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西海 真樹

西海 真樹 【略歴

文化の国際法

西海 真樹/中央大学法学部教授
専門分野 国際法学

1.グローバリゼーションと文化

 グローバリゼーションは、人、物、資本の自由な移動とともに、地球規模での文化の普及を促進してきました。今日、私たちは日本にいながら世界のさまざまな地域の書物、音楽、美術、演劇、映画、サブカルチャーに接することができ、それは私たちの生活を豊かにしています。しかし他方で、グローバリゼーションのもとでの文化の普及はそのときどきの支配的な文化に有利な形で進むことが多く、その結果、特定文化の世界支配、文化の均一化、またはそれへの反作用としての文化的孤立をもたらしかねません。文化交流がもつこのような2側面は、2つの対照的な態度を生みだしました。1つは、文化の自由な交流は私たちの生活を豊かにしてくれるから、それは他の物やサービスと同様、市場と資本の論理にしたがって自由に行われることが望ましいという態度です(自由論)。もう1つは、市場と資本の論理のみにしたがった文化の交流は特定文化の世界支配を生じさせ、それは結果的に地球上の文化を画一的で貧困なものにしてしまう。それを回避するためには文化の交流に何らかの規制を加えるべきだという態度です(規制論)。このような2つの態度は、実はかなり以前から存在していました。それらは文化にかんする国際法にどんな影響を及ぼしてきたのでしょうか。そこにどのような問題点が見いだされるでしょうか。

2.これらの態度がGATT/WTOに及ぼした影響

 第1次世界大戦後、ヨーロッパ諸国は、アメリカ映画の寡占状態から自国映画産業を守るため、種々の割当(クオータ)を導入しました。また、GATT(貿易関税一般協定)は、露出済み映画フィルムの上映時間割当を認めました。自由論と規制論の対立は、文化的アイデンティティをめぐる対立にとどまらず、各国の文化産業間の競争をめぐっての経済的対立でもありました。これが顕在化したのがGATTのウルグアイ・ラウンドでした。米国は、映画を初めとするオーディオ・ビジュアル分野は、他分野と同様、自由化の対象とすべきだと主張しました。これにたいしてEUは、いわゆる文化的例外論に依拠し、これらは文化的アイデンティティにかかわるがゆえに自由化の対象に含めるべきではないと主張しました。この対立の妥協の産物がWTO(世界貿易機関)のGATS(サービス貿易一般協定)です。そこではサービス(オーディオビジュアル分野はここに含まれます)について、最恵国待遇、市場アクセスおよび内国民待遇を確保する義務が、一応加盟国に課されています。しかし同時に、いずれの義務をも免れ得る手続きが用意されています。文化的例外論はGATS上公認されませんでした。けれども実際にはオーディオビジュアル分野を自由化の対象から外すことが可能となりました。自由論は名をとり、規制論は実をとったと言えるでしょう。

3.これらの態度がUNESCOに及ぼした影響

 このようなGATSの処理は、一見したところ自国の文化政策への十分な保証になっているかに見えますが、実はそうではありません。基本的に自由化・規制緩和をめざすWTOにおけるこのような処理は、いわば一時的な休戦状態にすぎません。そこで規制論を支持する諸国は、文化を例外として位置づける防衛的論理から、文化の特殊性を強調する積極的論理へと戦略を転換するにいたります。それがUNESCO(国連教育科学文化機関)における文化的多様性の提唱へとつながっていきます。2001年、UNESCOは文化多様性世界宣言を採択しました。そこでは、生物的多様性が自然にとって必要であるのと同様に文化的多様性は交流、革新、創造の源泉として人類にとって不可欠であること、文化的多様性は人類の共同遺産であり現在と将来の世代のためにその重要性が認識されるべきこと、文化的多様性にとって文化的多元主義(多文化主義)を確保することがきわめて重要であることが、高らかに謳われています。さらに2005年、UNESCOは文化多様性条約を採択しました(2007年発効)。この条約において文化的多様性は平和、人権、民主主義、持続可能な発展、人類の共同遺産などの象徴的概念に結びつけられました。そして諸国には、文化的多様性を保護・促進するための措置・政策をとる主権的権利が承認されたのです。

4.UNESCO文化多様性条約の意義

 この条約は、文化的多様性を保護・促進する主権的権利を国に認めた点で、上述の自由論と規制論のうちの後者が勝利したものと一般には受け取られています。ただし、この条約は多文化主義(各エスニック集団の文化を政府が保護し、それらの集団の社会参加を促進しようとする主張・主義)の採用を締約国に求めているとまでは言えません。したがって、主権的権利の名の下に一国内部の少数文化の抑圧が国家政策として正当化される危険が残ります。この条約と他の条約(とくに今後改定されまたは新たに作成されるWTO協定)との関係をどう調整するかという問題も、厳密には未決着です。もっとも、将来の条約作成時に、交渉国が文化多様性条約を援用して、自国の文化政策を正当化し根拠づけることはあり得ます。そのような援用を通じて、この条約と将来作成される条約とのあいだの実質的な調整が行われるでしょう。主権的権利については上述のようにプラス面とマイナス面があり、場合によっては国内の文化的不平等が放置されるかもしれません。文化現象にはさまざまな側面があります。そのなかの「グローバリゼーションの深化拡大にともなう負の側面」にたいしては、この条約が、少なくとも国家間レベルにおいて一定の歯止めになることは確かでしょう。私は、この条約の今後の実施に大いに関心があります。

西海 真樹(にしうみ・まき)/中央大学法学部教授
専門分野 国際法学
東京都出身。1955年生まれ。1980年中央大学法学部法律学科卒業。1985年中央大学大学院法学研究科博士後期課程中退。法学修士(中央大学)。熊本大学法学部助教授、中央大学法学部助教授を経て、1996年より現職。研究テーマは、文化と国際法、人道的救援、南北問題と国際法など。主要著書・訳書に『今日の家族をめぐる日仏の法的諸問題』(共著、日本比較法研究所、2001年)、『国連の紛争予防・解決機能』(共著、日本比較法研究所、2003年)、『NGOの人道支援活動』(共訳、クセジュ文庫、2005年)などがある。