2010年5月、ギリシャの債務危機は世界金融危機へと発展し、日米をはじめ域外諸国でも株価が暴落した。ドルや円に対してユーロは暴落した。アイルランドとスペインなど南欧諸国も、世界金融・経済危機と住宅バブル破裂によって財政危機に陥っていたので、ギリシャ危機の波及が懸念されるようになり、国債利回りは大幅に上昇した。ユーロは生誕から12年目にしてもっとも困難な時期を迎えたが、今次の財政危機は世界金融危機を背景にしているため、米英両国を含めて先進諸国共通の長期的病(ソブリンリスク)となっており、ユーロが健康状態に復帰するには時間が掛かる。また現行のユーロの制度は危機に対応できなかったことがはっきりしたので、改革も避けられない課題となった。
ギリシャの破綻の原因が歴代政府の放漫財政とEUに対する嘘の報告とにあったことに、ルール重視のカルチャーをもつドイツなど西欧諸国の国民が怒ったため、支援体制がなかなか整わず、その遅れも危機を激化させた一因であった。金融危機の波及を懸念したアメリカのオバマ大統領の要請もあり、5月上旬にギリシャに1100億ユーロ(1ユーロ110円換算で12兆円)、国を特定しないものの南欧諸国向けの金融安定化策として7500億ユーロ(83兆円)という巨額の支援ファシリティが設置された(いずれもIMFが約3分の1を負担)。だが金融市場の混乱は6月になってもおさまらなかった。
ユーロ崩壊論批判の筆をとる
ギリシャ危機を契機に経済週刊誌には「ユーロ崩壊」「ユーロ解体」という見出しが躍り、「通貨は一つだが財政はバラバラ」のユーロは崩壊する、というような極論が幅をきかせるようになった。だが2007年頃には、同じ週刊誌が、「ユーロはドルに代替して世界の基軸通貨へ」というような特集を組んでいたのである。わずか3年ほどで「世論」は対極に振れたわけだ。どちらが正しい議論なのだろうか。
筆者はユーロに先行するEUの為替相場同盟EMS(欧州通貨制度。1979-1998年)の時代から欧州の通貨協力・通貨統合を観察し続けてきたので、上の2つの極論はどちらも正しくないと判断していた。折良く、岩波書店から旧著『ユーロ その衝撃と行方』(岩波新書、2002年刊行)の改訂版出版の話が来たので、まったく新しく、『ユーロ 危機の中の統一通貨』(岩波新書)を2010年11月に刊行し、上の極論がなぜ間違っているのかを、とりわけユーロ崩壊論に焦点を当てながら、論じることができた。
岩波新書について
『ユーロ 危機の中の統一通貨』は12年にわたるユーロの実績、導入までの30年間の通貨統合の歴史の概要、ユーロの制度、そして世界経済危機とギリシャ危機におけるユーロの役割と限界などを説明し、危機を踏まえてユーロについて再度考察し、結論として、ユーロは崩壊することはなく、むしろ今次の危機を糧にその制度は改善され、将来ユーロは一段と強い通貨に発展するだろうとの展望を述べた。関心のある方は直接岩波新書をお読み頂きたい。またユーロの将来に関心を持って頂きたいと念願している。
一言だけ言えば、すでに3億3000万人がユーロを日々使用しており、その通貨が崩壊すれば、そのダメージははかりしれない。さらに、アメリカは衰退しつつも超大国の地位を維持するであろうし、中国やインドなど次の時代の超大国が台頭してきている21世紀にヨーロッパが対応し、自己主張することができるためには、大陸規模の経済を効率的に運営しなければならない。そのかなめの位置にあるのがユーロなのであり、ヨーロッパはそれを崩壊させるわけにはいかないのである。
欠けている歴史への尊敬の念
世界経済の動きに合わせて、戦後のヨーロッパはEUを組織し、単一市場をつくり、さらに「国家をつくる前に通貨をつくる」という実験に世界で初めて乗り出した。社会制度を構築する能力がよほど優れていないと、このような実験を進めることはできない。東アジアで共同体だの通貨バスケットだの通貨統合だのといわれ始めてからもう10年も経っているであろうが、さっぱり前進しない。両者の力量の差は明らかだ。そのような歴史への思いあるいは尊敬の念がない人には浅薄なユーロ論議しかできない。
新書ではあるが、上述の著書によって筆者はそのような流行の議論に揺さぶりをかけ、議論を生産的な方向に導こうとしているのである。
もっともユーロやユーロ圏諸国の将来は楽観を許さない。南欧諸国は不動産バブル破裂後の経済停滞にかなり長期間悩まされるであろう。賃金と年金の切り下げや増税は国民の反対運動を引き起こしている。ソブリンリスクは南欧諸国だけでなく、米英両国も深刻だ。これらの問題をヨーロッパがどのように処理し、ユーロ制度を改善していくのか、今後さらに洞察を深めたいと念願している。