学法科大学院教授
専門分野 国際法、国際人権法、国際経済法、国際機構法
2011年1月、菅総理大臣はスイスのダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会に出席し、日本は第三の開国(平成の開国)をめざすと演説した。このメッセージには、国内に根強い反対論のある環太平洋経済連携協定(TPP)参加や自由貿易協定(FTA)締結に向けての国内的呼びかけという意味合いが強いようだ。いいかえると、主に経済的側面での開国がとくに意識されているように思われる。それはそれとして意味があるのだが、菅首相が第三の開国に対して理念としてもコミットしているのであれば、現在国際社会から強く求められている人権分野での開国もぜひ早期に実行に移していただきたいと思う。
第二次世界大戦後、日本は第二の開国を行った。その象徴は日本国憲法の前文に示されている「国際協調」の精神である。憲法前文は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ(い)る国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ(う)」と世界に向かって高らかに宣言している。ここでは、開国の力点は、平和主義と民主主義、そして人権の尊重に置かれている。とくに憲法は、人権に関して、11条から40条まで、30条の納税の義務を除くとすべて人権に関する詳細な規定を設けて、その重要性を強調している。
これらの日本国憲法の人権規定は、当時はもちろん今日においても、世界に誇ることのできる包括的で優れた内容のものである。しかし近年、日本に対しては、国際社会から、人権面での改善の提言がさまざまな形で寄せられるようになった。中でも、国連人権理事会での普遍的定期審査や自由権規約人権委員会、社会権規約人権委員会、女性差別撤廃委員会、人種差別撤廃委員会、拷問禁止委員会などから共通して求められている改善点に、個人通報制度受諾と国内人権救済機関設置がある。
個人通報制度というのは、自由権規約、社会権規約、女性差別撤廃条約、人種差別撤廃条約、拷問禁止条約などにおいて規定されている手続きである。これらの国際人権条約が規定する権利が侵害されたと主張する個人は、これらの条約のもとに設置されている委員会(個人的資格の専門家が構成)に苦情を通報し、審査してもらうことができる。ただし、この手続きは、条約の締約国が受諾しないと使うことができない。日本の場合は、司法権の独立という憲法規定との整合性の問題が障害となって、これまでこの手続きを受諾してこなかった。しかし、この手続きに基づいて出される国際的委員会の見解は、法的拘束力を持たず、裁判所で確定した判決を覆す効力はないことがはっきりしたことから、理論上の障害は克服された。
実際、現在政権与党である民主党は、いわゆるマニフェスト(政権公約)において、個人通報制度受諾を明言し、また、民主党政権が成立した2010年9月には、千葉景子法務大臣が、「進めていきたい課題の一つ」と強調する発言を記者会見で行った。このように、国際的に強く求められ、また、現政権によって政策目標の一つに掲げられている国際人権条約の個人通報制度受諾を、ぜひ近い将来実現していただきたいと考える。
もう一つの大きな課題は、国内人権救済機関の設置である。これも、人権理事会をはじめ、多くの国際人権条約機関から強く実現が求められている事項である。また、個人通報制度受諾と同様、民主党のマニフェストにおいて公約され、千葉大臣の記者会見でも、「実現に向けて早急に取り組む」と明言された政策目標である。
日本には、新憲法のもとで1949年以来人権擁護委員の制度が機能してきており、現在法務大臣の委嘱のもとに、全国で1万4千人を超える人権擁護委員が人権侵犯事例について被害者の苦情を受け付け、情報を収集し、法務大臣に報告するという活動を行っている。この制度は一定の意義を有しそれなりに成果をあげてきているが、人権擁護委員は元来民間のボランティア-であり、法務大臣のもとで職務を果たすため、独自の調査権限や勧告権限を持つ政府から独立した国内人権救済機関とは、国際的に認められていない。そこで独立の人権救済機関の設置が国際的に要請されてきているのである。
第三の開国を国際的に宣明した菅首相には、国際人権条約の個人通報制度受諾と独立した国内人権救済機関の設置に向けて、強いリーダーシップを発揮し、人権に関する平成の開国にもぜひ真剣に取り組んでいただきたい。これら二つの人権に関する政策目標は、国際社会から日本に強く要請されているばかりでなく、広く国民からも大きな期待が寄せられているものであり、しかも、比較的に大きな予算を必要としない事項である。その意味では、マニフェストに示されている項目の実現が財政的制約でなかなか実行に移せず苦労している菅内閣にとって、人権分野での開国は、実績をあげる好機ではないだろうか。